リアルタイムなエッセイVol.63「14歳、谷川俊太郎のえをかく、を唄う」
14歳、中学三年生の夏、ボクはうたを唄っていた。
1学年300人、3学年で900人もいるのに、毎年、合唱部は人が足りなくて大会に出るにも四苦八苦。だから合唱部顧問で美人のサイトー先生が毎年、独断で3年生の各クラスから選抜合唱部員をピックする。
ちょっと声が高かったボクは、テノール強化でピックされた。当時のボクはバドミントン部で、そんなに熱心な部員じゃなかったけど、まだダブルスで県大会が残っていた。でも合唱は好きだったので選ばれて嬉しかった。初夏からピックアップされた選抜隊プラス合唱部は活動を開始。県大会に向けて、まずは県南大会に臨む。課題曲「虹のうた」と自由曲「海はなかった」。ピアノを弾いていた長身の優等生むらしょーが最後の一音のタイミングを外しヒヤヒヤしたけど、無事に県大会を決めた。
「虹のうた」はこちら。もちろんこれはボクらの歌声ではない
そして「海はなかった」はこちら。これもボクらの声ではない。
その後、夏休みに入る前にダブルスは県大会で散った。ボクらは上手くない急造コンビだったし、相手はその筋では名門だったので、まぁボロ負けと言ってもいい内容。そんなに悔しくなかったし、終わってほっとした。
合唱も夏休みに律儀に練習に行き、ある意味、バドミントンより熱心にやった。夏休みが明けて、県大会。
一生懸命やった。でも、賞には選ばれなかった。
県大会が終わってしまうと、もう終わりだ。でも、もう一曲やりたいね、と先生が選んだのが谷川俊太郎の「えをかく」だった。
まずはじめにじめんをかく
つぎにはそらをかく
それからおひさまとほしとつきをかく
でだしはこうだった。早いリズムで次々に絵を描いていく。
結局、何度か練習はしたものの、明確な大会というモチベーションがなくなり、秋になり進路があるボクたち三年生は、この曲を未完成なまま舞台から降りた。
谷川俊太郎がこの世を去った、そんなニュースを聞いて14歳、うたを唄っていた自分を思い出した。