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『代表以外』あるJリーガーの14年 #4 第1章 契約満了:その3


 アルビレックス新潟のセレクション2日目は翌12月6日10時から、前日と同じ会場で開催された。
 前日とは異なるチーム編成での30分ハーフ・ゲーム。
 宮沢も同行の3人も第1試合に出場。3人のうちふたりは味方、ひとりは敵だった。
 11時半前には彼らのゲームは終了。
 自分が出る試合が終わってしまえば帰っても構わない、と説明を受けていた。
 
 だが、すぐに帰る気にはなれなかった。

《もし怪我人が出たら、代わりに出場してアピールするチャンスが増えるかもしれない》

 宮沢はそう考え、ベンチコートと上下のアップスーツさえ脱げばいつでも試合に参加できる状態で、2試合目をスタンドから眺めていた。
 自分と同じポジションの選手が怪我することを願っていたわけではない。だが、怪我人が出れば「ラッキー」と捉えるくらいの貪欲さは持ち合わせていた。

 しかし、待ち続けるにはあまりに寒い。

 前日の午後2時開始とは異なり、この日はまだ正午前ということで、寒さはより厳しかった。
 腰掛けたスタンドのプラスチック製ベンチが体温を奪い、足元のコンクリートからスパイクを伝って寒さが這い上がってくる。
 このまま外にいたら、風邪を引いてしまうかもしれない。

 この後にも、セレクションは控えている。
 待たせている同行のふたり、小島と浦田――もうひとりの盛田は所用があるために既に帰路についていた――にも申し訳ない気持ちになってきた。
 2試合目の前半が終わったとき、宮沢は切り出した。

「……行きますか」

 宮沢の言葉に、彼らは「いいのか」と問い返しながらも、まもなく腰を上げた。
 アルビレックス関係者から、徒歩で5分ほどのところに健康ランドがあると教えてもらった宮沢たちは、まずはそこへ行き、風呂に入ってから着替えることにした。
 とにかくこの寒さを何とかしたかった。
 教わった道順に従い歩いていくと、『湯ったり苑』という名と温泉マークが描かれた看板がすぐに見つかった。俗に「スーパー銭湯」とも呼ばれる、露天風呂や薬湯・ジェットバスなど数種類の風呂やサウナが楽しめる施設だった。

 一刻も早く寒さを凌ごうと自動ドアを潜り抜ける。
 館内に満ちた暖房の暖かさにひと心地付くが、体の芯は冷えきったままだ。
 鍵付の下駄箱に靴を放り込む。
 券売機に入浴料の550円を入れ、日付が印刷されたチケットを手に受付カウンターへと向かう。係の女性にチケットを渡し、急ぎ足で紺地に白く『男』と染め抜かれた暖簾をくぐった。
 
 平日の昼間ということもあり、客は少ないようだった。
 脱衣所にあるロッカーはほとんど使われていない。
 3人とも、手近なロッカーの前に陣取り、バッグを置く。
 
 早く熱い湯につかりたかった。
 
 しかし間の悪いことに、服を脱ごうとした寸前に携帯電話が鳴る。
 ベンチコートのポケットを探り、電話を取り出す。
 液晶画面には090ではじまる知らない番号が表示されていた。

《誰だろう……》

 訝しく思いつつも、ほとんど間を置かずに通話ボタンを押す。

「もしもし?」

 電話の向こうで、相手は肩書きを名乗った。
 『アルビレックス新潟の強化部長』、と。

「これからちょっと話できないかな。具体的に言えば、まあ、セレクションに受かったということなんだけどね」

 嬉しさよりも、驚きがあった。
 合否の結果が出るのは数日後だろうと思っていたからだ。
 同行のふたりが「先に入ってるよ」と目で合図しながら脇を抜けて行く。
 耳に押し当てた電話の向こうに意識をやりながら、彼らに頷いて了承の意を示す。

