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『代表以外』あるJリーガーの14年 #17  第5章 コンバート:その1


 携帯電話の向こうから、レッズ時代の同僚の声が響く。
 アルビレックス新潟がJ1へと昇格して迎えた最初のシーズン、2004年の5月8日のことだ。

「明日の試合、絶対ブーイングされるでしょ」

 翌5月9日には古巣との対戦が控えている。J1ファーストステージ第9節、対浦和レッズ戦、が。
 
 抑えきれない若干の腹立ちを顕わにしながら、反論する。

「でも、オレは自分から出たくて出たわけじゃないじゃん。追い出されたのに、なんでブーイングされなきゃなんないの」

 電話の向こうから「たしかに」という声が、苦笑と共に返ってきた。

 
 
 浦和との対戦を控え、宮沢の心に特別な昂ぶりはない。
 この数日、報道陣との間では何度か以下のようなやり取りを繰り返してきたが、意識の表層に波風を立てることもなく、対応できていた。

「J1で、古巣との対決ですが、いかがですか?」
「いや、特別意識はしてないです。新潟に来てもう3年目ですし」

 決して強がりなどではなく、まごうことなき本心だった。

 《浦和との一戦は通過点のひとつで、長いリーグ戦のうちの1試合にすぎない》

 そう思っていた。

 レッズ戦前日には、午前練習をビッグスワンでおこなった。
 その後、チームメイトふたりと共に馴染みのカレー屋で昼食。
 スプーンでカレーライスをパクついている最中、ひとりが何とはなしに切り出してきた。

「明日、ミヤが一緒にやってた選手って何人ぐらい来るの?」
「え~と……」

 そうつぶやいて記憶を辿り、思いつくままに名前を挙げていく――山田暢久、岡野雅行、内舘秀樹、永井雄一郎、室井市衛、鈴木啓太、田中達也。
 年下の啓太と達也のふたりは、ひと月半ほど前にU-23代表チームの一員としてアテネオリンピックの出場権を獲得したばかり。今や、自分よりもはるかに大きな注目を浴びる選手となっていた。

「結構いるねえ」
「うん。半分くらいは明日スタメンなんじゃないかな」

 カレー屋を辞したところでチームメイトとは別れ、レンタルビデオ店で映画『シカゴ』のビデオを借りて帰宅した。
『シカゴ』を選んだことに大した理由はない。
 「店員のオススメ」とのポップが付されていたから、程度のもの。
 欲していたのは刺激的なストーリーなどではなく、映し出される物語をただただ受容し時間を消費することだった。

 部屋にひとりでいると、どうしてもサッカーのことを考えてしまいがちになるからだ。

 特に連戦中は、前の試合で《ああすればよかった》、《こうしていれば》といったことばかりが頭の中を駆け巡り、整理がつかないままに次の試合を迎えそうになる。

 レッズ戦直前のこのときも、同様だった。
 2日前に1-1で引き分けた名古屋グランパス戦での、あまり上手くはいかなかった自分のプレーが映像として頭の中に居座りつづけていた。
 その映像を追いやるために、ビデオを借りてきたのだ。

 23時頃、床についた。
 よく眠り、試合当日は7時半頃には目が覚めた。
 窓の外を確かめてみると、小雨が降っているようだった。
 インスタントのわかめの味噌汁を作り、ご飯に生卵、シャケのそぼろで朝食を済ませると、シャワーを浴びてからひと休みした。
 9時半には家を出て、集合場所へ向かう。
 駐車場に車を停め、荷物を手にチームバスへと乗り換える。
 その後、バスは新潟市の繁華街にあるホテルへと宮沢たちを運んだ。
 ホテルに着いてからは、チームの貸し切りとなっている大部屋で軽食を取る。
 キックオフは2時間半後。
 うどん、スパゲティミートソース、サンドイッチ、白身魚を少しずつつまんだ。
 全員が軽食を取り終えた頃、同じ場所でミーティングがはじまり、GKから順に先発の11人が発表される。
 それが、ホームゲームの日に踏むいつもの手順だ。

 レッズ戦、宮沢は先発だった。

 ミーティングが終わり、ふたたびチームバスに乗って約20分、ビッグスワンに到着する。
 移動の間は、目を閉じていた。
 ロッカールームに入り、紺色のアップスーツに着替える。
 断続的に降りつづいていた雨のことを考え、トレーナーに頼んでテーピングを両足首に巻いてもらう。捻挫予防のためだ。
 それでもまだ、チーム全員で身体を動かす時間までには随分と間があった。
 スパイクを取り出し、丁寧に磨きはじめる――手にしたスパイクはプーマ製の黒地に白いラインが施されたもの。最もシンプルでオーソドックスな色使いのタイプだった。
 レッズでの最後のシーズンには、同じモデルの黒地に赤いラインのものを愛用していた。

 黒に赤――。

 つまりは、レッズのチームカラーに合わせて選んだものだった。
 複数持っていたそのスパイクは、どれもまだまだ使用可能なものばかり。
 しかし、新潟に来てからは履いてはいない。
 黒に赤のスパイクは、自分が抱いていたレッズへの思いを象徴するものでもあったからだ。

