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悲観主義者・楽天主義者・虚無主義者のそれぞれの考え方

はじめに

世の中には悲観主義(ペシミズム)と楽観主義(オプティミズム)があるのは直感的にわかりますが、虚無主義(ニヒリズム)というものも世の中には存在するようなので、ニヒリズムとは何か、そのほかの考え方はどうなっているのか気になったので調べてみました


言葉の定義

とりあえずwikipediaを見てみましょう

悲観主義(ペシミズム)

この世界は悪と悲惨に満ちたものだという人生観をさす

うん、めっちゃ悲観していますね

楽観主義(オプティミズム)

哲学上では最善説(さいぜんせつ)と訳され、苦悪などがこの世に存在するにもかかわらず、この世界は全体的に見て存在し得る世界の中でもっともよいとする考え方である[1]

となりに楽観主義の人がいると楽しそうですね

虚無主義(ニヒリズム)

今生きている世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場である

あまりよくわからないですがめんどくさそうだということはわかりますね


うーん何となくわかるけどやはり難しい概念ですね
具体例で主義思想の考え方について比較していってみましょう


砂漠で半分になったペットボトルの例

古典的ですが、よくよく例に挙げられる半分のペットボトルの例を持ち出そうと思います

シーンとしては砂漠で遭難中で、荷物がペットボトルだけだとします
もうすでに深刻な状況ですが、そこは少し置いておいて、ある時ふと気づくとペットボトルの水が半分になっていることに気づきました
その時の感じ方をそれぞれの思考で考えます
ここでは比較しやすいように3種類のすべての思想の人は全員生き抜くことを第一に考えているとします


悲観主義者(ペシミスト)の場合

「……ペットボトルの水が半分になっている」
もう半分になっているのか
くそ、本当にこの世界は非情だ
私たちに試練しか与えない

オアシスが見つかるかどうかもわからない今はとにかくこの水を絶対に死守しなければならない


楽天主義者(オプティミスト)の場合

「ペットボトルの水が半分になっている」
まだ半分もあるのか
これだけの水で、これだけの距離を歩いてこれたんだからもうちょっとでオアシスが見つかるでしょう
頑張ろう


虚無主義者(ニヒリスト)の場合

「ペットボトルの水が半分になっている」
……なるほど半分になっているということは自分の命はこの半分の水で決まるのだな
そもそもこの世界が幸せに満ちているなら、ペットボトルの水が常に満タンであるだろうし、そもそも私はここに遭難していないだろう
逆にこの世界が悪意に満ちていて私を苦しめたいのであれば、ペットボトルの水などとうに空になっているだろう
唯一わかることはこの水がなくなれば私は死ぬということだ
この世界には特に思い入れはないが、この水が余っている間に自らの死を選ぶというのも意味のないことだ
もしかしたら誰かに助けてもらえる可能性もある
そうした場合、無意味に苦しむ方がバカであろう
人生など何が起きるのかわからないのだから、その後のことはこの水が尽きてから考えたらよいであろう

よって、この水が尽きぬ限り歩こう


全員が全員生き抜く選択をするわけではないので、あくまで、生き抜こうという意思がある場合のそれぞれの考え方を書いてみました
これらの例は独断と偏見によってざっくりと書きましたが、おそらくこのような考え方をするのではないのかと思います

やはり虚無主義はめんどくさいですね
ちなみに、おそらくですが、自分は虚無主義者だと思います
こういう文章を書いてる時点で結構めんどくさいやつだと思います


東洋人の多くは虚無主義者

ちなみに昔から東洋人の多くは虚無主義者だといわれています
東洋思想と西洋思想があると思いますが、東洋思想が虚無主義であることから東洋と西洋の区別がついたともされています

そして東洋人が虚無主義者であるのは、元々、仏教が虚無主義だといわれているからだそうです
仏教圏の人たちは虚無主義者なんですね
そういわれると私はしっくりきました
(まあ仏教は一切皆苦、この世はすべてが苦しみだと言っているので悲観主義だと考えることもできますが、最終的には仏教はこの世の苦しみの原因は全部自分の心の問題なので虚無の境地に至れば苦しみもなくなるよ、つまり悟りを開けるよと言っているので、根本的には虚無主義なんですね)


現代人も虚無主義者?

さて、でも現代人は宗教とも縁遠いから虚無主義の人はだいぶ減ってるんじゃないのかと思いますが、どうやらそうでもないみたいです
やはり東洋思想の影響は大きいようで、文化大革命で一度すべての東洋文化が破壊されたお隣の中国でもその人たちの根本にあるのは虚無主義だそうです

特に今の中国人のエリート階層がその傾向が強いといわれています
中国の競争はすさまじいですからね
しかも日本でいうところの東大に入るくらいの努力をして良い大学に入っても今の中国の若者の就職先はないらしく、そういった超高度人材も農地や介護などのいわゆる誰でも出来る仕事をさせられたりするそうです()
なので、そういったエリート層が寝そべり族といってニートになっているのが社会現象になっているそうです
彼らは努力しても報われていないので、虚無主義になっているとされています

そして日本も似たようなことがありますね
引きこもりやニートです
基本的には虚無主義だから、引きこもることを選ぶのではないでしょうか?

例えば、悲観主義であれば、苦しみを受けると社会に発散させようとして暴力に訴えるなどの暴発をする傾向が強いです
なぜなら世界が悪で満ちているなら、自分も世界の一部の悪になっても理屈として何もおかしくないからです

しかし虚無主義であれば善であることも悪になることも選びません
この世界が無意味だから暴力を振るってもそれは世界の理だよねと思ってもそのあと自分が暴力を振るうこともなんの意味があるんだろうかと思って結局白けてエネルギーが外に向かわなくなります
虚無主義には元から自重作用がビルトインされているといえるのです

虚無主義者の集まりだからこそ、東洋諸国は西洋と比べれば市民が簡単に暴力に訴えないのではないのかと思ったりします(まあ適当な考察ですが)


おわりに

とにもかくにも私たちは虚無主義者なのではないでしょうか?
自分たちが虚無主義者だからといって何がどうとかはありません
だって虚無主義者の話に意味なんてないのですから(皮肉)

今回はそんな虚無主義者のとりとめのないお話でした















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