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小説『天使さまと呼ばないで』 第36話
しばらく、家に一人残されたミカの脳内では、先程のコウタの言葉がずっと響いていた。
こんな商売を続けるなら・・・別れてくれ、ミカ
どうすればいいんだろう。
もちろん、家のお金を勝手に使うのは良くないことだし、ミカの仕事は"見えないものを信じないタイプ"のコウタが好むものでは無いだろうことも頭では理解していた。・・でも、心のどこかで、『コウタなら許してくれるんじゃ』という甘い期待があった。
しかし、"離婚"という事実を突きつけられて、ミカは自分が思っていたほど、コウタから必要とされていない現実をひしひしと感じた。
胸が、苦しくなる。
とにかく、今は誰かに話を聞いてもらいたい気分だ。
ミカはスマホを取り出し、一番よく使っているSNSのFactbookを開く。
ミカのフォローしている人は100人ほど。そしてミカのフォロワーは1000人以上いた。ミカはその中から、誰か自分の話を聞いてくれそうな人を探した。
だが、誰もいない。
その中には誰も、自分の悩みを打ち明けられる人間がいなかったのだ。
(誰もいない・・・)
昔のミカだったら、こんな時は親友のナミに相談できたはずだ。ナミは厳しいツッコミを入れながらも、正しいと思う道を教えてくれただろう。しかしそのナミとも、もう縁を切ってしまった。
学生時代の友人に相談しようかとも思ったが、仲がいい子は皆ナミとも繋がりがある。
もし、ナミがみんなに『ミカが怪しい仕事をしてるから縁を切った』という情報を流していたら・・・ナミは陰口を言うような人間ではないが、それでももし何かのきっかけで話題になっていたとしたら・・・恥ずかしくてとても相談などできない。
もちろん、Factbookでこんなことを書けるはずもない。何故なら自分の人生は常に"喜び"しかなくて、幸せそのものだとあれだけ豪語していたのだ。ここで弱音を吐けばそれが全て嘘になってしまう。
ミカは、この世界に自分が一人しかいないような心持ちがした。
どれだけフォロワーがいようが、どれだけ信者に崇拝されていようが、ミカが"弱み"を見せられる人間は、その中には一人もいないのだ。
ミカは考えた。
もし、コウタとの結婚生活を続けたら・・・
今既に150万円以上は貯めてはいるが、コウタは「真っ当な仕事で稼いだお金で200万円を返して欲しい」と言っていた。
既に貯めた150万円は溜まっているクレジットカード(リボ払い含む)の一括返済にあてられるとしても、コウタへの返済はまた0の状態から始めなければならない。
新しいパートで月に10万円稼げたとしても、5万円は家計に入れなければならないし、基礎化粧品やスマホの通信費などを考えると1万円はどうしても必要だ。
そうなると、ひと月に4万円しかコウタには返すことができない。
前回リボ払いの立替をしてもらったときに、何の猶予も減額も無かったことを考えると、コウタは200万円をきっちり全額返すことを要求するだろう。
ひと月4万円ずつ貯めて、200万円にするには・・・
ミカはスマホの計算機機能を出して数字を打ち込んだ。出てきた数字は・・・
「4年!?」
思った以上の期間に気が遠くなる。しかも、その間は高級な化粧品や、新しい洋服など買えそうもない。それに妊活だってできなくなるだろう。
(これから4年間、ずーっとただ馬車馬のように働くなんて・・・)
想像しただけでゾッとする。最近の贅沢続きで、ミカは生活レベルを落とすことなど想像もできなくなっていた。
それに、今すぐこの商売を辞めるとなると、来週のセミナーやお茶会もキャンセルしなければならない。お茶会はまだしも、セミナーは場所を押さえているからキャンセル料も払わなければならないし、参加者に説明もしなければならない。「夫に霊感商法するなと言われたからやめます」なんて説明するのは惨め過ぎる。
また、あのセミナーで浴びた拍手喝采や、羨望の眼差しを、ミカは忘れることができなかった。
せっかく自分にセミナーの才能もあることがわかり、天職と思えるほど楽しい時間を過ごせたのに、たったの一回でそれを捨てるなんて勿体なさすぎる!
・・もし、コウタと別れる道を選択したらどうなるだろう?
もちろん、家賃や食費などの生活費は全部自分で払わなければならないけれど、200万円の借金はチャラになる上に150万円の原資もある。それに、来週のセミナーとお茶会で50万円以上は稼げるはずだ。
それに今まで、コウタにバレない様に予約を入れられなかった平日の夜や土日にもたくさんカウンセリングができるし、セミナーの回数だって増やすこともできるだろう。そうなれば稼ぎも倍増だ!
更に、コウタにとやかく言われたくないからとコッソリと買い足していたブランド品も堂々と買うことができるし、毎日オシャレで豪華なフレンチやイタリアンを食べに行ってもかまわない。
そう思うと、コウタの存在は重い足枷であるような気がした。
ミカは、左手の薬指を眺める。
小さなダイヤモンドが波状に嵌め込まれた結婚指輪は、愛の証ではなく、自分の自由を奪う鎖のように見えた。
「・・・別れよう」
ミカはそう決心した。
コウタが帰ってきた。いつもはただいまの一声があるが、今日は無言でただミカを見つめている。
ミカは思わず立ち上がり、喉の奥から声を振り絞った。
「コウタ・・・、別れよう」
コウタは、ただ黙って頷き、そのまま自室に入って行った。
(引き留めてはくれないのね・・・)
呆然としながら、椅子にかけ直す。
改めて、自分はもうコウタには必要とされていないのだという事実がひしひしと感じられて、胸が凍てついたように痛かった。
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その晩、ミカは夢を見た。
暗い夜道を歩いていると、子供の泣き声がする。
ミカはあたりをキョロキョロと見回しながら、その声の主を探した。
すると前方に、白い服を着た女の子がこちらに背を向けてうずくまって泣いているのを見つけた。
近づいて見てみると、女の子の肩甲骨からは小さな白い翼が生えていた。白い服と色がよく似ていたので、遠目からは翼があることがわからなかったみたいだ。
「どうしたの?」
ミカが女の子の背中に向けてそう尋ねても、何も答えない。
近づいたミカが女の子を覗き込むようにすると、ようやくその女の子は顔を上げた。
その顔を見た瞬間、ミカはギョッとした。
女の子の顔は、幼い頃の自分そのものだったのだ。
女の子は、何も言わないまま、ただ目から大粒の涙を次々に流して、ひたすらにしゃくりあげていた。
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第37話につづく