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小説『天使さまと呼ばないで』 第47話
東京に向かう新幹線の中で、ミカは窓の外の景色を眺めていた。
SNSでの大炎上がまるで嘘のように、夕暮れの空は和やかで、優しい。
あまりに穏やかな空気に、自分は悪い夢を見ていたのではないかと思った。
しかし、スマホを見ると、これが現実であることに気付かされる。メールやLIMEでカウンセリングやセミナーのキャンセルの連絡がひっきりなしに来ているからだ。
東京に着き、ショウと合流する。急なミーティングということもあって、今日はコワーキングスペースではなく駅前のコーヒーチェーン店に入った。
最初に、レジでミカはコーヒーを二人分注文する。席についてすぐ、今日のミーティング料金としてショウに1万円を支払った。
「どうしたんですか?今日は」
「実は・・・」
ミカが事の顛末を説明すると、ショウの顔はどんどん険しくなっていった。かと思うと、最後の方には足組みをしながらつまらなそうにスマホを取り出し、適当に相槌を打つだけだった。
ミカは尋ねた。
「・・・これからどうすればいいですか、ショウさん」
「どうって・・・」ショウは馬鹿にするように失笑してから、スマホをいじりながら答えた。
「現時点で、スクールの方の予約は何人なんですか?」
「えっと・・・さっき確認したら、まだキャンセルの連絡が来てないのは4人でした」
「じゃあ4人でやればいいだけの話じゃないですか?」
ショウのあまりに投げやりな言い方にミカはショックを受けた。
「・・・でも、多分まだ騒動を見てないだけだと思うので、もしかしたらまたキャンセルが出るかもしれません・・・」
ショウはスマホから顔を上げることもなく言う。
「じゃ今すぐ振り込みの連絡をしましょう。振り込ませてしまえばキャンセル料が発生するからこっちのもんです。あーあ、こんなことなら申し込みと同時に振り込みにすればよかったな」
「・・・でも、私怖いです、こんなに騒動になったら、スクール始まったらますます叩かれそうですし・・これ以上どんな誹謗中傷を受けるかと思うと、もう、怖くて怖くて・・・」
「ほっとけばいいんですよ、アンチなんて」
嘲るようにショウは言って、明後日の方を見た。
「どーせ負け組なんだから」
なんと答えればいいか分からずミカが黙っていると、ショウは言った。
「・・・それにしても、貴女はもっと頭の良い人だと思ってましたよ」
あまりに冷たく突き放した言い方に、ミカの心臓は凍てついたように感じた。
ショウはテーブルの脚を何度も蹴りながら言う。
「アンチなんて無視すりゃ良いものを、わざわざ相手にするから墓穴を掘って、恥を晒して・・・2千万円をパァにして・・・」
「すみません・・・」
ミカの言葉など聞こえていないかのように、ショウは不機嫌そうにスマホをいじり続ける。
「ショウさん・・・これから私、どうしたらいいんでしょう。どうすればこの騒動をおさめられるでしょうか・・・カウンセリングやセミナーのキャンセルもさっきからひっきりなしに来てて、このままだと生活も危ういんです・・・」
「知りませんよ、そんなこと」
あまりに無責任な言い方を続けるショウに、とうとうミカはキレた。
「・・・ちょっとさっきから、あんまりじゃないですか!そりゃあ私がやったヘマですけど、ショウさん私のこと守るヒーローになりたいって、年商を20倍にするって、言ってくれたじゃないですか!ちゃんと真剣に考えてくださいよ!」
「ヒーロー!」
目を丸めて小馬鹿にするように言って、ショウが吹き出す。
「そんなもんは喩えですよ。言葉のアヤです。
自分を売り込む時に少しでも良いことを言うのは、商売人として当たり前のことじゃないですか。あなたも商売やってるんだから、そのぐらいわかるでしょう?」
ショウはまるで子供に言い聞かせるように言った。それは優しさからではなく、ただこちらを見下している態度なだけだ。ショウは続ける。
「それに、僕は『相談に乗る』とは言いましたけど『解決する』とは言ってません。『年商20倍にする自信がある』とは言ったけど『絶対に年商20倍にする』なんて言ってませんから」
「そんな・・・!酷い、騙したのね!!!」
「僕は騙してなんかいません。あなたが勝手に都合よく思い込んだだけでしょう?
それにあなたも大人だったらわかるでしょう。いざとなったときには、ちゃんと自分で考えないといけないって。
コンサルタントの契約をする時だって、僕はあなたに「契約しろ」なんて命令したこと、一度もないですよ。契約するという選択をしたのは、あなた自身です」
ショウは冷たい目のまま、続けた。
「僕に責任をなすりつけるの、やめてもらえますか?
