見出し画像

4回目のひな誕祭の感想文

まえがき

 4月1日、2日に横浜スタジアムにて開催された日向坂46のデビュー四周年記念ライブ 4回目のひな誕祭。"コロナ禍でのアイドル活動"が一体どういうモノであったかを今一度様々な角度から考え、課せられていた制限を多種多様なアプローチで破壊していく。その光景を観たこちら側も無意識に目を背けるようになっていたモノに気付き、ハードなカウンターを真っ向から喰らってしまうような、とても誠実でパワフルなライブであった。長い冬を乗り越え、体が沸騰するようなあの高揚感が帰ってきた。
 個人的に史上最高レベルのあまりにも良いライブだったため、勝手ながら主観を存分に交えながらのレポートをnoteにて残すことにした。

このnoteでの主なトピックスは以下の5点

  • コロナ禍と声出しの解禁

  • セットリスト

  • 日向坂46三期生

  • みーぱん

  • ハッピーオーラ

 これらひな誕祭の感想をまとめる前に一つ、昨年行われた東京ドーム公演後のここ一年間の日向坂の動きについて触れておかなければならない。(多少否定的な話もありますが、4回目のひな誕祭を大いに賞賛するための振りかぶりだと思って読んでいただければ幸いです。)

 東京ドーム公演のダブルアンコールにて発表された7thシングルの発売を皮切りに、THE FIRST TAKEへの出演や、ドキュメンタリー映画第二弾の公開、新メンバーの加入、ドーム公演を特集した雑誌でのインタビューでメンバーが新国立競技場でのライブやドームツアーへの夢を語るなど、話題やオタクの熱量を途切れさせないその姿勢から、日向坂は次のステージへと進むかと思われた。

 ドーム公演直後に主要メンバーの一人であった渡邉美穂の卒業が発表されたが、タイミングやその理由を察するにその決断には勇ましさを感じる清々しいモノで、7月には渡邉美穂がひらがなけやき、日向坂46出演のテレビドラマで活躍したメンバーであったことにフォーカスを当てた素晴らしい構成の卒業コンサートも開催され、惜しむべきことではありながらも却ってこれからの日向坂への期待も高まったイベントであった。個人的にはその渡邉美穂の卒業と、新たに四期生を迎え入れたタイミングで日向坂には今一度全員で足並みを揃えて新たなスタートを切って欲しいと願っていた頃だった。

 ちょうど同時期の昨年5月に放送された2分59秒という番組にて、グループのキャプテンである佐々木久美が言っていた「誰だろうとライブに来てくれれば絶対に日向坂が好きになります」という発言に、初めて違和感を覚えた。それまでも日向坂のメンバーは同じようなことを各所で度々話しており、それを聞く度に以前までの自分も「日向坂はバラエティばかり持ち上げられがちだけど、そのバラエティ含めた全部を頑張るのが日向の良いところだし、その中でもライブがやっぱり至高だよね」と思っていた。直近に行われていた東京ドーム公演が声出し禁止という条件ながらも、限界まで高まっていたハードルをたやすく超えて行くほどの秀逸なライブであったため、最初は違和感程度で済んだが、東京ドーム公演の特別性や、一番身近なグループである櫻坂のライブと比較するなど、深く考える内にその違和感は「今の日向坂のライブ行って日向ハマるやついんのか?」という疑いに代わっていった。

 そんな疑問が浮かんだ最中、毎年夏の恒例となっているW-KEYAKI FES.2022が開催。十分楽しめたものの、2021年に行われた同公演は今思い返しても「今までで一番最悪なライブだったな」といった感想になってしまうほど個人的にはノれなかったライブで、今年もあんなライブだったらどうしようという不安から限界までハードルを下げて臨んだという前提条件故の満足度だった。そして、コロナでの公演中止を乗り越え、別日での開催となった櫻坂46の公演にも足を運んだ。4thシングルまでのリリースを終え、楽曲が一通り出揃い好きにセトリを組めるようになった直後の公演。"魅せる"パフォーマンスを磨き続け、観客の声援無しでも圧倒的なクオリティを成立させている姿を目の当たりにした。

