連載126 2024年9月のエッセイ「絹さやがない!?」
Silken beans are made of kindness(絹さや はやさしさからできています)
朝4時台の民放のニュース番組。キャスターの顔がみんな無表情。眠いんだろうなー、隠しきれていない。そう言う自分は3時台に起きてるんだけど。朝までぐっすり、なんてまず、ない。それが自分のスタイル
いま、つれあいのためのお弁当を平日は毎日作っている。毎日だとアイディアは枯渇し、飽きられてしまう。なんか見た目も華やかで、おいしくて、栄養のあるものないかな?ネットをサーフィン(死語?)していて、これいいかも?と思ったのが
三色丼。鶏そぼろの茶色、真ん中に絹さやのみどり、その隣にたまごそぼろのきいろ。うん、いいんじゃない?鶏そぼろも初めて作るメニューだ。鶏ひき肉(今までほとんど使ったことがなかった)をさとうとしょうゆとお酒で炒める。お味は、うん甘くておいしい!きいろのたまごそぼろは簡単。
で、問題はみどりの絹さや。これが手に入らない。なぜ?売っていない? どこのスーパーでも絹さやは見当たらなかった。季節があるのかな?と思ったけどそうでもないらしい。なぜだ?
とにかく手に入らない。代わりのものを探さなきゃ。思いついたのが、枝豆だ。冷凍枝豆を解凍し、絹さやの代わりに並べれば、ほーら見栄え位は悪くない。枝豆は問題なく美味しいしね。お弁当も綺麗でしょ?
でもなぜ絹さやは売っていないのだろう? エンドウマメでもある、という説もあるけど、どちらにしても売っていない。だれか詳しい人、教えて!!
発表当日4:30まで残していたあとがき
フリーエッセイ、別な文を本当は用意してた、この日の午前4時半までは。
内容は最近の本音を吐露した文だった。
本音って割と誰もついてこれないんだよね。そこまで聴きたくはないっていうか。誰も他人にそこまで興味ない。
そんな文を公表してもしょうがないか、差し替えることにした。何のために読んでもらっているのか、クスっとして読了感がスッキリしてもらいたい。本音は別なところで読んでもらう。
2024年9月 当時を振り返って
1週間前の月報にこっそり載せたエッセイ、フリー篇。
・・・上の区切っている、あとがき その1は発表当日の朝4:30に書いて残していたもので、いま書いているこの”本当の”あとがきはリアルタイムのいま、9/24 6時50分に書いている。本文の絹さやの話は、ずっと頭の隅にあったもので月報当日の早朝、すぐに書いて入れかえた。いまもスーパーで絹さやは注意してみているけど、売っていない。もうそこまでの執着はないのだけどね。部屋の月報ぷれぜんでこっそり公開しているのだけど、気づいた女性から「お弁当おいしそうですね」と感想をいただいた。そう、おいしそうに見えるものを載せているのです。どのくらいの範囲でこのエッセイが身バレしているのか預かり知らないけど、読んでくれて感想をいただけるのは嬉しい。
ボツにした方の本音のエッセイ。今読み返しても苦しい。本音って苦しいんだね。
やっぱりこんな感情、みなさんに読んでもらうべきじゃない。お蔵入りにする。どうしても読みたい!という人がいるだろうか。いやいない。だれもそこまで深く考えていない。
さあ、そろそろ、ご飯が炊ける。もう7時になる。お弁当を作らなきゃ。
じゃあね、今日も無事に終わりますように。
アウフ・ビーターゼン!
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