僕が何を言ったとしても、実際にどうするかを選択したのはあなた自身なんですから」
ミカは何も言い返せなかった。
気づいてしまったのだ。
ショウの理論は全て、自分が信者に対して投げかけていた言葉と同じことを。
ミカにとってショウに反論することは、すなわち過去の自分を否定することと同じだった。
都合の悪い事実に直面したミカは、非難する矛先を変えた。
「・・・私、あなたに体まで捧げたのよ!?」
ショウは大きくため息をつく。
「体を捧げた、だぁ?10代の処女じゃあるまいし、バツイチの厚化粧ババアにそんな価値あるかよ。
これだからババアは嫌なんだ。ちょっと寝ただけで彼女気取りで自惚れやがって。
俺はな、抱くのは20代までって決めてるんだ。それをわざわざ相手してやって、こっちが金を取りたいぐらいだよ!誰がお前みたいな、腐ったババアと好んで寝るか!」
あまりの暴言に、ミカの頭は思考を拒否した。ただ耳鳴りのような音が聞こえる感覚がした。それから、頭がぐわんぐわんと揺さぶられているような感じもした。目は見えていてショウの姿がちゃんと映っているはずなのに、視界が真っ暗な気がする。喉がカラカラになり、唇は乾いて震えている。
それでも、少しでも何か言い返したいと思ったミカは、振り絞るように声を出した。
「この詐欺師・・・!!!」
「俺が詐欺師ならアンタだって詐欺師だ。俺よりももっと悪質のな」
そしてショウは吹き出す。
「天使なんて、いもしないものを謳ってるんだからよ」
ショウがはなから天使など信じていなかったことに、地味にショックを受ける。
「そんな・・・私は・・・」
「そんなつもりはなかったって?よく言うよ。あんだけ大勢のバカな女どもから大金を集めておいて」
「私はあなたとは違うわ!みんな幸せになったって言ってくれてたし、感謝してくれたもの!」
「幸せになった、だぁ?・・・良いことを教えてやるよ。アンタが売ってたのはな、『幸せになる方法』じゃなくて、『現実逃避する方法』だ。ブスや無能や底辺どもが"現実"っていう痛みから逃げるためのな。
アンタが売ってたのは、麻薬なんだよ」
「そんな・・・!」
「詐欺師よりももっとタチが悪いよなぁ?客を依存症にさせんだから」
ダメだ。
これ以上話していても、余計に傷つくだけだ。
ミカは黙ってこの場を去ることにした。あまりにも悔しいので、去り際にショウを見下ろしながら、精一杯の嫌味を投げかけた。
「・・・あらぁ、頭頂部、よく見たら禿げてますね?」
ショウは慌てて頭を押さえる。ミカは馬鹿にするように笑った。
(ハゲてしまえ!)
今は天使より悪魔と契約したい気分だ。あの男に死より苦しむ不幸を与えてほしい(できることなら今すぐ全部の髪が抜け落ちてほしい)。
ミカはそのまま、元来た駅に戻り、新幹線に飛び乗った。
外はすっかり暗い。金貨のような満月は、まるで今日何事もなかったかのように美しく輝いている。
ぼーっと眺めていると、涙が出てきた。
ショウに言われた暴言の数々が、頭の中で鳴り響いた。
厚化粧だの腐ったババアだの言われたことも勿論ショックだったが、それよりもショックだったのは、ショウから発せられた言葉が、自分がかつてクライアントに対して思ったり、言ったりしたのと同じだった事実だ。
『そんなもんは喩えですよ。言葉のアヤです。
自分を売り込む時に少しでも良いことを言うのは、商売人として当たり前のことじゃないですか』
ホラ、『幸せになれる』っていうのは、言葉のアヤみたいなもんよ。
宣伝する時に少しでも良いことを言うのは、商売として当たり前のことでしょう?
『あなたも大人だったらわかるでしょう。いざとなったときには、ちゃんと自分で考えないといけないって』
(でも、大丈夫よね。私が何を言ったとしても、実際にどうするかを選択するのはあの人自身だし、いざとなったときには、自分で考えられるはずだもの)
『それから、契約する時だって、僕はあなたに「契約しろ」なんて命令したこと、一度もないですよ。契約するという選択をしたのは、あなた自身です』
『僕が何を言ったとしても、実際にどうするかを選択したのはあなた自身なんですから』
私はエリさんに、『仕事をやめなさい』なんて命令したこと、一度もないですよ。
それで仕事を辞めるという選択をなさったのは、エリさん自身ですよ。エリさんは自分の意思で、仕事をお辞めになったんです。
ミカは、ショウのことを最低で、生きる価値もない、人でなしだと罵りたい気持ちと、そうしてしまうと自分自身をも最低で、生きる価値もない、人でなしだと認めることになるジレンマで、頭がおかしくなりそうだった。
どうすることもできなくて、ミカはただぼんやりと月を眺めるだけだった。
今日は窓際の席を選んでよかった。ミカはずっと窓に顔を向け、涙が止まらないことを誰にも悟られないようにした。
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第48話につづく