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『代表以外』あるJリーガーの14年 #12 第4章 アイシテル ニイガタ:その1
2002年11月、宮沢が新潟の一員となって迎えたシーズンもすでに終盤に入っていた。
この年、J2全12チームのうち、J1へ昇格できるのは2チーム。
首位を走るのは大分トリニータだった。
監督は小林伸二――前年2001年5月、石崎信弘が成績不振で解任され、後を引き継いだのがサテライトコーチを務めていた小林だ。彼は石崎時代の懸案だった守備の立て直しに成功。チームはその2001シーズンの最終節まで昇格の可能性を残していたものの、6位でのフィニッシュとなっていた。
迎えた小林体制2年目となる2002シーズンでは、序盤から首位を独走。
安定した力を発揮して41節でJ1昇格を決定し、次節でJ2タイトルも手中に収めていた。
残るは、ひと枠。
全44節のうちの43節目を迎えたとき、2位につけていたのはセレッソ大阪。
1年でのJ1返り咲きを目指すセレッソの陣容は「豪華」と言ってよかった。この年のワールドカップにも出場した森島寛晃・西沢明訓という代表選手に加え、大久保嘉人という若いタレントを要する攻撃陣はJ2随一だった。
3位がアルビレックス新潟。
両者の勝ち点は83と79。
差は4、残り試合は2。
そして迎えたのが2002年J2第43節、両者の直接対決だった。
新潟が勝てば勝ち点は83対82へと縮まり、最終節へと望みをつなげられる。 しかし負けはもちろん引き分けでも、セレッソの昇格が決まってしまう。
2002年11月16日、長居スタジアムでの第43節は、そういう『際(きわ)』の一戦だった――。
3万2067人の大観衆を前に15時4分にキックオフされたゲーム、新潟の選手にはチグハグなプレーが目立つ。特にDF陣に顕著だった。余裕があっても前方にボールを跳ね返すばかり。何かに怯えるかのように自陣ゴールからボールを遠ざけようとする新潟は、ゲームのリズムをつかみきれない。
そして前半11分、セレッソ・大久保に先制弾を許してしまう。
ベンチスタートの宮沢が反町に呼ばれたのは後半11分。
スコアは0-1のままだった。
10数秒ほど指揮官からの指示に耳を傾け、「行ってこい」と背中を叩かれる。
FWと交代でピッチに入って間もなく、左サイドをドリブルで持ち上がり、ゴール前にクロスボールを送った。
エースストライカーのマルクスが右足で合わせる。
しかしシュートはGKの正面へと飛び、ネットを揺らすことはできない。
セレッソが2点目を決めて突き放すのは、約1分後。
0-2とされた新潟は、さらにリスクを負って攻勢に出る。
宮沢も、40分には右サイドでボールを受けると、中へと切り込んで左足で自身がゴールを狙う。しかしコースが甘く、シュートはGKに防がれる。
ロスタイムにはさらなる追加点を許し、ここまでのクラブ史上最も重要と言っても過言ではない試合は、0-3の完敗に終わる。
試合後の会見、新潟の指揮官・反町康治は端的にこう評した。
「今日のゲームはお客さんがたくさん集まる中で、勝つか負けるかで大きくちがうというゲーム。そういう切迫した状況での経験があるのは、やはりセレッソ大阪の方でした」
その後も反町が記者たちからの絶えそうにない質問に答えつづけている頃、着替えを済ませた宮沢はミックスゾーンにいた。
「最後の最後に、差が出たなという感じで……。1年間目指してきたものが、今日終わって、さすがにちょっと……」
うなだれながら、何とか言葉を絞り出す。
この日のプレー時間は30分強。
決して長いとは言えないものだ。
しかし、まるで1年分の疲労がのしかかってきているかのように、宮沢には感じられていた。
セレッソ戦から8日後の第44節。
新潟市営陸上競技場に水戸ホーリーホックを迎えたチームは、3-1の勝利で最終節を飾った。
この最終節・水戸戦、宮沢は先発。
後半31分にベンチへ退いたものの、リーグ戦の出場試合総数を31へと伸ばした。挙げたゴールは6つ。
レッズ在籍時に残した数字は3年間でリーグ戦8試合出場2得点。
うち、J1では3試合1得点。しかも、3年目の出場ゼロだったのだ。
そのことを思えば、新潟での記録はJ2とはいえ評価できるものだった。
チームの最終順位は3位。
首位大分との勝ち点差は12、2位セレッソとの差は5だった。
2位と勝ち点差5というのは、このシーズンの前年である2001年、反町が新潟に就任した年と同じだった。その01年は順位こそ3位ではなく4位だったものの、当時の選手層の薄さを考えれば、監督の反町自身が「この戦力で、よくやった1年」と評する出来だった。
