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小説『天使さまと呼ばないで』 第40話


ミカはハワイから帰った後の4月から、カウンセリングやセミナーの値段をさらに上げた。

カウンセリングは1回8万円、スペシャルカウンセリングは16万円、オンラインカウンセリングは3万円、セミナーは1万5千円、お茶会は3万円だ。


そうしないと、ミカの飽くなき贅沢を補填できるだけの収入が確保できなかったからだ。


ミカの浪費っぷりは、コウタと別れて以降、指数関数的に増えて行った。

『離婚したことを不幸に思われないために』と始めた特別な買い物や旅行は、いつしか『自分に憧れてもらうため』の必要経費となっていった。

・・・否、本当はただ単純に、コウタのいない寂しさを埋めたかっただけなのかもしれない。

贅沢をしている間は、新しい高価なものが手に入った瞬間は、ミカの心は悦びに満ち溢れていた。

そして、自分がコウタに愛想を尽かされた日が、コウタが黙って頷いて離婚を承諾したあの瞬間が、キレイさっぱり忘れられるような気がした。

でも、夜寝る時は決まって、その時のことを思い出してしまうのだ。

そんな時はスマホを取り出し、自分のブログやFactbookを見る。そうすると、数千人の人々が自分のフォロワーで、自分の記事や投稿に数百以上の『いいね』がついていることにホッとする。

自分が一人では無いと、離婚の選択は間違いではなかったと、言ってもらえている気がした。



今のミカのブログを、もし"普通の人"が読んだらゾッとすることだろう。

そこにはいかに『天使を信じれば幸福になるか』や『ミカの制作したハンカチを持つだけで運気が上がるか』が羅列してあり、また『いかに平凡な日常がつまらないか』『結婚という制約がいかに不自由で人を不幸にするか』が怨念のように書いてある。

しかしミカはあくまで、宣伝のつもりでそうした文章をしたためていた。

『できるだけたくさんの人に、自分のカウンセリングに来て欲しい』

『そして自分がみんなを幸せにしてあげたい

そうした気持ちは、純粋で尊い善意だと思っていたし、たくさんの人を救うためにはそうした強い言葉を使うのは当然のことだと思っていた。


だから、こうしたミカの文章が、読んだ人々のささやかな幸せに気づく感受性を奪うことや、

『天使さまを信じれば幸せになる』という言葉は同時に、『天使を信じない人間は不幸になる』という脅迫となることなど、ミカは露ほども気づいていなかったのだ。



そしてミカは、カウンセリングに夫婦関係の悩みで来る人にもしきりに離婚を勧めた。

(私に聞きに来るってことは、離婚の後押しをしてほしいんでしょう?)

というのがミカの持論だ。

そして確かに、9割以上の人間は、ミカに『離婚しても良い』と言われることを望んでカウンセリングに申し込んでいた。

ミカはそんな人々に、結婚がいかに不自由で女を不幸にするものかと、離婚するといかに自由で満たされるかを力説した。

そうして最後に言うのだ。

「あなたも私のように結婚生活から"卒業"して幸せになっても良いんですよ。 自分のことを一番大切にしてくださいね

そうするとクライアントたちは皆、憑き物が取れたように晴れやかな顔になったのだ。




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5月の下旬の日曜日、今日は7度目のミカのセミナーの日だ。

セミナーは、初めて開催した日から毎月開催するようになっていた。ミカの軽妙でわかりやすい喋りが評判を呼び、4度目からは100人規模で開催するようになっていた。


今日も100人近い予約は全て埋まっていた(と言ってもたいてい毎回5人ぐらいドタキャンが出るので定員より少し多めに取るのだが)