「こんなに早く決まっちゃうんですか?」

 驚きを素直に伝えると、あと何分か会場に居たままであれば、その場で合格を伝えられていたことがわかった。
 探したのだが見つからなかったため、セレクション申込書に記されていた携帯電話の番号に連絡させてもらったのだと、若杉と名乗った強化部長は教えてくれた。

「えっと、今、近くの銭湯みたいなところにいて、これから風呂に入って着替えようと思ってたところなんですけど……」

 高鳴る胸のうちを抑えながら自分が今置かれている状況を説明し、1時間ほど待ってもらうことは可能かと、恐る恐る尋ねてみる。
 若杉は快諾してくれた。
 1時間後に自分がいるスーパー銭湯まで車で迎えに来てくれるという。

 風呂に入って温まりたい。

 それは本音でもあり、方便でもあった。
 強化部長を待たせた本当の理由はほかにある。

 考える時間を稼ぎたかった。

 どうしていいか、わからなかったのだ。

 その日のうちに結果が出るとは予想もしていない。
 当然、合格した際にどう答えるべきなのか、なんの想定もしていない。
 後日には他のチームのセレクションも控えている。
 明日は湘南、明後日は山形へと行くつもりだった。
 たまたま新潟のセレクションが最初だっただけで、アルビレックスが第一志望かと問われれば、正直なところ、わからなかった。
 そもそも、どのチームが良いなどと優先順位をつけるような余裕がなかったのだ。

 強化部長との話を終えると、手にしたままの携帯電話を放すことなく、登録してある別の番号に電話をかける。
 大学時代の監督である吉見章だ。
 契約満了を告げられた後、まっさきに報告と相談をした人物だった。
 宮沢の『再就職先』を探すため、吉見は伝手を頼って動いてくれている最中だった。

《今日ここで、入るか入らないか、すぐに答えを出さなきゃいけないのか……?》

 合格した喜びと、予想だにしていなかった急展開への戸惑い。

 それらが心の中で入り交じり、じっとしていられない気持ちになった。
 体中の血が全身を駆け巡り、頭の隅に「落ち着け」という自分の声が響く。
 ある意味で幸せな恐慌状態に陥りながら、宮沢はジリジリしながら吉見が出る瞬間を待った。
 だが、電話は呼び出し音を繰り返すだけで一向に繋がる気配はない。

《参ったな……》

 次に宮沢の頭に浮かんだのは、浦和のチーム管理部に籍を置く中村紀彦の顔だ。
 中村は5つ年上だったが、チーム管理部の中では比較的自分に近い年齢であり、最も話しやすい存在だった。彼にはシーズン中にも、出場機会がない悩みを聞いてもらってもいた。
 すがるような思いで中村の携帯番号にかけると、数コールの内に彼の声が聞こえた。