その2001年を受け、宮沢を含む18名もの選手をチーム始動前に新たに獲得し、J1昇格を実現可能な目標として臨んだのが、この2002シーズンだった。
結果は、2位との勝ち点差こそ変わらなかったものの順位をひとつ上げ、J1への距離は少しだが確実に縮まった。
9月末、残り10試合の時点では首位に立ってもいたのだ。
そこから下降線を辿った一因は、重圧――。
昇格という目標が手の届く位置に来たがゆえに、選手たちにのしかかった重圧。そのプレッシャーが生んだ、普段の力が出せなくなるほどの緊張。
それこそは、昇格を前にしたチームの前に一度は立ちはだかる『壁』だった。
前年の2001シーズンでは、その最後の壁にブチ当たるところまで至らずに終わっている。そのことを思えば、この2002年の経験は来季へ向けた大きな財産と言えるものだった。
そして、シーズンの終了を迎えても未だ、新潟サッカー界に吹く追い風は消えていなかった。
ビッグスワンの完成、その『箱』で開催されたワールドカップとアルビレックスの試合のどれもが成功裡に終わり、県内のサッカー熱はかつてないほどに高まっていた。
『この熱が冷めてしまわぬうちに、新潟にサッカーを根付かせたい』
その思いは、新潟のサッカー関係者・プレーヤー・ファンに共通したものだった。
2002シーズンが終了したこの時点で、J1昇格とはアルビレックス新潟の『目標』ではなくなっていた。
すでにその域を超えた、達成すべき課題、実現を義務づけられた宿願と言っていいものとなっていた――その責務を果たすため、クラブは所属選手の半数近くにあたる13名と翌2003シーズンの契約を更改せず、新たな12人を迎える大幅な戦力入れ替えを敢行することになる。
宮沢がクラブハウスを訪れたのは2002年12月25日。
その日、J1昇格を果たすために必要な一員として、アルビレックス新潟との1年契約を更改した。
年が明けて2003年2月、チームはクラブ史上初となる海外キャンプをブラジル、クリチバ市のパラナエンセで実施。約4週間のブラジルでのトレーニング後も国内合宿をこなし、3月16日、J2開幕戦を迎えた。
場所は埼玉スタジアム、対戦相手は大宮アルディージャ。
宮沢にとって埼スタでの大宮戦は、前年にFKから直接ゴールを決めた験の良い場所・カードだった。
この日の開幕戦、宮沢は先発出場を果たす。
選手入場の順番は8人目だった。
キャプテンとして先頭を歩いていたのは山口素弘。
日本がW杯に初めて出場した1998年フランス大会、ボランチとして全3試合でプレーした彼こそは、このシーズンの新潟が行なった補強の目玉だった。
山口の加入により、前年まで秋葉忠広・安英学らとボランチを務めることの多かった宮沢は主戦場を左サイドへと移し、より攻撃的な仕事を求められるようになっていた。
大宮との開幕戦、新潟は6分に先制を許してしまう。
しかしその後、リードする大宮の黒崎久志が36分に2度目の警告で退場。
数的優位を得た新潟は、後半13分に左からのCKで同点とする。新加入のブラジル人DFアンデルソンが後方から走りこみ、ヘディングでネットに突き刺した一撃だった。
このCKを獲得したのは宮沢のプレー。
ペナルティエリア左脇でボールを受けた宮沢は、ゴール前にボールを送ろうとするキックフェイントから縦へとドリブル。DFをひとりかわして深い位置へと運んでからクロス、そのボールはさらに別のDFによってCKに逃げられたが、昨年まで――特にシーズン終盤――の宮沢であれば、最初にボールを受けた時点でシンプルにクロスを上げていた場面だ。当時の宮沢は、こんな悩みを抱えていたからだ。
《監督が思う自分のチーム内での序列が曖昧で、いまいち思い切ってプレーできないな・・・・・・》
監督からの評価をつかみきれず、《もっとアピールしなきゃ》と念じ、その思いのせいで《アピールするためにも、まずはミスを減らさなければ》という考えに陥りがちだった。
ミスを怖れ、自分のところでボールを失うわけにはいかないとの思いが強まった結果として、安易な『逃げ』のプレーに走ってしまうことも度々あった。
『逃げ』の姿勢が見えれば指揮官からの信頼を勝ち得ることは難しくなり、出場機会は減少する。
そのことが悩みをより深刻化し、さらにミスを怖れる気持ちが強まる。
結果、『逃げ』のプレーが増える。
そんな悪循環に陥っていた。
当時のままの宮沢ならば、開幕戦後半13分のこの場面でも、対峙した相手をキックフェイントでかわしにはいかず、そのままクロスを上げてもおかしくはなかった。
だが、異なる選択をしてCKを獲得し、それが同点弾へとつながる。
《去年と同じことを繰り返してちゃ駄目なんだ。今年は、去年と同じような思いはしない!》
そんな、昨年までとは違う明確な積極性――危機感と言ってもいいかもしれない――を胸にこの2003シーズンを迎え、開幕戦でそれが結果につながった。