 続けて行われた秋の全国ツアー ハッピースマイルツアー。ダメなライブは笑い話になるけど、記憶に残らないライブは笑い話にすらならないという学びを得て、疑いは確信へと変わり、もう日向坂がライブでイキれる時代は終わったのだなと落胆した。少なくとも一万円払ってまで観に行くレベルのモノでは無いと感じてしまった。同時期に開催されていた櫻坂46の全国ツアーがこれまた凄まじいクオリティだったことも影響していただろう。勿論、これは声出し解禁と共に払拭される課題だという認識ではあったモノの、その頃の問題はライブだけで無く、渡邉美穂の卒業と四期生加入を機に体制を整えて再び羽ばたいて欲しいと期待していた自分としてはその期待とかけ離れたグループの現状に少々気を落としてしまっていた。

 ひなくり2022がどこか「こっちだってこんな状況なんとかしたいに決まってるだろ!」といった気概を感じる(此方が願望強めな色眼鏡で見ていたせいかもしれないが)ライブだったことに加え、2022年も無事紅白歌合戦への出場を果たし、そのギリギリ感からか2023年は勝負の年と息巻くメンバーを見て多少期待は回復したものの、その2023年に入ってから4回目のひな誕祭が開催されるまでの3ヶ月間で一度膨らんだ期待はすぐさま萎み切り、ただひたすらに「せめて今度のひな誕祭だけは成功してくれ」とだけ願う日々が続いた。

 運営批判なんて子供じみたことをしたところで何も始まらないし、大所帯のメジャーアイドルであればあるほどメンバー個人の力なんかよりも会社の方針一本で全てが決まるなんてことはとっくに理解していたつもりだったが、これまでファンタジー色強めでやって来た日向坂にそういった現実の問題が絡んでくるだけでナンセンスに思えてしまう。それを飲み込んだ途端に武道館公演やアルバム発売、改名からのデビューや東京ドーム公演までの道のりなど、これまで一喜一憂してきた全てが馬鹿馬鹿しくなってしまうのは娯楽としてこのコンテンツを消費する者からするととても致命的だ。

 勿論、此方が求め過ぎているといった自覚もある。何事でも、目の前のこと一つ一つに真摯に全力で取り組む姿こそが日向坂に惹かれる最もな理由であり、今もそのメンバーの姿勢自体は変わっていないものの、それを無責任に消費するだけの自分はいつからかそれだけでは満足出来なくなってしまっていた。昔はメンバー一人のテレビ番組出演が決まっただけで大喜びしていたが、今や誰が何に出ているかの把握すら怠っている。

 こんなに良いグループなのだからもっと人気が出てほしい、大きな仕事をして欲しいというオタクのエゴは醜いモノだが、これらは紅白歌合戦に出られるような資本のしっかりしたメジャーなグループを推している理由の一つと直結しているため、どうしても切り離して考えることが出来ない。

 ただ、アイドルからすれば終わりのないアイドル活動の中に自分自身で見切りをつけ、自ら旗を立ててゴールを決めなければならないのが現実だ。東京ドーム公演の裏側を描いた映像で、開演前ナレーションを務めたキャプテンの佐々木久美と側近らしき女性スタッフが感極まり二人して涙を流していた姿を見て、「少なくともこの人達(ひらがな一期生)のゴールはここで良いんじゃないか、これ以上を求めるのはもう酷なのではないか」とも思った。ここ一年はそんなジレンマ紛いのモノが頭の中を渦巻いている。

 他人という偶像に自分の理想を押し付け、趣味で頭を悩ませるようになるくらいなら手を引けばいいだけの話なのだが、自分は欅坂46が2017年に開催した夏の全国ツアーでひらがなけやきに惹かれてからそれ以降のZEPPツアーファイナル〜今までのほぼ全てのライブに通っており、オタク特有(自分だけかもしれないが)の勿体無い精神のせいでこんな状態になっても容易く引き下がることが出来ない。ゲボほど気持ちの悪い超依存型オタクなのは自覚しているつもりなので見逃してほしい。

 モヤモヤとした歯痒さを感じながらも、ラジオやSNSで発信されるメンバー達のリハの様子を察するに、これは流石に良いライブになりそうといった予感もあった。そんな期待と不安を胸に横浜スタジアムへと向かった。

声出しの解禁とコロナ禍

 書き始めたら想定していた以上に今までの鬱憤と自分語りが溢れ出て来て長い前書きになってしまい、今から始まる肝心のひな誕祭感想レポートまで辿り着けている読者がいるのか不安になるが、気を取り直してここからは4回目のひな誕祭の感想をまとめていく。

 この公演の特徴はなんと言っても観客の声出しの解禁だ。日向坂にとっては2020年2月に行われたDASADA LIVEからおよそ3年ぶりとなる発声可能公演。(最近の日向ライブ正直ビミョいけどコールさえ解禁されればまだまだ日向のライブだってやれるはずだ…)という疑い半分な期待を通り越す底知れない楽しさがそこにはあった。ライブでイキれる日向坂が帰ってきたのだ。