今回からセミナーの料金は1万5千円に値上がりしたので、これだけで150万円近い収入となる。


セミナーはいつものごとく、大盛況で終わった。

後片付けをエリに任せ、会場から出ようとすると、まばらに帰っていく信者たちに逆行して、30代後半ぐらいの女性がズカズカと近づいてきた。


サラサラのショートヘアーに、小さな丸顔。そこにくりっとした大きな目が印象的な女性だ。

女性はいきなり、不機嫌そうな声でミカに詰め寄った。

「ちょっと!アンタがミカとかいう女!?」

何、この失礼な女・・と一瞬思ったものの、もしかすると信者にこの様子を見られるかもしれないと恐れたミカは、あくまで温和に応えた。


「あら・・・どちら様ですか?」

すると、女の声に気づき会場から顔を出したエリが慌てて駆けて来た。

「ちょっとぉ、お姉ちゃん!?」


なるほど。これがエリが前話題に出した"出来のいい姉"か。確かにエリよりずっと美人で、サバサバした雰囲気がある。


「アンタのせいで、うちの妹がおかしくなったのよ!」

ミカはあくまで、慈母の微笑みをたたえたまま、鈴のような声で喋る。

「・・ああ、エリさんが言ってたお姉様ですね、はじめまして。

エリさんのお話通り、とてもお綺麗な方ですね。エリさんにはいつもお世話になってます」

想定外の愛想の良さと褒め言葉に少し調子が狂う。チエはミカのことをきっと尊大で横柄な嫌な女だと思い込んでいたからだ。


あ、あんたが洗脳したせいで、妹は仕事を辞めたのよ!

「洗脳・・・?」

そう言ってミカは思わず吹き出した。なんて大袈裟な人なんだろう。

それに、アンタのせいで離婚したって報告してる人がネットにたくさんいる!

想定外のチエの言葉にミカは一瞬動揺したが、表には出さず平静を装った。

「お姉さま、何か誤解をされてます。私はエリさんに、『仕事をやめなさい』なんて命令したこと、一度もないですよ。ねえ、エリさん?」

ミカはエリのほうを向き、確認を取る。エリは口をへの字にさせながら大きく頷いた。

ミカは満足そうにそれを見て続ける。

もちろん、他の方に『離婚しなさい』なんて命令したこともありません。

・・・確かに、上司やパートナーが合わないようであれば距離を取った方が良いかもしれない、とは申しております。でもそれって、一般的な、普通のアドバイスでしょう?」

ミカはまるで初対面の人間をチエに紹介するかのごとく、上向きにした手の指先をエリの方に向け、静かに続けた。

それで仕事を辞めるという選択をなさったのは、エリさん自身ですよ。エリさんは自分の意思で、仕事をお辞めになったんです。もちろん、離婚を決められた方も同じです」

チエは想定外の答えに躊躇しつつ、それでもミカに負けじと勢いをつけて詰め寄った。

「でも、エリは・・・エリはアンタに近づいてからおかしくなって・・・天使なんて変なもの信仰しだして・・・!」


ミカは少しため息をついた。こういう時、どのように振る舞えばいいかミカは分かっていた。


謙虚で誠実な、エリの味方を演じるのだ。


「確かに・・天使という、普通の人から信じられないものの声を届ける私のような者は、お姉様のような、"一般"の方々からは、おかしなもの、変なものと思われて軽蔑されても仕方がないかもしれません。

ですから、私の理論を無理に信じていただかなくても結構です。

そして、エリさんに関わって欲しく無いのなら、私はすぐに身を引きます」

そしてミカは、チエからエリの方に体ごと向き直し、深々と頭を下げた。


「エリさん、ご家族の方にご心配をかけさせてしまって、ごめんなさい。そう思わせてしまったのは、私の力不足のせいだわ」

エリは慌てて両手を左右に振る。

「そんな・・ミカさんは何も悪くないです!私が勝手にミカさんについて行ってるだけで!」

「いいえ、エリさん、お姉様のおっしゃる通り、もし私のそばにいたくないのなら、無理にいなくてもいいのよ?

