『代表以外』あるJリーガーの14年 #16 第4章 アイシテル ニイガタ:その5
2003年11月23日、日曜日。
その日は朝から、新潟市一帯に冷たい雨がシトシトと降りつづいていた。
にもかかわらず、ビッグスワンへと集まった人の数は4万2,223人。
それまでのJ2リーグ最多記録を塗り替える数字だった。
加えて、チケットを入手できなかったファン・サポーターのために、クラブはスタジアム敷地内に270インチの大型ビジョンを設置。傘を差し、合羽に身を包んだ人たちがそのビジョンの前にも大勢集まっていた。
勝利すればもちろん引き分けでも、新潟は初のJ1昇格が決まる。
そんな大一番、アルビレックス新潟がホームに迎えたのは大宮アルディージャ。
開幕戦の相手でもあり、新潟が今季ここまで3戦して3勝しているチームだった。
13時を過ぎ、両チームが入場。
新潟のイレブンは前後の選手と互いに手を繋ないだまま歩き、ピッチへと上がる。
サポーターが唄うエルビス・プレスリーの『好きにならずにいられない』が、スタジアムの隅々までを満たしていく。
そのゆったりとしたバラードは、やがて一転。
アップテンポなものへ取って替わった。
ユニコーンの『I’m a Loser』――原曲の題名を思えば、いくつもの試合で勝利してきたのは逆説的とも言えた――のリズムに乗せた応援歌が一層大きな声量で響きはじめる。
「おーれーたちがー 付いてるさ ニ・イ・ガ・タ
伝えたい この想い ア・イ・シ・テ・ル ニーガタ!」
サポーターの歌声に包まれながら、選手たちはセンターサークル後方で円陣を組み、13時5分、試合開始のときを迎える。
キックオフは大宮。
つまり、エンドの選択権は新潟にあった。
彼らは、ホーム側ゴール裏へ向かって攻めるエンドを選ぶ。
開始から攻め立てようという意思の表れとも言えた。
引き分け以上で昇格が決まるこの試合、前半に先制することの意味は、普段以上に大きいものだった。
この強気の姿勢が功を奏する。
前半10分、新潟のFKからだった。
ペナルティアークの数メートル後方、中央より左の位置。マルクスが直接ゴールを狙ったシュートがエリア内にいた大宮の選手にぶつかり、こぼれたところに両チームの選手が群がって混戦状態となる。
その混戦から弾き出され、ボールはゴールエリア右手前にいた新潟のFW上野優作のもとへと飛んだ。
上野は右腿でボールの勢いを殺すと、ボールがピッチに落ちる瞬間左足のインサイドでタッチして右へと持ち出す。
この動きで目の前の選手をかわすと、返す刀の右足でシュート。
ボールは逆サイドのネットを揺らした。
183㎝の長身に「似つかわしくない」と評してもよいような、流麗なボール捌きからの見事なゴールだった。
サポーターの祈りが充満し、息苦しさすらたたえはじめていたビッグスワン。だが、その重さは、上野の一発で取り払われた。
この瞬間、ピッチ上にもベンチにも、宮沢の姿はなかった。
彼は、チーム支給の黒いベンチコートを着込み、メインスタンド2階の記者席付近に座っていた――。
最終節のメンバーが選手たちに伝えられたのは、試合前日の11月22日。
練習開始直前のミーティングで、だった。
その日、チームは試合会場となるビッグスワンで練習を行ない、冒頭の約30分だけがメディアに公開された。練習終了後にはふたたび報道陣に門戸が開かれ、指揮官はメンバーについて尋ねられている。
反町は隠すこともなく16人――先発プラスベンチ5名――の名前を伝えた。選手たちの名前を言い終え、記者たちが走らせるペンの動きが一段落するのを見計らい、質問に先回りするかのように付け加える。
「宮沢は外しました。途中から入るには、ちょっと厳しい選手」
宮沢本人は、ミーティングでのメンバー発表を待つまでもなく、メンバーから外れるだろうと察してはいた。その週の練習でのチーム編成を思い返せば、見当がつくことだった。
