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 『代表以外』あるJリーガーの14年 #15 第4章 アイシテル ニイガタ:その4


 2003年11月21日、J2最終節を2日後に控えた、その夜――。
 新潟から遠く離れた埼玉県北葛飾郡庄和町(現・春日部市)。
 宮沢の実家の居間に、母・和美の驚きに充ちた声が響いた。

「ちょっとお父さん!お父さんってばっ!大変!」

 何事かと、父の恵雄が居間へ駆けつける――。
 居間のテレビには、久米宏が司会を務めるニュースショーのスポーツコーナーが映し出されていた。
 2日後に迫ったJ2最終節の特集。
 画面にはアルビレックスの練習風景が映し出され、その中に母は息子の姿を見つけていたのだ。
 もっとも、母が慌てて父を呼んだ理由は、単に息子がテレビに映ったからなどではない。
 息子の髪型が見慣れているものとは違っていたからだった。

 見事な丸坊主になっていた。
 そんな頭を最後に見たのは11年以上も前。息子が武南高校1年生のとき以来だ。

 しかも、坊主頭は息子だけではなかった。
 新潟に所属する選手の3分の1近くが、頭を丸めていたのだ――そもそものきっかけは前節、昇格決定を目前にして福岡に敗れたことだった。
 敗戦翌日の11月16日には、秋葉、上野、マルクスらが市内の馴染みの食堂に集まっていた。新潟のJ2参入以降、クラブと提携して選手たちの食事の面倒をみてくれている店のひとつだ。それら提携店で食事をする場合、クラブから店に1000円が支払われ、選手はオ―バーした差額分だけを払えばよく、宮沢も幾度となくお世話になっていた。

 秋葉たちは食卓をともにしながら、福岡での敗戦で暗く沈んでしまっているチームの雰囲気を変えるために、何かできないかと相談している最中だった。
 すると、店にいた彼らの奥様方から

「頭丸めて気合い入れてみたら」

 と、冗談とも本気ともつかない提案がなされたのだ。
 すぐさまマルクスが賛同。
 どこかからバリカンを調達してきて、自身の頭はもちろん秋葉や上野を次々と坊主にしていった。
 自分たちだけでは飽きたらなくなった彼らは、その場にいない野澤と深澤も呼び出し、同じような頭にしてしまったのだ。

 11月17日のオフを挟み、18日に練習が再開。
 坊主頭で練習場に現れた秋葉たちの姿に、宮沢も他の選手たちも一様に目を丸くした。

「なあ、みんなで坊主にして気合い入れようぜ!」
 
 そんな秋葉の呼びかけに少なくない賛同者が現われ、チーム内の『坊主率』がさらに増す。
 中でも喜んで同調したのが、フィジカルコーチのエルシオ。
 47歳のブラジル人コーチは、翌日には秋葉たちと同じヘアスタイルになっていた。生え際の後退加減がそれまで以上にはっきりとわかる頭で、彼は宮沢のもとへツカツカと歩みよってくると、日本語で尋ねてきた。

「ミヤ、ナゼ、切ラナイ?」

「いや、『ナゼ?』じゃなくって」

 思わず吹き出しながら、こうつづけた。

「だって、そういうのって人それぞれでしょ」

 そんな宮沢の返答に、エルシオは「ワカラナイ」と首を横に振る。

《別に髪を切らなくても、気持ちは同じだよ》

 宮沢はそう思っていた。
 坊主頭になるのが嫌だったわけではない。
 雰囲気に流されるのが嫌だったのだ――小さい頃から、周りと同じというのは気に入らなかった。周囲に流されることが好きではなかった。流行り物は意地でも買わないといった些細なことから、もっと重要なことまで。
 その妙なこだわりのせいで、後になって考えてみれば正確な判断を下せなかったと臍(ほぞ)をかんだ経験もゼロではない。そんな自分の性格を少し持てあましていることも事実だった。

 自分の内面からは、こう諭す声が聞こえる。

『変な意地張ってないでさ、切っちゃえばいいじゃん。みんなで気合い入れようっていうんだからさあ。いいことじゃん』

 実は、秋葉やマルクスたちが集まって頭を丸めたあの日、宮沢もその場に誘われていた。たまたま所用があって同席できなかったのだが、その場にいたならば、流されることが嫌いな自分もさすがに切っていただろうとの確信もあった。
 内面の声に、もうひとりの自分が反論する。

『でも、いい年した大人がみんなして坊主ってのも、どうなの? なんか怪しげな団体みたいだし……。それに、秋葉さんたちが切って数日経ってから切るってのも、今さらじゃない?』

 宮沢が態度を決めかねている間に、チーム内では髪型をネタとする会話がにわかに流行りだしていく。
 秋葉が宮沢に言う。

「ミヤ!お前っ、坊主にしなくても気合いは入ってるってところ、ちゃんとプレーで見せるんだろうなっ!」

 ふざけながら居丈高に聞いてくる秋葉たち『坊主組』に対し、必要以上に低姿勢になって

「ハイッ!頑張りますっ!」

と応じてみせていた。
 宮沢以外にも、山口素弘や丸山良明といったベテラン選手や安英学のような若手でも、それまでと変わらぬ髪型で通しいた選手はいた。彼ら『非・坊主組』は、「頑張らないと、何言われるかわかんねえなあ」と互いに笑い合いながら練習に身を入れていった。


 最終節を3日後に控えた20日――つまりは、秋葉たちが頭を丸刈りにした4日後――、フィジカルコーチのエルシオがニカッと笑いながら、再びにじり寄ってきた。
 手には電池式のバリカンが握られている。
 その全身に『コレデモ、ヤラナイノカ?』という雰囲気がみなぎっている。
 さすがに、観念せざるをえなかった。

《まあ、みんなで坊主になって気合い入れるなんて機会も、大人になった今じゃ、そうそうないだろうしな》

 そう思い、笑ってエルシオのバリカンを受け入れる。
 翌21日金曜日のトレーニング、宮沢は恐縮しながら練習会場に姿を見せた。

「へへへ、スンマセン……切っちゃいました」

 寒くなった頭を掻きながら、そう口にする。
 すぐさま、山口素弘の笑いを含んだ叫び声が響く。

「このっ!裏切り者ーっ!」

 宮沢と山口のそんなやり取りを目にして、山口と同じ『非・坊主組』の丸山がつぶやく。

「やっぱり、オレも試合前に切ってこようかな……」

 それを聞いた安が、すぐさま追従してみせる。

「オレは丸さんに付いていきますっ!」

 福岡戦で昇格の絶好機を逃した彼らは、同時に、広島に先んじての昇格を許す結果ともなっていた。

 J1への切符は残り1枚。

 最終節で自力昇格を決めるには、引き分け以上の結果を残さねばならなくなっていた。チームは追い詰められており、選手たちには、このシーズン最大の重圧がのしかかっていた。

 しかし、『坊主組』の出現によって笑いのネタが生まれる。
 おかげで、チームにのし掛かっていた重苦しい空気は霧散した。

《勝てばいいんだろ?絶対勝つ!》

 そんな強気なムードで、チームは最終節を迎えることになる。

 
(第4章 その5へつづく)


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