 そして何より印象深いのは、節々から「これはコロナ禍で不完全なまま終わったあの時のリベンジなのかな」と感じるような演出やセトリ、MCや幕間の映像で「コロナによってどれだけのことが制限されて来たか」を前面に押し出すなど、今までのコロナとの向き合い方が軸になっていたことだ。日向坂46はデビューから一周年を迎えるこれからというタイミングでコロナ禍に突入。その後は無観客でのライブ開催や握手会の撤廃、ライブ直前にメンバーのコロナウイルス感染など、言葉にすると残酷だがデビューしてからほぼ全ての歴史がコロナと共にあった。ファンである自分も最初はもどかしい気持ちで応援し続けていたが、最近は当たり前にミーグリもしているし、ライブではリアクションが取れず暇なので終始黙々と双眼鏡を覗くなど、この新たな当たり前の状況にすっかり馴染んでしまっていた。さらに言えば、昨年行われた東京ドーム公演後に配信されたネット記事に「コロナ禍でフルキャパシティの東京ドーム公演を行ったのは日向坂が初」といった文言が載っていたのを見たときに、これまで日向坂が散々苦しまされてきたコロナに対して何処か仕返しができたような感覚があり、自分の中ではもう日向坂のコロナとの決着は一旦付いたものだと認識してしまっていた。

 そんな捻れた認識が、今まで年一で行われてきたひな誕祭の振り返り映像と共に矯正されていく。最初の年は無観客での配信ライブ、2年目は声出し制限有りの少数有観客ライブ、3年目は声出し制限有りのフルキャパシティ東京ドーム公演…勝手に東京ドーム公演でコロナとのケリがついたと思っていたが、此方にルールを破らせようとしていたのではないか?と疑ってしまうほどの、過去一のボルテージで煽ってきた佐々木久美に対して何もレスポンスが出来ず悔し涙が溢れそうになったあの日を、その映像を観て思い出した。「おひさまの声を聞くのが初めて」「新三期生は2回目のひな誕祭以降毎年ひな誕祭のタイミングで何かしら良いことが起きる」と話す三期生の高橋未来虹を見て、コロナによって奪われた時間の重みを痛感した。重ねて、ドキュメンタリー映画で加藤史帆が語っていた無観客配信ライブの虚無性の話も思い出した。今が不完全と分かっていても、その活動に意味を感じられずとも、ファンの前では平気な顔して100%のフリを3年間もし続けてくれていたメンバーのことを思うとやるせない気持ちになった。

 コロナ禍にどれだけ縛り続けられていたのかは本公演のメンバー達から伝わって来る“解放された喜び”が物語っていた。そして、それはおひさまも同じであった。横浜スタジアムを渦巻く“熱”がメンバーとおひさまの相乗効果によって盛り上がっていく光景は、忘れかけていたあの楽しかった頃のライブの記憶を蘇らせた。やはりこの“熱”あってこそのライブで、日向坂なのだと再確認した。

 本来無くてはならないはずの“熱”はコロナ禍を境に凍りついてしまったが、日向坂は3年もの時をかけて凍てついたそれを地道に溶かして来た。その解凍処理の最後の工程がおひさまの声出しの解禁であり、4回目のひな誕祭というライブだったのだ。このまま話を進めると"おひさま"というファンの総称を絡めた寒い話になりかねないのでここで打ち切るが、とにかくコロナ禍に突入してからの3年間、時世と向き合いながら今出来ることを全力で取り組み、モチベーションを絶やすことなく進み続けて来てくれた日向坂46には最大限の感謝と惜しみない賛辞を送りたい。

セットリスト

 本公演は前述した通り声出し解禁の恩恵を存分に活かしたセットリストになっていたように思える。既存のコールがあるものから新たにメンバー発祥のコールが生まれた曲、コロナ禍で生まれ、まだコールが行われたことは無いが多分盛り上がるであろう曲まで、声出し推奨が施されたセットリストであった。特にコロナ禍生まれコール無し育ちの楽曲達は、コールをする此方がまだ不慣れなこともあり「ここ声出していいのかな…?」といった探り探りの状態であったが、元々ポテンシャルが高かった曲がさらに輝きを増したり、少々マンネリ気味だった曲が息を吹き返したりと、コロナ禍の我慢の反動によって倍増した部分も大きく、とても楽しく快適な試運転が出来た。

