「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」(ネタバレなし)
「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」
ジョーカー:フォリ・ア・ドゥを見に行った。
この作品は、記録づくしで大成功の興行となったのみならず、世界中に社会現象を巻き起こした問題作である。2019年にレバノン、チリ、イラク、中国で、ジョーカーの白塗りメイクで実際に暴徒化するものがあらわれた。
また、アメリカでも「選挙に不正があった」とするドナルド・トランプの主張に呼応して、熱狂的なトランプ支持者たちが議会議事堂に雪崩れこむ事件が発生。
悲劇を喜劇として描き、混沌とした無秩序を肯定しかねない本作品はアメリカ社会に大論争を起こした作品であった。
その続編となるジョーカー:フォリ・ア・ドゥ
今作では前作のジョーカーの殺人罪を巡って裁判の様子が描かれている。
胸が締め付けられる映画であった。
「誰も僕の声を聞いてくれない。」
「いないものとされている。」
6人を殺している主人公ジョーカーだが、傷つきやすい一人の単なる人間。弱い人間。私たちと同じ一人の人間である。
優しかったアーサーフレックが6人を殺害したジョーカーになり、ジョーカーに感化されたホワイトハウスを囲む白塗りの暴徒化した大衆。その衆愚社会のアイコンとしてのジョーカーということを期待していた観客にとっては、今作品は期待したものとは違うものになっていた。
ミュージカルが苦手な私であるため、正直前作よりもミュージカル要素の強い今作は、内容が頭に入りにくいところもあった。それでも、胸が締め付けられる苦しい場面が何度もあった。
私には何ができるのだろう。
多分何もできない。
ありがたいことに愛をうけて育った私だから、人を信じたり、挑戦したりできる。
でも、そうではない人がいる。たくさんいる。
私も与えられた愛があるから、社会に対して、人に対して、恩返しをしていきたいという強い思いがある。
しかし、私には何もできないのである。
愛を感じることができなかった彼らが、希望を持つことなんて許されない社会だとしても、
それでも、社会に対して「YES」と言いたい。
信じたいものを信じることしかできない。
私は私にできることをコツコツやっていくだけ。
今日も最高の1日でした。
明日も最高の1日にします。