とはいえ、練習での構成がそのまま次の試合のスタメンになるわけではない。監督が先発候補として使いつづけたものの、最終的に他の選手の方が良いと判断し、試合当日にメンバーが代わることもある。宮沢自身、サブにも入らないだろうと思っていたのがいきなり先発、という経験をしたことがあった。
だから、一縷の望みを託し、チーム練習に臨んでいた。
ただし、この最終節に関しては、これまでの43試合とは決定的に違うものがあった。
自分がメンバーに入ることよりも大切なこと。
J1への昇格――。
その目標のために、自分のメンバー入りへの執着などよりも、チームの雰囲気を良くすることの方ががよほど重要だった。元気に、声を出して、トレーニングを盛り上げようと強く心がけていた。
試合当日、帯同メンバーは9時半にクラブ事務所脇の駐車場に集合。
チームバスで新潟市内のホテルへと移動して軽食を取り、ミーティングを行なってからスタジアム入りしていた。
一方、宮沢は8時半から事務所敷地内にある屋根付きのフットサルコートで帯同しない他の選手たちと共に練習をこなした。その後、各自が昼食を取ってから、それぞれビッグスワンへとやって来ていた。
試合がはじまると、スタンド上段の高い位置からチームメイトたちのプレーを眼下に置き、一喜一憂した。周囲には、同じようにメンバーから漏れた選手たちが同じ黒いベンチコートを着込み、戦況を見守っていた。
「おおナイス!」
「うわっ、あぶねえ!」
思わず、そんな声が口をついて出る。
まるでサポーターのようだった。
とはいえ、心の隅々まで、完全なサポーターになっていたわけではない。
別の感情が入り込む隙間もあった。
たとえばボールがラインを割り、ゲームが止まった一瞬――。
サポーターのような自分に気づき、その状況に嫌気が差すのだ。
《自分のチームなのに、なんで上から見てるんだろう……》
レッズ時代に幾度も味わったのと同じ虚無感だった。レッズのJ2降格が決まった試合でも、J1復帰を決めた試合でも、メンバーに入ってはいない。
シーズンを通じての貢献度で言えば、浦和時代よりも新潟に来てからの方が比較にならないほど大きくはあった。
しかし、悲願のJ1初昇格がかかったこの試合では、また同じ思いを味わっている――。
もっとも、そんな虚無感に沈むのは一瞬で、プレーが再開されれば、チームの勝利を祈りながら移り変わる試合の趨勢を追う自分がいた。
上野の先制点の瞬間には、思わず椅子から立ち上がっていた。
ひとしきり喜んでから再び椅子に腰を下ろす。
負けられない試合で先制したことにとりあえず安堵し、数瞬後に思ったのは大宮アルディージャの盛田剛平のことだった。
上野にボールが渡った際、最後にかわされた大宮の選手こそが、宮沢の『相方』である盛田だった。
新潟の勝利を祈りつつも、セットプレーで自陣ゴール前での守備についていた盛田を注視してもいたという点でも、宮沢はサポーターとは若干異なる冷静さをもって試合を見ているところがあった。
盛田に活躍してほしいと願うまでではなかったものの、かといって、積極的にミスを願うような気持ちも皆無だった。
《あ~あ、モリ、シュート打たせちゃったな》
そう心の中で、微かに苦笑を浮かべた。
チームは上野の先制点によるリードを保持したまま、前半を終了。
ハーフタイム、宮沢はスタンドからエレベーターで1階まで降りると、ロッカールームに顔を出して仲間をひとりひとり激励した。
後半にはスタンドへ戻ることなくピッチレベルで、ベンチ後方から試合を見守った。
その場所に居た理由のひとつは、勝敗にかかわらず試合後には場内一周のセレモニーが予定されていたからだ。
だが、主な目的はなんと言っても、昇格が決まった瞬間にピッチへ飛び出すということだった。他の選手たちも同じように、ベンチ後方からピッチへと熱い視線を送っていた。
そのピッチ上では、1点を追う大宮が猛攻をしかけている。
攻撃の起点となったのは、宮沢の『相方』。