 一曲目に披露された「HEY!OHISAMA」では、事前にメンバーから推奨されていたコールを生練習即実践しながらの披露で、オタク達の喉や羞恥心のブランクを解消する親切設計となっており一曲目に最適な選曲だったように思える。このコールが十分に浸透し、「HEY!OHISAMA」が来場した全員がノれる新時代のキュンとなる日が待ち遠しくなった。

 日向坂はひらがなけやきという前身の時代を経て生まれたグループであり、ひらがなけやき時代に生まれた楽曲も多数存在する。そして、日向坂への改名を果たし単独デビューしてからは、基本的にデビュー以降の楽曲しか披露しないという暗黙のモラルがある。自分はひらがな時代をことあるごとに懐古する自慰行為、ガナニーには少々興味が無く、今の日向坂の方が好きなためその暗黙のモラルを尊重しているが、ひらがなけやき時代に生まれた楽曲は今でもメンバーからもオタクからも高い人気があり、常に良曲難民として苦しい状況下に置かれている日向坂にとってライブで披露しないのは勿体無い。そんな中で執られた措置が、「年に一度、日向坂の誕生日パーティーとして行われるひな誕祭でのみひらがな曲を披露する」といったモノだった。

 例に漏れず今年のひな誕祭もひらがな時代の曲と日向坂の曲を織り交ぜたセットリストになっていた。これは2年前に行われたひな誕祭から始まった風習で、2年前はひらがな曲を披露するブロックが設けられ、昨年の東京ドーム公演では日向曲とひらがな曲とを無造作に混ぜ込んだセトリとなっていた。東京ドーム公演はライブの流れというよりもオールタイムベストをぶつけると言ったニュアンスの特別なセットリストであったため気にならなかったが、やはり日向曲とひらがな曲を無造作に混ぜ込んだセットリストには個人的に何処か違和感を感じてしまう。そんな違和感を無くしてくれたのが本公演の"コンセプト"だ。

 コンセプトは「空の旅」。気球やプロペラなどが複数設置されたステージでキャビンアテンダント風の衣装に身を包んだメンバー達が2曲目に披露したドレミソラシドでは、飛行機の離陸音が会場に響き渡り、過去に日向坂出会いましょうでお世話になっていたソラシドエアを彷彿とさせる。これまでも日向坂は一つのコンセプトを定めたストーリー仕立てのライブを度々行ってきたが、今回ほどコンセプト提示の"つかみ"が上手くいったライブは初めてだったように思える。このつかみの成功のおかげで、今まで以上にライブへの没入感が味わえた。そして、懐かしのひらがな楽曲や、扱い難そうなユニット曲の披露は「機内での映画鑑賞」といった設定を取ることで上手くライブの世界観に馴染ませており、違和感の解消に一役買っていたように思える。

 また、二日目の公演では初日から大幅なセットリストの変更があった。自分は「両日参加するオタクなんて半分もいないだろうにオタクのためにどうしてここまでやってくれるんだ…」と、どんな選曲であろうと二日間の公演でセトリが違うだけで嬉しくなってしまう性分なのだが、今回セトリ変更された曲の中には等価交換が成り立っているのか若干怪しい箇所も散見された。

 ひらがなけやき時代からの屈指の名曲で、しばらくの間生披露が無かった「沈黙した恋人よ」。この曲のタイトルがモニターに表示された時の会場のどよめきは凄まじかったが、すぐさま静まり返ると横浜スタジアム中が5人の美声に浸っていた。個人的にこの曲はコール無しで鑑賞したい派で、本公演の声出し解禁という特異性とは相反するモノだったが、おそらくこの曲を聴くのが初めての人や、声出しに慣れてない人も多かったおかげか沈黙した恋人よの披露中は終始静寂が保たれていて、屋外会場特有の夜の冷たい空気感ともマッチしたとても美しい披露だった。また、約6年前に生まれたこの楽曲を未だオリジナルメンバーが全員揃った状態で観られたことにも感激し、メンバーへの日々の感謝が込み上げて来た。そんな名曲の「沈黙した恋人よ」だったが、披露されたのは初日のみ。勿論、懐かしい、珍しい楽曲というのは演れば演るほど価値が下がっていくモノで、レアリティの担保といった観点からすればこの采配はアリな気もするのだが、ひらがな曲が披露できる機会が年に一度のこのひな誕祭だけということを踏まえるとどうしても「沈黙した恋人よ」くらいは二日間通しで披露してくれても良かった気がしなくもない。

