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「メソード演技」の思い出 01

スタニスラフスキー・システム、
「メソード演技」というものを知ったのは
いつ頃のことだろうか。
私が最初にオペラの舞台に立つにあたり
演奏・歌唱とは別の
舞台上での「演技」を意識した時なので、
藝大1年(1983年)の秋には、
既に本を手にしていたと思う。

エドワード・イースティ著『メソード演技』では
スタニスラフスキー・システムの紹介と
アメリカの「アクターズ・スタジオ」で
いかに実践されていたかが紹介されており、
当時の演劇人達の間では
静かなベストセラーだったようだ。

もっとも、
スタニラフスキーが提唱した
新しい演劇・演技表現の思想と方法論は
戦前どころか19世紀末からの
時代に即した文芸の潮流に乗ったものであり、
従来の寓意的な「型(形)」に依った
型の組み合わせによる演劇表現ではなく
「動機の結果としての動き」
を追求したもの。
この流れは日本の演劇界でも
明治末から取り入れられ
新劇の流れを汲むほぼ全てのジャンルで
大なり小なりメソードが取り入れられている。

スタニスラフスキー・システムについては
「意識下の意識・無意識の動機に基づく演技」
演劇マニアの間では70年代で既に
「基本的な教養」として知られていたが、
広く一般に知られるようになったのは
かわぐちかいじが84年から連載した
漫画「アクター」のヒットがあると思う。

※ ※ ※ ※ ※

大学二年の時に
三年次から始まるオペラ実習の予備講義として
「オペラ基礎演技」という授業があり
前期では演劇台本の読み合わせ、
後期ではモーツァルト「コシ・ファン・トゥッテ」の
レチタティーヴォ部分を使っての
「音楽を伴わない、純粋なお芝居としての演技」
が課題として取り上げられた。

台詞と台詞の間の「間」に存在する感情、
その感情と思考の結果としての「台詞のスピード」
相手から投げかけられた言葉を
どのように受信し
頭で咀嚼し
あるいは感情的に反応し
相手にかける言葉として発信するか
この一連の心の動きと
それに付随する身体の各部筋肉の動き
表情の動きと
結果としての台詞の発言が
前期での課題だったのだけど、
実際には、先生は特に説明せず
「間がわかってない」
「棒読み」
「おかしな表現になっている」
といったチェックに終始していたな。

無理もない。
全くの演劇初心者が特に説明も受けずに
渡された台本を読めと言われたら
棒読みになったり
イントネーションが狂ったり
常ではない表現に陥るのは当たり前の事。
本来であれば一人につき数十時間をかけて
身体に沁み込ませるべき演技の基礎を
週に1回、それも半期で終わらせるとしたら
本当に「さわり」の部分しかできないものだ。

ただ、この台本読み合わせの先生は
確かにスタニスラフスキー・システムに沿って
課題を出し、エクササイズを行い
生徒自身に検証させるという手法を用いていた。
そこから先は
生徒自身が問題意識を持ち
それをどのように克服すべきかを
自ら模索しろということだったのだろう。

前期の先生は
あまりヒントを出してくれない先生だったので
生徒達の評判はあまり芳しくはなかったけれど、
私にとって、この先生の授業は
前年に手に入れた「メソード演技」の本と共に
思い出深いものとなっている。

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