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「夢けやふり」 01

  夢蹴破り君が男(お)たけびいでてゆく
  凜凜しきさまを又夢に見つ

※ ※ ※ ※ ※

平井保喜(康三郎)が
昭和十八年に発表した
野村玉枝の歌による
聖戦歌曲集《雪華》の第五曲。

歌集『雪華』では26首目になる。

先の「目ざむれば」とおなじく
「夫戦場に出でて六十日」
からはじまる
一連の歌のひとつである。


夫勇平が出征してのち、
この歌を詠むに至るまでの間に、
玉枝は夫から
遺書を含め、都合4通の手紙を
受け取っている。

※ ※ ※ ※ ※

夫より第一信着く。

『途中、石動、金澤、福井、大聖寺、
 鯖江、米原等ニテ停車の後、
 〇〇日午前六時頃小野濱駅着、
 駅前加藤館ニ一夜宿泊、
 〇〇日午前七時出発、
 〇〇第三突堤ヲ午後二時二十分出港、
 心配ノ玄界灘モ波静カニテ、
 全期間天気晴朗、
 船酔モ一名モナク一同元気ナリ。
 本日夕刻ウースン突堤到着、
 明二十一日上陸ノ予定、
 只今上陸準備中。
 皆健在デ。十月二十日正午。』

ほとんど同時に第二信、
父母、妻、弟宛の遺書、
つづいて第三信着く。

『二十一日午前四時頃
 ウースン近クヘ到着、
 船一時停泊ス。
 周囲に軍艦、御用船、多数アリ、
 飛行機モ絶エズ飛ブ、
 護衛の為ナラン。
 天気良好、
 昨夜アタリ十五夜ノ月ナラント
 船中ニテ眺ム。
 本日午後二時〇〇ニ於テ上陸、
 夜行軍ニテ第一線後方ニ
 今晩ハ露営指令ヲ受ケ、
 明日第一線到着ト共ニ
 戦闘ニ加ハル由。
 上陸ノ声ヲ聞キ一同緊張ス。
 愈々働ク時来ル。
 十月二十一日午前十一時半』

(野村玉枝『雪華』より)

※ ※ ※ ※ ※


昭和12年7月7日に発生した
「盧溝橋事件」については、
あくまで偶発的に起きたものであるとして
日本と中華民国は協定を結び、
一旦はここで矛を収めようとしていた。

だが、その後も各地で
テロや武力衝突が相次ぎ、
次第に紛争は「戦争」の形へと
様相を進化させていく。

戦火が上海に飛び火したのは同年8月。

既に7月下旬からその兆しはあり、
揚子江沿岸部に居留していた
民間の日本人たち(在留日本人)は、
7月28日の訓令により移動を始め
日本軍の駐留する上海に集まりつつあった。

8月上旬の時点では
6万近くの在留日本人が
上海に集まっていたそうだ。


そうした中、8月12日に
中華民国軍2個師団3万による
上海攻撃が開始される。

当時上海に駐留していた日本軍は
海軍陸戦隊の4千名程度。

かれらが中国軍3万に応戦しつつ
上海に集まっていた在留日本人の
上海脱出・日本帰国を行ったのである。

(続く)
(写真は12年8月13日、上海市街に侵攻してきた中華民国軍に対し
 陸戦隊本部の置かれたビルの屋上に砲を据えて応戦する日本軍。
 毎日新聞社刊『1億人の昭和史 日本の戦史3 日中戦争1』より)

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