 等価交換不成立箇所はその他にもいくつかあったように思えるのだが、そんな中でも意外だったのが二日目に披露された「月と星が踊るmidnight」だ。この曲は初日の「ってか」の枠から変更された曲だったのだが、意外にも等価交換が成り立っていたように思える。正直、これまで自分はこの曲にあまりハマれておらず、いまいち掴みどころの無い曲といった所感だったのだが、今回の披露は金村美玖の爆ぜるセンター力が炸裂する「ってか」とも張り合えるほどの爆発力を感じた。表題曲の底力と、センターを務める齊藤京子の勝負所を見極める力が同時に放たれた感覚があった。また、詳しくは語られていない為勝手に妄想を繰り広げるのもどうかと思うが、紅白歌合戦の舞台でこの曲を披露出来なかった齊藤京子の心情を察するとまた見え方が変わり、楽曲に奥行きを感じるようになったのも大きな要因だろう。他にも屋外ステージの恩恵や、二日目の自分の席位置の問題など、その理由は色々と推測できるのだがそんなことは皆まで言う必要が無いほど最高の披露だったように思える。今までそうでもなかった曲の評価が覆るのも、熱のあるライブならではの醍醐味と言える。

 その他にも、声出し制限の一番の被害者とも言える「NO WAR in the future」と「誰よりも高く跳べ!」の完全復活を讃えるかのように、本編とアンコールブロック、それぞれの大型フィニッシャーとして配置されていたのも印象深い。特に、振りコピのある誰跳べと違ってコール依存だったNO WARは声出し制限のライブだとなす術が無く、初期から頑張ってくれていた英雄曲がコロナ禍突入と共に年々廃れていく姿は見るに堪えなかったため今回の完全復活には唯一無二の感動があった。

 本公演のグランドフィナーレを担った「JOYFUL LOVE」では公演前に欠席が発表されていた影山優佳と四期生の山下葉留花も登場し、1〜4期まで全員揃っての披露となった。全員揃うことが滅多に無い日向坂が全員揃うというのはマイナスが0に戻っただけで本来喜ばしいことでは無いはずなのだが、それはおそらくメンバーが一番理解しているであろう。曲のサビでX状に敷かれた長い花道に全員が一列に並んでいたのは「全員揃った。これが今の日向坂だ。」といったメッセージがあったように感じる。だらこそ怪我や病気といった理由があるにも関わらず無理してでも出演してくれた影山山下の二人と、後述する佐々木美玲には労いの言葉を送りたいと思う。また、あの光景を見てしまうと「マイナスが0に戻っただけでしょ」なんてクールな対応は間違ってもするべきではないと感じた。

 日向坂46のフラッグシップとも言える名曲「青春の馬」は、昨年新たに加入したばかりの四期生だけでの披露となった。この采配に抵抗のあるオタクがいるのも十分理解出来るが、これまで日向坂のメインウェポンの一つとして扱われてきたこの大事な曲を新世代の後輩に託したことの意味合いや重要性を察すると感慨深いものがあり、その意向は尊重しなければならない気がする。また、応援歌という特性を持つこの曲と、がむしゃらに突き進もうとする若き四期生の相性は見事なもので、輝かしい未来と共にどこか"あの頃"のひらがなけやき一期生に似たモノも感じた。(ただ、”あの頃"ひらがなけやきをライトな視点で楽しむ余裕があったのは、間違いなく母体である欅坂46という本筋が太く、しっかりと機能していたからであって、現在の日向坂でも同じことが言えるかというとそれにはまだ疑念を拭えていない。)

日向坂46三期生

 今まで"新三期生"とカテゴライズされて来た高橋未来虹、森本茉莉、山口陽世の三人がひらがな楽曲含めたほぼ全てのセットリストに参加したのは今回のライブが初めての事であった。また、個性派揃いの日向坂において後輩という立場で"色"を出すことは誠に困難なことのように思えるが、そんな中でも三人それぞれの個性がしっかりと発揮されていたライブでもあった。今や三人それぞれが実力も人気も個性も持ち合わせており、とっくにグループには馴染んでいる認識ではあったが、今まではどうしても「三期生 上村ひなの」と「新三期」といった隔たりのある見方をしてしまっていた。しかし、本公演ではフラットに「三期生の四人」として見ることが出来た。これは上村ひなのと三人が双方から寄り添って来た結果であり、出遅れた分を取り返すため必死に努力を積み重ねてきた三人が満を辞して正式に三期生として合流出来た瞬間のように思えた。

