川柳で若い世代にエールを送りたい 23/10/1
1.川柳の一言コメント
「つまずいて分かる不遇の母の愛」
説明不要かも知れませんが、この"つまずき"は人生における様々なつまずきの事です。学生であれば、入学試験に失敗したとか、情熱を注いでいたスポーツの試合で大敗したとか、上位入賞を狙っていた音楽イベントで予選敗退したとか。
社会人であれば、仕事上の大きなトラブルやミスを犯したとか、本気の恋で失恋したとか、不意の事故に遭って生活が一変したとか、つまずきの要因は多種多様で突然起きたりもします。
つまずくとどうなるか、頭で想像して分かっていたつもりでも、実際につまずいて初めて「あぁ、こういう事になるのか」と、身体で実感する事があります。
大きなつまずきがあると落ち込みます。しかし、どんな形にせよそこから起き上がらなくてはなりません。そして、その後は続けてつまずかないように注意する。また、つまずいた経験を今後に生かす事が必要です。
若い頃は経験不足で大きくつまずく事がありますが、そんな時、経験豊富な親世代から貴重なアドバイスがもらえて、立ち直りのきっかけになることがあります。
2.私の経験で思う事
若い頃の私は、失敗をすると落ち込んで尾を引くタイプでした。銀行に勤めていた頃、職場はシビアな競争社会でした。成績は他者と比較され、自分が劣っていると批判や攻撃を受けました。数字で成績を示されると言い訳できませんでした。
自分に自信があって精神的に強い人は、他人から批判を受けてもひるまず、「大丈夫。自分は必ずできるから」と、自分を鼓舞して対策を立てて、マイナスをプラスに転換する能力があります。
しかし私は叩かれると、最初は耐えていても次第に萎えてしまう弱さがありました。人には長所短所が必ずあります。失敗をして批判や攻撃を受けても、長所を伸ばす努力を続けていればいずれ成果につながるものです。
でも、銀行ではすぐに結果を求められたり、転勤や配置転換で仕事上の土俵を変えられたりしました。すると、私は新たな状況に対応できず、また悪い成績しか残せなくて、また落ち込むという事態になりました。
結局、私は46歳で銀行を退職したのですが、ボロボロに近い状態になりましたので、立ち直るのに時間が掛かりました。そんな状態の私でも暖かく見守り、時には、優しく励ましてくれたのは親世代の人たちでした。
その頃、父はすでに他界していましたが、母は、私が病気をせず元気で過ごしているだけで喜んでくれましたし、母と親しいおばさんも、「食べていけたらええんやさかい、また仕事探しよし」(食べていける収入さえあれば何とかなるから、探せば仕事はあるから大丈夫)と、言ってくれました。
私の親世代は戦禍を生き延びた世代なので、私のつまずきなど小さな出来事に思えたのだと思います。
戦後、母は父と結婚して私を含めた3人の子を育ててくれました。しかし、父は亭主関白で気が短く、度々暴力を振るう人でした。戦地で多くの敵と戦って生き抜いた人で、非常識で無茶な事をする面もありました。
ある時、霊感の強い人が父を見て、「多くの霊が付いている」と言ったそうです。戦地で父の前に倒れた多くの人の霊だという事でした。そんな父ですから、暴力的で、非常識で無茶な事をしても不思議はありません。
母が今の時代の女性ならさっさと離婚していたでしょうが、母は驚異的な忍耐力で、父の暴力に耐えて耐えて耐え抜きました。当時は女性の立場が今よりずっと弱かったし、周りの風潮も母に離婚を思い留まらせるものでした。
母が泣いている姿は数えきれないほど見ましたし、父の暴力に耐えかねて、或いは、命の危険を感じて家を出て行ったことも何回あったか数えられません。父は刃物を振り回す事さえあったのです。
私には6歳離れた妹がいますが、妹が小学生だったある時、父が外出中の自宅で母に、「お母ちゃん、なんであんな人と結婚したの」と尋ねていたのを覚えています。