その事実は、些細だが宮沢にとっては大きな変化だった。
自身が獲得したCKから同点とした7分後には、チームのエース、マルクスのゴールで逆転。その後の25分、宮沢はGK川島永嗣との1対1という絶好機を迎え、エリア左から利き足ではない右足でフィニッシュ。シュートは川島に弾かれてしまうが、こぼれたところを味方が押し込み、チームは3-1と大宮を突き放す。
3-1のまま時間は進み、ペナルティアーク右でのFKを獲得したのは試合終了間際だった。
白いユニフォームのマルクスとふたり、ボールの傍らに立つ。
ボールを挟んで右に自分、左にマルクス。
この場所でFKを得た際には前年以来何度も繰り返してきた位置関係だった。だが、このときはボールをセットしてから蹴るまでに、かつてないほど長い時間が費やされる。
「マルクス、マルクス、マルクス」
と、『10』を背負ったブラジル人は自分の名前を連呼した。
《これはオレが蹴る》との、強い意思表示だ。
だが、引き下がるわけにはいかない。
ゴール裏のサポーターたちは、最前から自分の応援歌を唄いつづけてくれている。
「ミーヤザワー ゴォールをねらえー おーれらとー ともに戦おー」
歌声に背中を押されるように、宮沢も昨年までから一皮むけたような強情さで「ミヤ、ミヤ、ミヤ」と自分の名前を言い返した。
そうこうしているうちに、壁を作る大宮の選手から「とっとと蹴れよ!」との声が飛んだ。終いには、主審からも「早くしなさい」と注意される始末だった。
審判の注意が効いたのか、ゴール裏のサポーターの応援歌が効いたのか、はたまたこの試合ですでに1ゴールを挙げている余裕からだったのか――。
とにかくマルクスはFKを譲ってくれた。
埼玉スタジアムにはサポーターの歌声が、今も響きつづけている。
「ミーヤザワー ゴォールをねらえー おーれらとー ともに戦おー」
ゴールは左斜め前方。
近い側のゴールポストは大宮の選手6名が作るオレンジの壁で隠されている。壁がカバーしきれない遠いサイドのポスト近辺は、後に日本代表となるGK川島永嗣が警戒している。
その布陣は、直接ゴールを狙って来るFKに対するオーソドックスな守り方だった。
そんな守備の定石に対しては、蹴る側にも『鉄則』と言っていいセオリーがある。GKがいる遠いポスト側ではなく、壁を越えて落ちるボールをGKのいない近いサイドへ送ることだ。
宮沢が、細かいステップからボールにアプローチする――。
狙ったのはセオリー通りの、壁を越えて落ちるゴール右、ではない。
左だった――昨シーズンまでならば、定石に倣いゴール右を狙っていた。前年の大宮戦で決めた2本のFKも、壁を越えてゴール右のネットを揺すっている。その情報は、守る川島の頭にも入っている可能性は高いと思われた。GKによっては、わざと壁の後ろを広く空けることでシュートコースを誘導しようという駆け引きに出る者もいる。
守る側のそういった心理を、新潟のGKコーチ・ジェルソンから教えられ、敢えてGKが立っているゴール左を狙う練習を、この2003シーズンに入って重ねていたのだ。
そのコースを狙う際に重要となるのは、GKが触れられないような強くて速いボールを蹴ることだった。
2歩目に右足を踏み込んだ宮沢が、3歩目で左足インフロント気味にボールを捉える。
インパクトの感触はよかった。
ボールはオレンジの壁の左脇を通過し、枠の左上へと飛翔。
ゴールバーの下に当たりそうなコースだった。
心の中で叫ぶ――。
《入っただろっ!》
ゴール中央に位置していた川島が伸ばす右手を越え、ボールがバーの下をガツンと叩く。
反動でゴールラインの向こう側へバウンドしたボールは、それでも勢いが止まらず、ピッチから跳ね上がってゴールネットの天井を突き上げた。
宮沢のこのFKでスコアを4-1とし、チームはアウェイでの開幕戦を快勝で飾った。
ミックスゾーンでの宮沢は、謙遜もあって苦笑と共にこう口にする。
「まぁオマケですよね、今日のゴールは」、と。
しかし、心の底では言いようのない充実感を抱いていた。
GKコーチのアドバイスと、それをもとに重ねた練習が快心の形で結実していたからだ。
しかも長いリーグ戦では、自分が挙げたこの1点が、得失点差という形で最後にモノを言う可能性もある。監督へのアピールにもなったであろう。
だが、安心などできなかった。
「今日はスタメンだったけど、次はどうなるか全然わからない。そういうメンバーが揃ってるから、新潟は。だから僕なんかは、次の試合、その次の試合のことを考えながらやらないといけないと思います」
チームとともに幸先よいスタートを切った宮沢は、「次の試合」も「その次の試合」も、先発出場をつづけていく。結果的には、開幕戦から数えて7試合連続となるものだった。
(第4章 その2へつづく)