エリさんは素直で優しくてとても素敵な女性だから、離れるのはもちろん寂しいけれど・・・でも、エリさん自身の意思と幸せが一番大切だと私は考えているの。

だから私がエリさんの幸せにとって邪魔な存在なら、エリさんの卒業を心から祝福するわ」

ミカは目に力を込めてエリをじっと見つめ、続けた。

卒業すると、もう天使様の声をお伝えすることや、天使様にサポートをお願いすることはできなくなってしまうけれど・・・エリさん、どうする?

エリは即答した。

いえ!私はミカさんのそばにいたいです!

ミカは目を閉じておもむろに深呼吸してから、ゆっくり目を開け、抑揚をつけて確認する。

それは、本当に、自分の意思?

「はい、もちろんです!」

(勝った!)

そう確信しながら、ミカはチエの方を見てニッコリと笑った。

「先ほども申した通り、私はエリさんの意思が一番大切で、尊重したいと思ってるのですが、お姉さまはいかがですか?」

これで立場が逆転した。ミカはエリを洗脳しているのではなく、あくまでエリの意思に任せているスタンスを見せつけたのだ。

それに対して、エリを無理にミカから遠ざけようとするチエこそが、エリを洗脳しようとしている敵のようになってしまった。


ミカはチエにトドメを刺した。

「・・・実はお姉様、私が今の天使様の声を伝えるお仕事を始めたきっかけは、エリさんなんですよ」

「えっ・・・!?」

チエは動揺した。そんなこと、今まで聞いたこともなかった。

「私がまだこの仕事をする前に、趣味の仲間だったエリさんの相談に乗ったんです。その時に、エリさんが私の能力に気づいてくださって、私にこの仕事を勧めてくださったんですよ

ミカは段々と語気を強めながら、チエの目をじっと見つめて言った。

「ね、エリさん」

一瞬顔をエリに向け、笑顔で確認を取る。

「はいっ!お姉ちゃん、ミカさんの言う通り、私がミカさんにカウンセラーの仕事を勧めたんだよ!ミカさんには、私みたいな人をたくさん救える力があると思ったの!」

エリは自慢げにそう言った。


チエは怖くなってきた。

もしかしたら、目の前にいるこのモンスターを作り出したのは、エリだったのではないだろうか。

被害者だと思っていた妹が、まるで加害者・・否、この女と共犯のように見えてきた。


「・・・では、そういうことですから。さ、行きましょ、エリさん」

ミカはそう切り上げて、足早に立ち去ろうとした。

エリは慌てて荷物をまとめ、ミカの元へと駆けてきた。

チエは、何と言えばミカに対抗できるか必死に考えたが、何もいい考えが頭に浮かばなかった。ただ、エリに向かって叫んだ。

「エリ!戻ってきなさい!あんたは騙されてる!その女はおかしいんだってば!エリ!エリ!!!」


幸い、セミナーの聴講客はもうエリ以外一人も残っていなかったので、チエの叫びは誰もいない廊下に虚しく響くだけだった。


ミカは、チエの叫び声がどれだけ響こうとも、歩みを止めることはなかった。決して後ろを振り返らなかった。


・・否、本当は怖くてできなかったのだ。


後ろを振り返ることが。

自分のしてきたことを見ることが。

自分の与えた影響を考えることが。


(・・・それにしても、私の言葉で離婚を決めた人間がそんなにいるとは思いもしなかったわ)

確かに離婚を勧めはしたが、それはここ3ヶ月ぐらいのことだったし、あくまでどうするかの最終決定をするのはクライアントの責任で、自分の関与するところではないと思っていた。

まさか、『ミカさんに言われて離婚を決めました』なんて無責任なことをネットに書いてる人間がいるなんて、思いもしなかったのだ。


自分の言葉で離婚を決めた人間がたくさんいる・・・


その事実を考えた瞬間、ミカは自分の背後に何か黒くて巨大な雨雲のようなものが存在しているような気がした。

後ろを振り返った瞬間、その真綿のような雨雲に首を絞められそうな気がした。


だから、前を向き続けるしかなかったのだ。



いつの間にか、チエの声は聞こえなくなっていた。




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第41話につづく


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