妹は母が家を出ていくときに度々一緒に付いていきましたので、私なら母に聞けない事も聞けたのだと思います。母が結婚してくれたから私も妹もこの世に生まれたのに、そんな事を尋ねるほど父は母を苦しめたのです。
私の家庭は、近所の誰もが知っている無茶苦茶な父親が居る家庭でしたが、そんな父の身体を酒と老いとがじわじわ衰弱させていきました。それに伴い、父の暴力が次第に減って、最後には全く無くなりました。母は父がそうなるまで耐え抜いたのでした。
晩年の母は、兄一家と同居していました。介護が必要になった母に私が、「何か困った事や、して欲しい事があったら教えて」と尋ねると、母は、
「兄ちゃん(私の兄)がちゃんとしてくれるから大丈夫。今は幸せ」と答えました。
今の時代に生きる私にしてみれば母は不遇に見えました。母の一生は戦争で滅茶苦茶にされたし、戦後も、暴力的で無茶苦茶な父と結婚して苦労の連続でした。しかし、それも過ぎてしまえば「今は幸せ」と言える心境になったのでしょう。
私の苦労など、両親のそれとは比べ物にならないほど軽いものです。しかし私も60代後半になって、様々なつまずきや経験を重ねた事で、少しずつ両親の気持ちが分かるようになってきました。
3.瀬川さんの絵
漫画家の瀬川 環さんが、この川柳からイメージした絵を描いてくれました。
瀬川さんの原画は、もう少し室内を広く描かれていて相対的に人物が小さかったのですが、ここでは人物の表情をよく見て欲しかったので、便宜的に周りをカットして人物を大きめにさせて頂きました。
夜のファミリーレストランでしょうか、人物は親子二人だけが描かれています。若いお母さんは何だか物憂げな表情で誰かに手を振っています。子供は楽しそうに足をばたつかせながらパフェを食べています。
私は、母親が手を振っている相手は男性で、離婚が決定的になった夫か、再婚したいと願っていたが断られた彼氏ではないかと想像しました。「うまくいかないわね」という母親の心の声が聞こえてきそうです。
瀬川さんから、「『母親のくせに何故こんなこともできないんだ』と白眼視したり恨んでいた子供が結婚し、似たような状況を体験して初めて『こういうことだったのか…』と想い返る図が浮かんだのでそのイメージを描きました。」とのコメントを頂きました。
子供の頃は理解できなかった人間関係の機微が、大人になると理解できるようになります。大人には損得勘定、駆け引き、世間体、心変わり等、自分勝手な汚い部分がありますが、全部含めてそれが大人の正体なのでしょうね。
今を生きる事は、結構な苦しみが伴うものだと思います。しかし、それでも生きていけば、楽しい事や嬉しい事にも出会えます。些細な事でも楽しいとか嬉しいとか感じる事ができれば、その時は幸せな気分になれます。
若い頃は、つまずきで絶望してしまう事がありました。「人生山あり谷あり」という言葉を聞いた事がありますが、46歳で銀行を辞めるまで私は、「俺の人生は25歳から46歳までずっと谷底だな」と、度々感じていました。
しかし、それでも母の血筋か、耐えられるぎりぎりまで勤めた結果、経験値が上がりましたし、今は2ヶ月に一回預金口座に年金が振り込まれる身分になりました。金額的に先々不安はありますが、一人ですから不安もほどほどです。
一人で寂しいと言えば寂しいですが、反面、私自身に突然不幸が訪れても、誰も路頭に迷う事が無いという気楽さがあります。
つまずいた時は辛くて苦しいけれど、その時期を耐えて抜ければ、少しは光が見えるものですし、そのつまずきも自分の経験値のプラスになる筈です。そんな風に思って今を生きる方が楽です。
できれば、過去の辛かった事は過ぎた事と葬り去って、「今は大丈夫だ。これからは幸せになれる」と、できれば片頬に笑みを作って生きていきたいと思っています。