 本公演は期別のユニット曲も多く披露されたが、その中でも三期生ユニット曲の盛り上がり方は頭ひとつ抜けていた印象だ。これは今まで三期生の四人とライブスタッフが三期生曲を盛り上げ曲として成長させてきた努力の賜物のように思う。コロナ禍に行われてきた声出し制限のライブの中で、三期生は自分達のキャラクターと与えられた楽曲のセトリ上の役割をしっかりと見定め、レスポンスが無いことは分かりきっている中でもとにかく全力で盛り上げることに励んできた。そんな、長い年月をかけてオタクの頭に「三期曲は盛り上がるモノ」と刷り込んできた成果はイントロが流れた時の会場の湧き方が証明していた。蓄積されていたモノが一気に解放された時の爆発力を肌で感じることが出来た。これまで期別ユニット曲の盛り上げ枠は一期生が担当していた印象があるが、一期生曲の盛り上げ要素にはお笑いで言うところの「ほっこり笑い」的な文脈を含んでいることを踏まえると、真っ向から盛り上げることに一番特化している期別ユニットは今や三期生の担当なのかもしれない。

 また、まだ三期生が上村ひなの一人だった時代にリリースされたソロ曲「一番好きだとみんなに言っていた小説のタイトルを思い出せない」も久々に披露された。この曲を初めて表舞台で生披露したのは3rdシングル発売記念の全国握手会の幕張ミニライブだったと記憶しているが、ミニライブでの曲の披露直後のMCで目元をビシャビシャに濡らしていた、まだ日向の秘蔵っ子であった頃からは想像出来ない程、約3万7000人の観客を相手にステージで一人堂々と曲を歌い上げる上村ひなのの姿がそこにはあった。そんな上村ひなのの成長した姿に加えて、新三期の三人も登場しパフォーマンス&トスバッティングで会場を盛り上げる。上村ひなのが三期生を代表して行ったJOYFUL LOVE内のスピーチでは他の三期生への思いを語り、確認出来ただけでも森本と高橋は涙を流しながらその話を聞いていた。堂々としたソロ歌唱を披露した上村ひなのを後押ししていたのは、場数を踏んできたことによる自信や積み重ねた努力によるスキルアップ、そして何より良い仲間に出会えたことだったのかもしれない。

みーぱん

 一人一人のメンバーについて語りたい気持ちもあるが、キリがないため今回は一期生の佐々木美玲だけにフォーカスを当てて感想を述べていく。

 2020年に放送された日向坂46主演ドラマDASADAは、坂道グループ系のドラマの中でも全体のクオリティが高く、オタクからも高い人気を誇っている傑作ドラマだが、DASADAがそうなった理由の一つとして「座長である小坂菜緒の吹っ切れた演技が起因していた」というのが個人の見解だ。小坂菜緒演じる佐田ゆりあ含め、当の本人とは真逆の性格のキャラが多かったDASADAではしっかりとした演技力が求められていたはずだが、その中でも小坂菜緒だけは人間性のベクトルを正反対にブッパすることで癖の強いキャラを成立出来ていたように思える。そんな、「小坂がここまで本気でやってくれてるなら…」という思いがドラマチーム全体のモチベーションに大きく影響を与えていたんじゃないか、という勝手な妄想を常々しているわけだが、本公演の佐々木美玲の活躍とライブの大成功の関係においても同じように妄想を膨らませてしまう。

 佐々木美玲は本公演の行われる一週間前まで、「ミュージカルSPY×FAMILY」に出演しており、スケジュールの都合からして公演欠席か、出られても数曲の参加になると言われていた。9thシングルの制作期間とも時期が重なっていたため、9thシングルは不参加になるとも予想されていたが、蓋を開けてみれば9thシングルも4回目のひな誕祭もほぼフル参加であった。どれだけ多忙なスケジュールだろうと活動のペースを崩さないメンバーを鉄人というラベリングで済ましてしまうことには少々抵抗があるのだが、この期間の佐々木美玲については鉄人以外の言葉が見つからない。唯一他に当てはめられる言葉があるとしたらそれは"スーパーアイドル"だ。