「おう、ミヤ、どうした?」
「今、大丈夫ですか?」

 客観的な意見を聞かせてくれる相手を見つけてホッとしながら、ここまでの経緯をかいつまんで説明していく。

「おめでとう!よかったなあ!」

 中村は我がことのように喜んでくれた。
 彼の反応はもちろん嬉しかったのだが、目下の本題は別のところにある。一応、礼を言ってから、気になっていたことを尋ねてみた。

「新潟に入るか・入らないか、今日いきなり聞かれたら、どうすればいいんですか?」

 焦る自分を諭すような声が、電話の向こうから響いてくる。

「大丈夫。今日すぐにその場で回答を求められることは、まずないと思うから」

 選手獲得までの段取りというものを知っているだろう中村の言葉に、宮沢はようやく安堵することができた。

「とりあえず契約のこととか、設備のこととか、ちゃんと話聞いてきなよ」

 中村の穏やかな語り口に、昂ぶっていた神経が少しずつ落ち着いていくのが感じられた。
 入れ替わるように、喜びが体のすみずみまでゆるやかに行き渡っていった。

《これで、サッカーを続けることができる――》

 契約の条件も何も、まだわからない。
 新潟の一員になることを決心したわけでもない。
 だが少なくとも、プロとしてサッカーをできる場所をひとつ確保できたのだ。

 中村に礼を言って電話を切る。
 新潟の強化部長から連絡を受けて、もう15分以上が過ぎていることにようやく気づく。先に風呂へと向かったふたりも、さすがに訝しく思いだしていることだろう。
 おそらく「何かあったのか」と聞かれるはずだ。
 それを思うと、少しだけ重い気分になる。
 この後、強化部長と会うことになったのだから彼らと一緒に帰ることはできない。
 そう告げることは、イコール、自分は合格したのだと伝えること。
 
 それはつまり、同様の連絡がない彼らの不合格を意味してもいた。

 そのときの彼らの胸中を思うと、暗澹たる気分に襲われた。
 しかも、その事実を自分の口から伝えねばならないのだ。
 つい先刻まで同じ立場にいた者として、胸が痛んだ。
 
 大きなため息をひとつついてから、大浴場への引き戸を開ける。
 すでにすっかり乾いてしまった汗をシャワーで洗い流した後、ふたりが入っている湯船へと向かう。
 先に声をかけてきたのは小島だった。
 宮沢よりも1年早く浦和に加入した彼は、この2001シーズンを川崎フロンターレの一員として過ごしていた。

「ずいぶん時間かかったみたいだけど、何かあった?」

 気まずさを覚えつつ、おずおずと切り出す。

「……どうも……受かったみたいです」

 そう切り出して、新潟の強化部長から電話があったことを説明した。

「おお!よかったじゃん」

 小島のそんな反応に、少しだけ救われた気分になる。

「このあと会って、いろいろ話すことになったんで、一緒には帰れないんですけど……。すみません」
「いいよ、いいよ。ちゃんと話してきなよ」

 小島の川崎での同僚であり、宮沢にとっては高校の先輩である浦田も、そう言って祝福してくれた。



「時間がもったいないから、車の中で失礼するけど――」

 運転席に座った40半ばとおぼしき男性はそう切り出すと、右手でハンドルを握ったまま左手で名刺を差し出してきた。

「あ、どうも……。いただきます」

 助手席の宮沢がペコリと頭を下げながら受け取った名刺には、こう記されていた。
『アルビレックス新潟 取締役強化部長  若杉 透』

 若杉は電話での約束通り、1時間後に『湯ったり苑』まで迎えに来てくれていた。
 そのときにはじめて気づいた。
 セレクション初日に「ボールを取ったらすぐに攻める。どんどん裏を狙ってください」と、チームが求めるプレーを説明していた人物だ、と。

 若杉は車を走らせながら、アルビレックス新潟設立の経緯から現在のチーム状況・練習環境などについて、語って聞かせてくれた。
 相槌を打つ以外ほとんど言葉を発することなく、宮沢は真剣に聞き入った。
 やがて訪れた数瞬の沈黙――。
 それが苦で、宮沢はついつい口を開いていた。

「そう言えば……、ビッグスワン、大きいですよね」

 話の切れ間に接ぎ穂のように話題に上げただけだったのだが、若杉の反応は早かった。

「見に行くか」

 そう言って、新潟駅へと走らせていた車をUターンさせると、ビッグスワン方面へと向けた。
 10分あまりでビッグスワンに到着。スタジアムの中を案内されながら、話は続いた。

「すごい、良いスタジアムですね」

 お世辞ではなく、素直な感想を宮沢は口にする。

「でも、ウチは年俸、低いよ。レッズではいくらもらってたの?」
「――万です」

 宮沢は正直に、はっきりと金額を口にした。

「たぶん、それより低いよ。ぶっちゃけて言えば、それより全然低いから」

 後年、素直に年俸を教えた自分の裏のなさを、宮沢は交渉下手だったと苦笑とともに思い出すようになる。
 しかし、このときの宮沢は
《サッカーさえできれば、お金のことなんか――》
 という無垢さに支配されていたのだ。

