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緊張する暇があったら弾け
近藤です。
すっかり秋ですね。山の我が家ではもう日が短くなってしまい、トマトの実が青いままです。
4連休はオーケストラ 三昧でした。リハーサルと本番に明け暮れ、音楽のお風呂に首までしっかり浸かってのぼせてしまった、そんな感じです。
今年、娘はコンサートミストレスをさせてもらいました。昨年は降って湧いたコンサートミストレスだったので随分小さくなっていましたが、今年はちょっと違いました。彼女なりにオーケストラそのものへの自分の責任、みたいなものを考えているようでした。
練習から帰った後も、夜遅く塾やお稽古事から帰った後も、消音器をつけてとにかく弾く。日付が変わることもしばしばあって学校で居眠りしないかと心配していました。
親としてはこんなにギュッと集中できることがあるって素晴らしいことだし、これって今だからいいんじゃないの、と思う日もあれば、受験生なのにこんなに勉強しないままでいいの、と焦る日もあり。私は受験生じゃないんだから放っておこうと思ったり。日々絶賛と肯定と心配と焦りを繰り返すという(大袈裟にいうと)苦行の日々でした。しかし、自分も一緒に出ることになっていたので、娘のことなんて心配してられない立場だわと結局自分も練習に明け暮れていたのでした。
彼女はソロを弾く場面もあり、息子は同じバイオリンとして姉の姿を後ろから、夫と私は娘の正面でそれぞれチェロとビオラの席からその様子を見ていました。同じオーケストラの仲間としての彼女の存在は頼もしく感じましたし、娘としての彼女を見ると、ああこんなに大きく立派になっちゃって、と誇らしく思う反面、もうメリさんの羊とか弾かないんだなあなんてちょっと感傷的になってみたりしました。
コンサートが終わってしばらくしたある日、娘に尋ねました。
「ソロの時って緊張しなかったの」って。そうしたらこう言いました。
「緊張したした。でも、緊張する暇があったら弾け、って思ったんよね」と。
私、緊張した時にどうしてるんだっけ。多分緊張感に翻弄されている。
娘の方がだいぶん大人だわ。かっこいい。立場って時に人を育てますね。
では、また。