 佐々木美玲はひらがなけやき時代から今に至るまでグループを引っ張ってきた立役者の一人であり、類稀なる”日向坂”の才能の持ち主。その人間自体がグループのシンボルと言えるほど特異な存在である。センターを務める曲や参加しているユニットの数も多く、もしライブを欠席するようなことがあれば数多の曲達が機能不全に陥る非常事態が安易に予想出来るほどの超重要メンバーだ。学力的にはおバカとされているがアイドルという職業に対するセンスが良かったり、直感的に良いアイドルを全う出来る人が日向坂には数多く存在し、佐々木美玲もその一人ではあるのだが、センスや直感は体力や時間といった問題を直に解決できる物ではない。本人の意向なのかは不明だが、本公演が佐々木美玲の体力やリハーサルの時間を考慮しライブ全体としての質を少し落としてでも佐々木美玲の諸々の事情に配慮したモノになっていた、かと言えばそうではない。センターを務める曲は勿論、振り入れのやり直しが必要であろう過去の珍しいユニット曲などがふんだんに盛り込まれた佐々木美玲に対して容赦の無いセットリストであった。さらには始球式の演出でウグイス嬢を務めるなど、プラスαな仕事まで任されており、何も知らない人からしたらとてもリハーサルに充てられた時間が3、4日だけだったとは思えないほどのハードなパフォーマンスをこなしていた。キャラクター的にも、常に元気を求められる佐々木美玲は人一倍エネルギー消費が激しいと思われるが、公演中にそんなそぶりは一切見せず、いつも通りの最高のライブパフォーマンスを行い、始球式演出のウグイス嬢では一年以上続けているラジオパーソナリティで培ったであろうユーモア溢れるアナウンスで横浜スタジアムを笑いの渦に包み込んでいた。凄いアイドルとはそんなもの、と言われるとそうなのかもしれないが、過去最高レベルに楽しかったこの4回目のひな誕祭というライブは少なくとも佐々木美玲の尽力無くしてこの満足度は得られなかったというのは紛れもない事実であろう。

ハッピーオーラ

 初日の話になってしまうのだが、本公演について一番述べなければいけないのは"ハッピーオーラ"という言葉が再び使用されたことについてだ。この言葉はひらがなけやき時代にメンバー発祥で生まれた、もっと言えば運営の偉いオッサンがポツリと言ったこの言葉にピンと来た佐々木久美が拝借し広めたモノで、ひらがなけやき時代から今に至るまでグループのキーワードとなっていたスローガン的な言葉だ。しかし、今に至るまでとは言ったものの実は近年この言葉を口にするメンバーは少なく、ほぼ概念として存在しているだけのモノとなっていた。それもそのはず、日向坂は一見和気藹々としていて自分達が楽しけりゃ内輪ノリでもなんでもやっちゃうかのように思われがちだが、佐々木久美をはじめとする空気を察することに長けている、どこまでやったらそれが寒くなるかのセンサーがしっかりしているメンバーが多い。本公演でも披露された楽曲の「ハッピーオーラ」が生まれた辺りからメンバーがあまり口にしなくなった印象があるが、日向坂への改名、デビューに伴い新人アイドルとして多数のテレビ番組に出演した際にはグループのキャッチコピーとして業務的にハッピーオーラという言葉が再び多用されることとなった。そんな最中、2019年に放送されたセルフドキュメンタリーという番組で一期生の潮紗理奈が「ハッピーオーラって自分達で言っちゃいけないんじゃないか。言葉で言わなくても伝えられるものが今の日向坂には必要。」というメンバーもオタクサイドも薄々感じていた芯を食う発言をしたことにより、再びハッピーオーラという言葉は押入れの奥底へと仕舞われた、そんな印象がある。

 ただ一つ断っておくが、ハッピーオーラなんてものは元々存在しなかった無意味でくだらないコピーである、というわけではない。運営の偉いオッサンがひらがなけやきのライブを見てそれを感じたのは紛れもない事実であり、自分も佐々木久美から初めて「ハッピーオーラを〜」と聞いた時に「あ〜。ハッピーオーラ、確かに。」としっくり来ていた。日向坂の「またバカ言ってるよ」と嘲笑されようとも夢や愛を謳う格好良さとの親和性も高い。当時の欅坂46に対してのカウンターワードとしてもわかりやすく、強い言葉だったと記憶している。そのような遍歴を経てきたこの言葉が本公演で久々に一人のメンバーの口から放たれた。次作の9thシングルでセンターを務める丹生明里だ。