 ビッグスワンの見学を終え、若杉の運転で新潟駅まで戻る。
 駅に近いホテル内の喫茶店に場所を移し、より具体的な話が続けられた。
 
 翌年の続投もすでに決まっている監督の反町康治について。
 彼の志向するサッカーについて。
 サッカー以外の生活面について――アルビレックスには選手寮はなく、住宅手当も支給されない。けれども、提携している食堂が市内に数軒あり、そこでの食事はチームが毎食千円分を負担してくれるとのことだった。

 若杉は、説明すべきことを伝え終えたのだろう。
 あらたまった口調で言う。

「セレクションの結果、監督と話をして、是非来てほしいと思っている」

 文書でこそなかったものの、正式なオファーと判断していい言葉だった。
 その申し出をいったん持ち帰るということで、若杉とは別れた。


 ひとりになった宮沢は、すぐさま携帯電話を取りだす。
 報告をしようとして先ほどは繋がらなかった大学時代の監督・吉見に、新幹線に乗る前に連絡をしておきたかったからだ。
 今度は、呼び出し音が数回鳴っただけで繋がる。
 まず、この日の結果を報告した。
 つづいて、この後に控えているセレクション予定を伝え、意見を求めた。
 
 吉見の回答はシンプルだった。
 チームが経営体としてしっかりしていること。
 すでに来季の指揮を執る監督が決定していること。
 そして、その監督が宮沢を見て、取りたいと思っているのだから、良いのではないか。
 それが吉見の意見だった。
 
 指揮を執る監督が見初めてくれたという点については、宮沢も同じことを考えていた。いくらスカウトに気に入られようが、試合に使うかどうかを決定するのは監督である。極論してしまえば、チームメイトやクラブスタッフ、サポーターにどう思われようが、監督に評価してもらえなければ意味はない。
 
 それが、この世界だった。
 
 そのことを、宮沢は浦和での3年間で痛感していた。

 セレクションを見た新潟の監督・反町は、自分を欲しいと言ってくれている。
 一定の保証を得たようなものだった。
 
 その一方で、今後セレクションを受ける予定のチームの中には、まだ来季の監督が決定していないところもある。両者をくらべればくらべるほど、今後のセレクションに参加する意義は少ないように思えてくる。

 もうひとつ、他チームのセレクション参加に二の足を踏ませる要素があった。

 右足首が鈍い痛みを発していたのだ。
 
 ひと月半ほど前、サテライトの試合で負った捻挫が完治していなかった。
 プレーできないほどではなかったものの、これから予定されているセレクションで無理をして、もし重い怪我にでもつながったら――。
 ほとんどのチームは1月中旬から下旬にかけて始動する。
 どのチームに行くとしても、12月の重い怪我は翌年の出遅れを意味することになる。
 そのリスクを思うと、宮沢の心はいっそう新潟入りへと傾いた。

《新潟のセレクションが早かっただけで、結局はこれも巡り合わせみたいなものかもしれないな。
 もしかしたら、新潟のセレクションが最後でも、同じ結果になったかもしれないし》

 新潟駅のホームでひとり新幹線を待つ間、そんなことを考えもした。
 ただし、すでに申し込んでしまってあるセレクションをどうするかは、気がかりでもあった。
 右足首のことを思えば、受けたくはないというのが本音だ。
 一方で、参加しておいた方が、後にいろいろな広がりが出てくるのかもしれないとも思った。たとえば、セレクションで誰かが自分を気に入ってくれて、その人の伝手でどこかのチームへ移籍が決まるといったような広がりが――。
 