188㎝の盛田めがけて大宮はボールを送り、盛田が落としたところへ複数の選手がなだれ込み、ゴールを狙うという攻め方だった。自陣左で大宮に与えたFKでは、ゴール前ファーサイドへ上がったクロスに盛田が高く跳び、頭で狙う場面もあった。
それでも不思議と、《大丈夫だろう》、という思いが宮沢にはあった――1-0のまま折り返した前半、新潟にピンチがなかったわけではない。攻め込まれ、連続してシュートを浴びるなど、危ない場面もあった。そういったピンチは、苦戦がつづいていた第4クールでは失点につながっていた類のものでもあった。
それがこの日は、シュートが枠を逸れ、あるいは、チームの誰かが投げ出した身体に弾かれていた。そんな《ツキもある》と思わせる展開だったからだ。
予想通りと言うべきか、盛田が頭で叩きつけたシュートはポストの脇を通過、外れてくれた。
30分、37分と、監督の反町が次々と交代カードを切る。
そうすることで、少しでも時計の針を進めようとするかのように。
1試合で許されている3枚のカードの3枚目を切るべく、反町が動いたのは44分。新潟のベンチメンバーはもうウォーミングアップのために動く必要はなくなり、アップのためのスペースは宮沢らベンチ外の選手たちで埋め尽くされた。
表示されたロスタイムは1分。
《このまま勝って、J1だっ!》
半ば確信し、半ば祈りながら、主審が終了の笛を吹くのをジリジリとした思いで待つ。
ピッチへ駆け込む準備はすでに整っていた。
レッズ時代、最終節でのJ1復帰を決めたときも同じようにベンチ裏で試合を見つめていた。しかしあのときは、Vゴールによる劇的な幕切れが突然に訪れたため事前に待ち構えておくこともできず、ピッチへ駆け出すのがワンテンポ遅れていた。
そのときのことを思い出し、今日こそは遅れてなるものかと念じていた。
そんなふうに思えていたのも、自身が浦和で果たしたJ1復帰への貢献度と、今季の新潟で成し遂げたものとの間に、大きな違いがあったからだ。
「自分も少しは、昇格に貢献した」
胸を張って、そう言える気がしていた。
そして、ついにその瞬間が訪れる。
2003年11月23日14時53分。
主審の長い笛が鳴る。
スタンバイしていた選手の先頭を切り、黒いベンチコートの裾をひるがえし、ピッチへと駆け込んだ。
まずは右サイドバック、ベンチからいちばん近い場所でプレーしていた高橋直樹と抱き合った。
その後は、誰と何をしたかよく覚えていない。
身体をぶつけ合うように誰かと抱き合った。
ひとしきり喜びあってから抱擁を解き、また違う誰かを求めピッチ上を数歩さまよう。そして、目が合った誰かとまた硬く抱きしめあう。
そんなことを、しばらくの間、繰り返していた。
そのうちに、頭の隅でレッズがJ1復帰を果たした際のことをふと思い起こす。あの日は、Vゴールを決めた土橋正樹に選手・スタッフの全員が殺到していた。
《あのときみたいに、全員が一箇所にまとまってくれりゃぁラクなのにな~》
そう心の中で笑いながら、また違う誰かと抱き合っていた。
他会場にて同時刻に行なわれた試合、首位だった広島は3位川崎との対戦に敗れる。
その結果、アルビレックスは昇格だけではなくJ2での優勝も手中にしていた。
新潟県知事や市長、社長らのスピーチ、つづいて監督の反町とキャプテン山口のインタビューが行なわれ、選手が場内一周をはじめたのは試合終了から30分近く経ってからだった。
クイーンの『We are the champions』が流れる中、キャプテン山口と得点王マルクスを先頭に、選手たちがスタンドに沿って歩いて行く。
着ていたユニフォームをスタンドに投げ入れる選手も少なからずいた。
場内一周のBGMが同じくクイーンの『I was born to love you』へと代わる頃には、ユニフォームだけではなくスパイクやスネあて、短パンまで投げ入れてしまう選手も出ていた。
その光景を笑顔で見守りながら、宮沢はスタンドに向けて手を振っていた。