 本公演のアンコールで9thシングルの表題曲「One choice」が初披露された直後、MCで話を振られた丹生明里は涙を流した。その理由は曲の披露が始まると同時に会場中のペンライトが丹生明里のトレードカラーであるオレンジ色に染まったことが一因だろう。「枕詞に"みんな大好き!"が付くのはカレーライスとにぶちゃんだけ」とはよく言ったものだが、ペンライト芸に定評のある日向坂オタクということを踏まえても「センターおめでとう!頑張れにぶちゃん!」と言わんばかりにオレンジの光が横浜スタジアム全域に広がっていく光景はとても温かく、聖人 丹生明里の人望をよく表していたと思う。この曲披露から影山優佳がサプライズで登場した背景も、影山の丹生明里に対する思いが一つのキーになっていたのは間違い無いだろう。そんな愛され人間丹生明里が泣きながら語り始めたのは、この楽曲に関わった制作サイドへの感謝と、センターとしてこれからのグループを牽引していくという日向坂への強い想いだった。その中で用いられた言葉が”ハッピーオーラ”だ。以前グループで出演していた番組でメンバー全員に「日向坂で一番ハッピーオーラを体現してるメンバーはにぶちゃん」などと言われていたり、皆がなんとなくイメージする”にぶちゃん”は周りの目など気にせず一生ハッピーオーラを好んで多用していそうな自由奔放な人柄だと思うが、前述した通り丹生明里もまた「空気を読み、どこまでやったら寒いのかをよく理解しながら上手く立ち回れる」タイプのメンバーだと個人的には認識している。そんな人が、今期の座長が、にぶちゃんが、今一度この言葉を選んで日向坂の未来を語ったのだ。丹生明里から発せられたハッピーオーラという言葉を聞いた時、何故かは今でも分かっていないが何かハッとさせられる感覚があった。無自覚か意図的かはわからないが、このタイミングで”ハッピーオーラ”という言葉が再び使用されたその意味についてはまだまだ反芻しなくてはならない、そんな気がした初日公演だった。

あとがき

 五つのトピックスに分けて長々と感想を述べてきたが、まだまだ書き足り無いと感じてしまうほど自分は日向坂46と”4回目のひな誕祭”というライブに惚れ込んでいるんだなとこのnoteを書いてみて再確認出来た。そして、オタクを始めてから6年以上経った今でもまだこんな熱量で語れるような良いライブに出会えたということを何よりも嬉しく思う。配信ライブ、声出し制限ライブが続いたこの三年間で完全に麻痺していたが、昔行った欅坂と日向坂のライブは一つ一つ全てが思い出深く、コロナ禍前まで「ライブに行く」ということは最高で新鮮でかけがえの無い体験であった。近年忘れていたその感覚を取り戻すきっかけとなったこのライブもまた、かけがえの無い体験としてしていつまでも懐かしむことになるであろう。

 日向坂がこれからどんな道を辿って行くのかはまだまだわからない。2023年はメンバーの卒業以外にも様々なハプニングが待ち受けている予感がする。昨年の東京ドーム終了後辺りからデビュー以降続いていたプッシュ期間も終わり、自力でオールを漕がなければ前には進めない追い風無しでの活動がスタートしたが、坂道グループという制約上出来ることも限られている為、停滞期間に入ったと言わざるを得ない状況は今も現在進行形で続いているように思う。そして、今年も昨年、一昨年と同じようなペースで同じことを繰り返すようであれば間違い無く停滞どころでは済まないだろう。
 今回のライブが良かったのも久しぶりの声出し解禁や懐かしいひらがな曲披露、野外会場や明らかな予算の違いといった今回限りの要素に依存した評価の可能性も十分に考えられる。次回以降のライブも毎回最高とはならないかもしれない。
 しかし、今もなおメンバー個々のポテンシャルが高いことだけは疑いようが無い。渡邉宮田影山と、優秀なメンバーを立て続けに失う手痛い卒業が相次いだが、まだまだ素晴らしいメンバーが大勢いるのが日向坂だ。そして、出来る出来ないではなく、無理と分かっていようが夢や愛を謳い続けることを止めなければそれだけで日向坂のアイデンティティは保たれる。

 業界のご都合次第で白にも黒にもなるあの世界で、日向坂はどこまで自分達の色を輝かせ続けることが出来るのか。いつまでも活気のある日向坂を追い続けたいという自分勝手な欲求や期待を、丹生明里の言った“ハッピーオーラ“に今一度賭けてみるのも悪くない、そんなことを思った4回目のひな誕祭だった。



ここまで読んでいただきありがとうございました。長文乱文失礼いたしました。note初投稿で拙い文章にはなりましたが、書きたかったことは全部書けたかなと思います。生意気に不満っぽい事も色々と書きましたが、まだまだオタクとして日向坂を楽しんでいく所存です。またいつかこんな熱量で語れるライブに出会えることを願って…






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?