 しかし、やがて入線してきた新幹線に乗り込むころには、おそらくそう遠くないうちに再びこの地に降り立つのだろうと思っていた。
 確信めいた、そんな予感を抱いていた。


 大宮へと向かう新幹線の中では、シートにのんびりと座っている暇はなかった。
 車輛のデッキに立って壁にもたれながら、手にした携帯電話で合格したこと・もう1年プロとしてやれることを何人かに報告した。相談に乗ってくれた友人や高校・大学時代のチームメイトたちに。

 反応はさまざまだった。

「やっぱりお前を認めてくれるんだよ」
「よかった、よかった!」
「決まるの早いねえ!」

 最初に受けたセレクションで合格を勝ち取り、それを周囲が喜んでくれる。

 まるで、試合開始直後に得点でもしたかのような気分だった。

 そんなことを思いながら、取り急ぎ伝えるべきところへの連絡を終えると、いったん座席へ戻ってリクライニングを倒し、背中を沈めた。
 ホッしたのも束の間、また携帯電話が鳴る。
 見ると、別の友人の名前が表示されていた。

《アイツから連絡が行ったのかな》

 立ち上がりつつ通話ボタンを押す。
 自然と頬が緩むのを止められなかった。
 話しながら、デッキへと移動する。

「もしもし――」
「おめでとう!受かったって?」

 案の定、宮沢が乗車して最初に電話した友人から連絡をもらったそうだった。
 その後も、宮沢は何度も同じ行動を繰り返すことになる。
 結局、大宮駅へ到着するまでの90分あまりの大半をデッキで過ごすこととなった。


 2日間にわたって実施されたセレクションが終わり、翌12月7日付け『ニッカンスポーツにいがた』には、【成果はあった】という見出しで、次のような記事が掲載された。

【 「まだファジーながら」と前置きした反町監督は「取りたい気持ちの選手は5、6人」と話した。「見ていてイメージがわく選手もいた。面白かった」と総括した。昨年のセレクション実施は12月30日だったことから「早めのセレクションの成果はあった」と来季の構想に合致する選手を見つけた模様だ。】

 この記事が掲載された日、宮沢は予定していた湘南のセレクションをキャンセルし、浦和の練習に参加した。
 練習が終わりチームメイトの大半がクラブハウスへ引き上げてからも、グラウンドに残った。本調子には遠い右足首が痛まない程度に、体を動かす。

 いつものことだった。

《俺は人よりやらないといけない》

 常にそう思い、そう行動してきた。
 幼い頃から父に教え込まれてきたことでもある。

 チームメイトはもちろんスタッフたちの幾人かもすでに家路に就き、駐車場には宮沢のパジェロだけが残されていた。どんよりとした埼玉の冬の曇り空の下で、シルバーの車体が鈍い光をたたえている。
 着替えを済ませて平屋建てのクラブハウスを出ると、すぐ右手に置かれたベンチに顔見知りのライターがひとりで座っていた。
 試合出場の機会がない自分にも話を聞きに来る、親交のある数少ないメディア関係者だった。
「お疲れさま」の挨拶を皮切りに、コンディションについて二言三言、曖昧なやり取りを交わす。
 その後、ライターはこう切り出してきた。

「セレクション、どうだった?」

(宮沢選手在籍時とまだ変わらない時期の大原サッカー場クラブハウス。
写真撮影・提供 清尾 淳 ※2003年4月に撮影)

 クラブ発表をもとにした自分の契約満了を伝える記事が地元紙『埼玉新聞』に載って以降、それに関わる質問を受けるのははじめてだった。
 少し鼻にかかった声で、苦笑を浮かべながら答える。

「そんなに緊張はしなかったけど、ああいうのはもう二度とやりたくないですね」

 素直な感想だった。
『呼び出し』の電話がかかってきてからの日々は、サッカーを失ってしまうかもしれないという恐怖に怯えつづけた日々だった。
 その辛さを思うと、吐き捨てるような口調になってしまうのは、どうしても抑えられなかった。

(第1章了、第2章へつづく)

※トップ写真撮影:甲斐啓二郎

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