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「専門性と責任」考 03

とあるオペラの公演で
四国に行った時の話。

あれは本番直前のオフ日だったか、
それとも初日組が終わった後だったか、
まだ全日程を終えた訳ではないので
軽く皆で一杯飲んで親睦を深めようと
お誘いがあった。

酒が飲める体質ではなく
また本番も控えている身なので
あまり気は乗らなかったが、
いつも断るのも悪いと思い
少しだけ顔を出すことにした。

行ってみると、
思ったより多くの人が集まって
賑やかにやっている。

地元出身の音楽家や合唱団の方々、
ソリストに稽古ピアニストやスタッフまで
皆で和気藹々と騒いでいた。

新たに人がくる度に乾杯を行い
年配の人達が多かったせいか
あちこちで煙草の煙が立ち上り・・
まあ、典型的な「昭和の宴会」である。


覚悟はしていたものの、
さすがに皆と同じように
羽目を外す訳にもいかず、
出来るだけ早く切り上げて
宿に戻ろうかと考えていた矢先に
ちょっとした珍事が起きた。

稽古ピアニストとして
東京から参加していた若い子が
なにを思ったのか立ち上がって
「私、マッサージが上手いのよ。
 皆さん結構肩が凝っているようだから
 マッサージしてあげるわ。」
と、
皆の肩を揉み始めたのだ。

地元のオジサン連中は大喜びで、
肩を揉んで貰いながら顔を崩していたが、
そのうち私のところまでやってきて
私の肩を揉もうとする。

「いや、私はいいから」
と言っても取り合わず、
「大丈夫、痛くしないし
 とても楽になりますよ」
・・と、
強引に肩に手を伸ばそうとする。

周りの人達も
ちょっとした余興程度と考えているので
誰も止めようとはせず、むしろ
「やってもらったら?
 彼女、本当に上手いから。」
と、けしかける始末。

「マッサージは専門の人に頼むので
 ここでは、やって欲しくない。」

と説明しても、彼女は全く理解できず
せっかく好意で言っているのに
これでは興を削ぐと非難する始末。

これは敵わぬと、ほうほうの体で逃げ出した。

※ ※ ※ ※ ※

彼女は、おそらく
本当に善意で肩を揉もうとしたのだと思う。

その場にいて彼女のマッサージを受けた
他のオジサン達の反応からしても、
それなりに良い腕をしていたのかも知れない。

でも、私は絶対に
このような「素人」に
自分の肩を揉ませるようなことはしない。

なぜか?

演奏、ことに歌唱を生業とする者にとって
身体は楽器であり、商売道具そのものである。

身体の異変は、
それがたとえ小さな痛みであっても
身体のバランスを崩し
姿勢に、呼吸に、
ひいては演奏そのものに
悪い影響を与えることになる。

捻挫ひとつ、筋違えひとつで
歌が歌えなくなる時もあるのだ。

身体の隅々まで目を光らせて管理を行い、
万全の体調で公演の舞台に望み
与えられた仕事を望まれるクオリティで
こなすことこそ演奏家業の責任であり、
仕事中は、それを第一に考えなければならぬ。

であればこそ、
間違っても資格すら持たぬ素人に
自分の身体を任せることなど
できるはずもないのだ。

そして、
もしそれを任せるとするならば、
それによって生じた結果の責任は、
全て自分自身が負わねばならなくなる。

これが鍼灸マッサージ師の国家資格を持ち
マッサージ師として開業している者であれば、
万一なにかの事故が起きたとしても
その責任を施療者に問う事ができるだろう。

だが、
資格を持たぬ素人に身体を任せ
万一、筋違えを起こして
稽古や舞台に支障が出たら、
その責任は誰に問えば良いのだ?

その資格もないのに
強引に他人の肩を揉もうとした
件の稽古ピアニストか?

それとも、
どのような経緯があれ
素人にマッサージを任せてしまった
自分自身か?

答えは明白だろう。

どのような結果が起ころうとも
その責任を
マッサージしたピアニストに
問う事はできない。

資格もない素人を
安易に信用した自分が
全て悪いのだから。


「餅は餅屋」というのは
決して軽く考えて良い事ではないのだ。

運転免許を持たぬ者が
運転してはならぬように、
医師免許を持たぬ者が
他人に医療行為を行ってはならぬように。

「堅苦しい」と思うかも知れないし、
「人の好意を台無しにして」と
憤る人もいるかも知れないが、
これは私という専門家が
専門家として生きていく以上
当り前のことではないかと考えている。


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