《新しいチームに行くんだから、まずはレッズと訣別しなきゃいけない。赤いラインのスパイクだと、新潟のみんなからも『まだレッズが心に残ってるんだな』と思われるかもしれないし、それは嫌だもんな》

 そう考え、封印した。

宮沢所有の黒×赤ラインのスパイク(撮影:甲斐啓二郎)


 同時に、早く新潟に馴染みたい、馴染まなければという思いも強く抱いていた。
 だから新潟では、黒に白のスパイク以外にも、新潟のチームカラーに合わせた白地にオレンジラインのモデルを履くことも多かった。

 
 磨き終えた黒と白のスパイクに足を入れてから、ロッカールームを出て、室内アップスペースへと向かう。このスペースのピッチ側はガラス戸となっており、このとき初めて、宮沢はスタンドの風景を視界に入れることとなった。

 左手には、いつも通りオレンジの新潟サポーターが陣取っている。

 反対の右手、アウェイ側ゴール裏は6,000人のレッズサポーターによって赤く染められていた。

「うわっ、いっぱい来てるなあ!」

 驚きと共に、思わずそう口に出していた。

 
 この日まで、レッズとの対戦を《通過点にすぎない》と宮沢に思わせていたのは、新潟サポーターの存在によるところが大きかった。

《レッズのサポーターが来るといっても、ウチのホームだし、新潟のサポーターで囲むから、そんなに凄くはないだろう》

 そう、高をくくっていたのだ。
 しかし試合当日になってみると、実情は想像とは違っていた。
 訪れたレッズサポーターの数にあらためて驚くと同時に、

《なんでこんなに入れちゃうんだよ。これじゃあ、ホームなのにホームじゃなくなっちゃうじゃん》

と、クラブの運営方針に対し若干の苛立ちを覚えた。
 というのも、この試合だけが他のホームゲームとは席割りが異なっていたからだ。これまでは、右手ゴール裏の一部だけが柵と警備員で区切られた上で『ビジター席』として販売されていた。しかし、レッズ戦に際してはゴール裏すべてがビジター用として拡大して割り当てられていたのだ。
 おかげで、この一戦はシーズン最多となる4万1,796人の入場者数を記録することともなったのだが、選手としてはそのあたりの優先順位に疑問符を付けざるを得なかった。


 ガラス戸越しにレッズサポーターの大集団を目にするこの瞬間まで、宮沢は浦和との一戦を特別視してはいなかった。

 もちろん、絶対に勝ちたい試合ではある。
 しかしそれは、古巣が相手だからではない。
 ホームゲームだからだ。

 1週間前のホームゲーム、宮沢たちは東京ヴェルディにリーグ戦初白星を献上。ホームでのリーグ戦3試合で0勝1分け2敗という結果となり、このときばかりはビッグスワンにもブーイングが鳴り響いていたのだ。新潟に来て以来、ホームでブーイングされるのは宮沢の記憶でははじめてのことだった。

 だからこそ、迎えた浦和戦は絶対に負けられないホームでの試合という意識の方が、圧倒的に強かったのだ。


 とはいえ、レッズサポーターがスタンドを埋め尽くす光景を目の当たりにすると、かつての記憶が呼び覚まされるのは否定しようのない事実だった。

 その感情は、「郷愁」と表現するのが適切かもしれなかった。

 真っ赤なゴール裏は、しかし文字通りの赤だけではなく、ところどころに黒い色が滲むように交じっている。
 赤いレプリカユニフォームではなく黒いTシャツを好んで着用するサポーターグループも少なからずあったからだ。
 俗に「コアサポ」と呼ばれる、コールをリードする集団ほど黒を着用する傾向があり、彼らのそんなこだわりは宮沢が在籍していたときから見られたものでもあった。
 赤に交じる黒を目にして、《ああいうところも変わってないな》と宮沢は思った。
 昔の知人を街角で見かけたような、懐かしさを感じる。
 感傷にも似た思いが、少しずつ、胸の奥底から湧きはじめてくる。

《……古巣と、やるんだな……》

 「通過点」だった試合が、少しずつ「特別な一戦」へと変質しはじめていく。その変化をさらに強くしたのは、時折見かける浦和のスタッフたちの姿だった。
 アップスペースとピッチを遮るガラス戸の向こうを、見知った顔が通りすぎる度、《あ、ミズさんだ……》《おっ、ノリさん》、《マルヤマさんだ》などと心の中で名前をつぶやいては、「古巣対戦」の実感を募らせていった。
 特に世話になったチームマネージャーやコーチの姿を見つけた際には、アップスペースを出て呼びとめ、挨拶をした。

 彼らは一様に、この試合に自分が出場することを喜んでくれていた。

「ミヤ、頑張ってるなあ」
「はい。今なんかサイドバックやってますよ、サイドバック」

 笑顔でそう告げる。
 この話題を半ば『ネタ』として切り出すと、相手は期待通りに、驚きを込めた言葉を返してきた。

「えっ?お前がサイドバックやってんの!? 本当に?」

 かつての宮沢を知る者からすれば、その反応は当然と言えるものだった。


(第5章 その2へつづく)
 
トップ画像撮影:甲斐啓二郎


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