夢をかなえられなかった人の話
スマホを触っていると、ネコに頭突きをされる。
「俺をなでろ」と目が訴えている。
画面をスクロールしながら、逆の手でネコをなでる。
怒られる。「片手間になでるな」と。
スマホとネコさんの間でも、僕の関心を争っている。
ましてや、人間同士のコミュニティにおいて、争うことなく過ごすことは出来ない。
誰かと争わないと生きていけない。
人は誰かに優劣をつけ、誰かに優劣をつけられる。
それを嫌だといっても、世界の強制ルールだ。
だから職場の後輩にも言ってしまう。
「人と比べちゃ駄目だよ。
今、出来る、一番の仕事をしたら良いんじゃない?
良く言ってもらえたら、ありがとう。
悪くいわれたら、仕事は直しても、気持ちを振りまわれたら駄目だよ」
伝わっているかは解らない。
もっと踏み込んでいうなら
「評価を人に預けては駄目。
その評価は、たいてい自分の心を切りつけてくる。
なら、自分の評価は自分でした方が良い。
それが客観的ならばなお良い。」
話、変わって。
10代の頃は”ダウンタウン”になりたかった。
芸人になるには東京か大阪に出ないといけなかった。(20年前は)
そんな勇気もないので、夢を変えた。
20~25才まではマンガ家になりたかった。
1日10時間以上マンガを書いて、3時間は本を読む。を5年続けた。
講談社に持ち込みにいったとき、井上雄彦さんの”バカボンド”の原稿を見た。
そこには宍戸梅軒(ばいけん)というキャラが描かれていた。
死をかけてにらみあってる姿。あいだを吹き抜ける風。相手より「強いんだ」という自負。一コマを今でも思いだせるほど覚えている。
「生涯がんばっても、この絵はかけない」
とおのれの才能、努力の足りなさを知り、夢をあきらめた。
ジャスト40才のいま。トラックの運転手をしている。
結婚はしたが、ダウンタウンにもなれず、マンガ家にもなれなかった。
世間の評価は
”夢をかなえられなかった、おじさん”
だろう。
芸能にしても作家にしても、エンタメ業界を目指した人のほとんどは
似たような場所にたどりつく可能性が高い。なので
”人に評価を預けるな”
といいたい。
人に評価を預けなければ”夢をかなえられなかった、おじさん”にならなくて済むのだ。
僕の場合は”夢をかなえられなかった、おじさん”を、受け入れた
上で、この文章を書いている。
noteをはじめて、誰かの”面白い”に触れる文章を書いて、それをお金に代えれる日が来ないかなーと思いながら、これを書いている。
なので
”夢をかなえられなかった、おじさん”
あらため
”夢をあきらめてない、おじさん”
としておくと、少し前むきな気がする。