意識はOlympian
勝負をかけるために「ここ」に来たんだろう
「立場は体育科生、意識はOlympian」だ!
勝負は必ず勝ち負けがあり、ほとんどの人が負けることになります。
とにかく勝ちたいという気持ちはマイナスになり、ただ勝つことに価値はありません。
競技スポーツで勝ったからといって、社会に出て活きることはありませんし、勝利の勲章が厳しい現実を乗り越えるエネルギーになることはないでしょう。
その勝利をを目指し、時間をかけて努力した時間こそが人生の支えになります。
しかし、県内唯一の体育科に来た以上、「絶対に負けない」という気持ちは必要です。
負けたくないということだけは、瞬きする時も隙を見せてはいけません。
負けたくないという気持ちは常に忘れずに生活してほしいとおもいます。
3年生は今までに積み上げてきた様々な思いが結果という形になって現れます。
いいも悪いも長い目で見ればトントンです。
1番気をつけたいことは、結果を気にして縮困ってしまう事。
そういう時は失敗がこわいので、失敗した原因を審判のせいにしたり、グラウンドの状況のせいにしたり、不満そうな顔をしないと収まりがつかなくなります。
これでは感動を共有するどころか、一生後悔することになります。
3年生になるこの年は「勝負をかけろ」「勝負をかけています」と言えるような1年であって欲しいと思います。
勝負をかけられる精神状態は、細部に魂がこもっているという条件が必要です。
靴を揃える。
道具を地べたにおかず、おかせていただくという気持ち。
授業間の挨拶を気持ちを込めてやる。
時は心を使って描く。
クズゴミを拾う。
チャイム着席を当たり前のようにしている。
机の中が綺麗。
筆入れの中が綺麗。
ロッカーの整理整頓がされている。
そいうことを疎かにして、競技スポーツ、受験などの勝負だけ投資を持って戦うことはできません。
競技スポーツ、勉強、人間関係でも、全く同じですが、自分で何か行動をしている時点で、自分の人間性を他人に表現していることになります。
今の自分は「本当に勝負をかけている」。
このことが勝つこと以上に大切なことだとおもっています。
負けることはいいことですし、怖くないと考えるようになりました。
不思議と甲子園に行きだし、勝ちだしたのもこういう考え方になってからです。
「立場は生徒、意識は校長」
「立場は選手、意識は監督」
「立場は体育加勢、意識はOlympian」
その意識が今後の運命を左右します。
その意識こそが「体育科歴代最高」としてのプライドです。
高校時代、恩師に言われた言葉です。
勝つこと以上のものを学べた気がします。
高校時代は勝つことだけを求めていました。
もちろん、勝つことを求めることは悪いことだとは思っていませんし、
必要なことだと思っています。
勝負の世界で生きていれば何かしら理不尽なことは起きるでしょう。
しかしその時に、周りにベクトルを向けるのではなく自分にベクトルを向ける。
結局、他人のせいにしたり、環境のせいにしても解決ができないですから。
たまたま目の前のことが解決できても同じようなことがなん度も起きたら解決困難になります。
それであれば、考え方を変えて目の前のことが何につながっているのか。
その先にあるものはなんなのか。
自分にできることはなんなのかを考えていく方がよほど楽しいです。
周りが変わる前にまずは自分がかわろう。
そんな気持ちでやっています。
よく成功よりも成長と言われてきました。
勝負事ですから、勝ち負けがつきます。
結果にとらわれることなく、その過程にこだわることができれば未来の結果も変わってくるのだと思っています。
なぜ、勝てたのか
なぜ、負けたのか
営業でも一緒です。
なぜ、うまくいったのか
なぜ、うまくいかなかったのか
ここの追及ができるかどうかだと思っています。
一喜一憂することなく、常に追求する。
そして、細部には神が宿るとも言われてきました。
日常生活で基礎的なことかもしれませんが、全てそれが結果につながってきます。
普段の行動は試合に出ます。
普段できないことは試合中にはできません。
僕自身も意識はしていますが、忙しい時など何かを疎かにしがちです。
疎かにする=雑になっている
忙しい中でも丁寧に正確に行動できる。
これがプロフェッショナルだと思っていますし、1人の人間として重要なことだと思っています。
”意識はOlympian”
イチローがだらしない行動をすると思いますか?
孫正義が整理整頓ができないと思いますか?
意識が変われば行動が変わります。
常にプロフェッショナルな意識を持つこと。
これが成功への近道だと思っています。
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