見出し画像

言葉がすべてじゃなかった。

あめりかんです。


ある日の夜、寝る前に
次女が布団には入ったものの
「眠れない」と言い出して。



そうなんだ〜と聞きつつ
寒いし眠いし、自分の布団に入る私。


目を閉じてたら寝れるんじゃない?とか
最初はそんな話をしていて、

もう眠いし電気消していい?くらいの
軽い気持ちで会話してたんだけど


娘が急に
布団を蹴飛ばして
布団に横になったままで
全身をばたつかせて怒り出して。




えぇぇ…
急に何なん…?と思いつつ

それでも「私は寝たい」が先にあって
いい加減にしてくれ…って思ってたの。



そしたらヒートアップ。

泣きながら
すっごい怒ってて

んもうっ!とかは言ってるんだけど
何でそうなってるのか
こっちから見たらよくわかんなくて。




その日のことを振り返って
あれが気に食わなかったの?とか
妹と喧嘩したの?とか
いろいろ聞いてみるものの

ぜんぜん話をしてくれない。




そのまま放置して寝れないし

電気を消しても変わらないし

何を言ってもずっと
泣きながら怒っていて。




それを見てると
こっちもだんだんイライラしてきて

「いったい何なのよ!??
なんか言いたいことがあるなら
言えばいいじゃん!??」

「何を聞いたって答えてくれないし
そんな風にされても、こっちは分からん!
もういい加減にして!」


って怒るんだけど

それでさらに怒らせて
もっと泣いちゃって
あーーーーー
チーン。



っていうのを
今までにも何度かやってきてて。




で、急にまた
そうなったその日。

ちょっと放ってみたの。


いつもは、早く泣き止ませたくて
いろいろ言うんだけど
何も言わずに

怒りたいだけ
泣きたいだけ
やらせてみよう、って。





でも、それが気に食わなかったらしく
そんな私を見て、また怒り出した(笑)


そっか〜w w w
と思いつつ


涙も鼻水も
すごいことになってたから

しゃーないなーと思って
布団から起きて
(ここまで私は布団に寝たままだった)

テイッシュ箱をとってあげて。



そこではじめて
娘のすぐ近くまで行って
(ここまでは布団の中でやり取りしてた)


ウダウダまだ怒りながらも
鼻をかんだりしてるのを
じっと見ていたら

胸の奥でなんか感じるものがあって。



振り返って感じてみると
それは娘のカラダから出てた
見えないエネルギーを 

私のカラダがキャッチして
カラダが教えてくれた、って
感じるんだけど。

フッと出てきたんだよね。





「ギュッて抱きしめてあげたい」って。




その時は
カラダからの声だとは
分かっていなかったけれど

ジーっと娘を見ていたら
だんだん不思議な感覚になって。




最初に思ってた
今、眠いんですけど!とか
もういい加減にしてよね、っていう
考えてる自分の中の声がなくなって


娘の感覚の中に自分が入る、というか
自分の中に娘を入れる、というか


言葉で表現がむずかしいんだけど

私のぜんぶが
今目の前にいる娘を感じることに
全集中してた。



そしたら「抱きしめたい」が
私の中から出てきて。



一瞬だけ
寝れないのと関係なくない?
って思ったんだけど



いまは、これだよって
なんかそうなんだって感じて

何も言わずに
ギュッとっ抱きしめたの。







そしたらね。




娘は
抱きしめられながら
私の腕の中で
もっと泣きじゃくって 

私もそれを感じて
一緒にポロポロ泣いて。



それまで娘が発していた怒りや
言葉にならない何かが
あふれた涙と一緒に
溶けていったのも分かって。



あぁ。。。
これだったんだな、って
声にならない声を受け取ってた。

小さい頃の七五三ヘアメイク中。


ずっと甘えたくて
ただ抱きしめてもらいたくて。


それは、おはようのハグとか
ねぇ、ギュッてして〜♡っていう
日常の中でのスキンシップとも
ちょっと違っていて


ただただ、
自分のことだけを見てくれて
自分だけを感じてくれて
カラダとカラダで感じあう
抱きしめ合う時間。



そういう時間を
あまり最近は
一人ひとりの子たちと
作っていなかったし

私自身に対しても
そうだったな、って。


子どもが口で言ってることと
本当に求めてることは

必ずしも同じではないって
頭の片隅では知ってた。



だけど、いつもいつも
表面でしか見てなかったんだ、と。





ジッと見る、じっくりと感じる。

そういうことを
子どもに対しても
自分自身に対しても
していなかった。


子どもにやってたのは
寝てるときに顔を見るくらい。  




赤ちゃん時代は
言葉を話せないから

その子のしぐさ、表情、
母の第六感も含めて

言葉以外のところで
「この子を感じる」をしてたはずなのに



成長して
言葉で話せる、
言葉で伝えられる、

それが当たり前になりすぎていて
そうじゃないものは「分からない」になってた。




だけど、そんなはずなかった。



こちらが
ちゃんと見つめれば
ジッと意識を向けて感じていけば

カラダはその感度を
もうすでにもっている。




「分からない」にしていたのは
私の方だった。

今まで、こういうことがあるたびに
娘たちに言ってきたの。


「思ってることがあるなら
言葉にして伝えるんだよ」

「言葉にしないと
相手には伝わらないんだよ」



もちろん、それも
間違っているわけではなくて。




だけど今回初めて

言葉のやり取りがない中で
感じたこと(抱きしめる)をして

カラダとカラダの感じ合いだけで
その奥にあったものが
溶けていった…

っていうのを体験して



言葉だけがすべてじゃない!!!
って、すごく感じたの。





どうしても
言葉で理解しようとしていたし
言葉がある方が分かりやすいし
伝わりやすいって
信じてた。



だけど、あまりにも
言葉を前に置きすぎているんだなって。


自分との向き合いの中で
言葉を使わない、
非言語でのやり取りしてみて♡って
言われたことがあって

ぜんぜん意味がわかんない〜!
非言語って?どうやるの???
だったんだけど


これも
言葉ありきで生きているから
すぐ「分からない」になっていたんだなーと。




言葉で何とかしようとしなくても
いいのかも、と

今までの信じていたものを
疑いはじめてる。


言葉だけで伝えようとしなくても
伝わるものってあるし。




子どもたちに対しても
自分自身に対しても

すぐ見える目の前のこと
すぐに言葉になるところ

そこだけじゃなくて

その先を
その奥を感じられるように。




子どもたちは
きっと、素でそれができていて
私たち大人は忘れているだけ。


カラダはもうそれを知っているから
自分がそこに意識を向けて
練習を繰り返すだけなんだ。



個性の学校へのお問い合わせは
koseinogakko@gmail.com
にて、随時受け付けております。

いいなと思ったら応援しよう!