《オレもピッチに立てていたら、せめてメンバーに入っていたら、ユニフォーム投げ入れたりできたのにな》
悔しさと羨ましさが沸きあがってくるのは、抑えられなかった。
セレモニーが終わってからは、市内のレストランへと車を走らせた。
そこで、埼玉から観戦に訪れていた両親・姉の3人と合流する。
母の和美が、丸めた頭を目の前にして思わず口にする。
「アンタ、切り損じゃないの」
その言葉には、「いいんだよ」と苦笑と共に返しておいた。
宮沢が家族と待ち合わせた店に車を走らせていた頃、セレモニーを終えた指揮官はいまだ監督会見の最中だった。
悲願のJ1昇格を成し遂げた直後の会見ということもあり、報道陣からの質問は絶えることがなかった。
その中には、「監督にとって良い選手とは?」という問いもあった。
反町は、自身の考えをこう示している。
「ひとつはタクティクスで、ボールのないときの動き。
ふたつ目はテクニック。ボールを止めて蹴る技術はサッカーのベースですから。
3つ目がサイコロジカル。いくら巧くても強い気持ちのない選手はダメ。それを持続することが大事。
4つ目はフィジカル。走れないのはダメ。オシム監督も言っていますけど、長い距離を走ることでチャンスが生まれる。それと、フィジカルの中でも今年特に言っていたのはコンタクトスキルです。たとえばファビーニョに代表される能力。我々は週1回のコーディネーション、フィジカルトレーニングをやってきた。
5つ目がアンロジカル。選手起用にはロジックのない部分がある。残り5分で流れが変わる場合もあるから、そういう選手は大事にしたいと思っています」
タクティクス、テクニック、サイコロジカル、フィジカル、アンロジカル。
これら5つの要素を「シーズン最初のミーティングで挙げた」と反町は語った。
そしてその中には、宮沢が充分には持ちえていないものがあった――。
4つめのフィジカルが足りないことは宮沢も自覚するところだった。
また、反町から見れば、3つめのサイコロジカルも5つめのアンロジカルもまだまだ物足りない部分だった。
「今日の16人は、総合力で高い選手を選びました」
質問への回答を、反町はそう結んだ――。
昇格を決めた翌日の夕方、新潟市内のコンベンションセンター・朱鷺メッセにて、ファン・サポーターのための『サンクスフェスタ』が開催された。
1万人が収容可能なホールはほぼ満員。
選手たちはいくつかのグループに分かれて握手会などをこなした後、ステージに立ってGKから順番にスピーチを行なった。
真面目な言葉を連ねる選手もいれば、秋葉のように「こんばんは。ハゲの秋葉です」と髪型をネタとした挨拶で場内の笑いを誘う選手もいた。
自分の番となり、宮沢はステージの中央に立った。
まずは胸の前で両手を合わせ、深々とお辞儀をしてみせる。
つづいて、正拳突きと中段蹴りを順に繰り出した。
坊主頭をネタにした、『少林寺拳法』のパフォーマンスに会場は笑いに包まれた。
さらには、集まったファン・サポーターに対して「こんばんは」と数回呼びかけて反応を煽り、その後も『会場イジり』をつづける。
「今年1年間、楽しんでいただけましたか?」
「イエーッ!」
「今年1年間、感動しましたか?」
「イエーッ!」
「僕はみなさんの応援に、感動しました!」
沸き起こる万雷の拍手に「本当にありがとうございます」と返してから、
「これからも精進します」
と結び、ふたたび両手を胸の前で合わせて頭を下げる。
ホールに再度、笑いと喝采がうずまいた。
道化を演じるのは、嫌いではない。
幼い頃から、人を笑わせるのは好きだった。
場の雰囲気を読み違えて、あるいはそもそも読もうとしなかったため、『滑る』ことも少なくなかった。
しかし、このときはただ笑いを取りにいったのではない。
「これからも精進します」
その最後のひと言は、悔しさを笑いで包みこんだ、精一杯の決意表明でもあった。
(第4章了 第5章へつづく)
トップ画像撮影:甲斐啓二郎