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『代表以外』あるJリーガーの14年 #14 第4章 アイシテル ニイガタ:その3

 2003ナビスコカップでの浦和レッズ初戴冠から3日後――。
 新潟はホームにピエール・リトバルスキー率いる横浜FCをホームに迎える。
 残るリーグ戦はこの1戦を含めて3試合。
 開始時点での勝ち点は、新潟82、広島80、川崎78。
 新潟が勝利した場合、広島と川崎の結果次第では2位以内、つまりはJ1昇格が確定するというゲームだった。

 冷たい雨がしとしとと落ちるなか、宮沢は上下とも濃紺に白いラインのアップスーツを着込み、手袋を着けてボールを蹴っていた。
 場所はペナルティアークの右脇、左利きの選手が直接ゴールを狙うのに最適の位置から、FKの予行演習を重ねた。先発組が最後の仕上げに数メートルのダッシュを行なっている間も、前後左右に1メートル単位で場所を変えながらFKを蹴りつづけた。
 先発組がロッカールームへと戻ってからは右のコーナースポットへと移動、CKの練習をはじめた。
 まもなく、ビッグスワンにアナウンスが響く。

「時間となりましたので、両チームの選手はウォーミングアップを終了してください」

 だが、宮沢は戻ろうとはせず、さらに4本のCKを蹴った。
 帰りしなには最初にFKを蹴っていた場所でもう一度FKを行ない、それを見てゴール裏から起きた「ミヤザワ」コールに頭上で手を叩き合わせて応えた。

 14時3分にはじまった横浜FCとの試合は、2-1とリードしてハーフタイムを迎える。
 ロッカーへと引き上げるスタメンたちと握手を交わし見送ってから、宮沢はピッチ内でドリブルを開始。フェイントをかけて相手をかわすイメージで動きながら、スパイクのグリップ具合を確かめた。その後はボールコントロールの感触を確認し、最後にまた試合前と同じ位置からFKを2本蹴る。
 雨を気にして取り替え式のスパイクを履いていたが、ピッチは危惧していたほどスリッピーではなかった。《これなら固定でも大丈夫だな》と、好みの固定式のシューズに履き替えようと思いながらロッカーへと戻った。

 出番が来たのは後半32分。

 チームは4-1とリードし、しかも相手はひとりが退場となっていた。
 交代するため監督から呼ばれるまで、身体を冷やさぬよう動きつづけていた間には、他会場で3位・川崎が3-1とリードしているところまで知らされてもいた。
 川崎との勝ち点差を考えれば、この日に自分たちの昇格が決まる公算は低い。
 逆に言えば、自分たちが昇格を逃す可能性もいまだ残されている。

《最後に、得失点差がモノを言うかもしれない――。追加点を狙いに行こう!》

 そう思いながら、ファビーニョと頭上で手を叩き合わせ、互いに抱き合ってからピッチに足を踏み入れた。
 しかし、ファーストタッチはトラップミス。
 その後も、なかなかリズムに乗りきれない。
 スライディングで相手ボールをインターセプトしたのをきっかけになんとか建て直し、44分にはエリア左外からシュート。もうひとつドリブルを入れてから打ってもいいような状況で左足から放たれたボールは、バーを越える。
 そしてロスタイムに入ると、チームは失点。
 その後に訪れたFKのチャンスには効果的なクロスを供給できないまま、4-2で試合終了を迎える。
 すぐにベンチを見やった。
 普段の勝利後の雰囲気と何も変わりはない。

《ああ、やっぱりまだ昇格はお預けか・・・・・・》と悟った。

 ミックスゾーンで、次節以降に持ち越された昇格について尋ねられ、こんな感想を漏らした。

「この横浜戦という『山』を越えたら昇格かもと思っていたら、まだもうひと山あったという感じです」

 もうひと山――。
 宮沢自身は、このひと言にそれほど深い意味を込めて口にしたわけではない。
 だが、図らずもこの言葉は、これまでの彼を象徴するようなものでもあった。
 この横浜戦での宮沢のプレーは、彼をよく知る者からすれば悪い意味で《彼らしい》と思わされる内容だったからだ。

 自身が追加点を挙げるチャンスがありながらゴールはできず、その後にチームが失点。それでも勝利で終わることはできたものの、昇格は決まらなかったという結末。

 惜しいところまで行きながら、あと『ひと山』を越えられずに、尻すぼみのまま終わる――。

 それはまさに、その後の新潟での彼を暗示するかのような展開だった。


 昇格が『お預け』となった第42節の横浜FC戦から1週間後、11月15日。
 チームはアウェイでのアビスパ福岡戦を迎える。
 前節では昇格が決しなかったものの、残り試合は3から2へと減った。
 勝ち点は新潟85、広島83、川崎81。

 福岡戦に勝てば、他チームの結果に関わらず新潟の2位以内は確定する。

 迎えたこの大一番、クラブは現場に全面的なバックアップを施す――通常、アウェイゲームの際にチームが現地入りするのは試合前日だ。夜の食事を18時から19時前後という理想的な時間に取れるよう逆算して午前中に練習を済ませて移動、ホテル入りするのが典型的なパターンだ。
 しかし、このときの新潟は試合2日前の11月13日夜には福岡入りをすませる。試合前日の翌14日には場所・時間ともに非公開でトレーニングし、雑音を入れない状態で最終確認を実施。さらには、いつもは5~10万円ほどの勝利給も普段の1.5倍にアップすることが決定。これはシーズンで4度目となる『ボーナス』で、ボーナスを提示した過去3度の試合はどれも勝利を収めているという「験担ぎ」の意味も含まれていた。
 福岡との今季の対戦成績は3戦して3勝しているにもかかわらず、さらなるダメ押しをしようというわけだった。

 4度目となる福岡との試合、宮沢は先発する。
 ただし、立った場所はこれまでの左ではなく右サイド。
 その位置を務めていた栗原圭介が出場停止のため、出番が巡ってきた形だった。
 しかも、自分の後方でサイドバックを務めるのは、本来はボランチの安英学。1対1に強い安の起用も、本職の三田光が警告累積で出場停止という事態が招いた苦肉の策だった。
 15時4分にはじまった試合、福岡側のキーマンはFWのベンチーニョだった。真ん中と左サイド――つまりは宮沢と安が任された新潟の右サイド――をプレーエリアとする選手だ。ボールを持っていないときの彼がサイドラインぎりぎりに張り出しがちなことは、事前のスカウティングをもとに伝えられており、宮沢の頭にも入っていた。
 しかし、いざ試合がはじまってみると、ミーティングで反町に教えられていた以上にベンチーニョはライン際に長い時間留まりつづけた。

《サイドに張ることがあるって聞いてはいたけど、もっと中に入ったりしてフラフラするはずじゃなかったっけ……》

 戸惑いながらプレーしているうちに、ベンチーニョの突破を許してしまう。後方の安も同様に対処しきれていない。
 心のうちで悲鳴をあげる。

《ヤバイよ。ディフェンス全然うまくいってないじゃん!なんでこんなことになってんだよ!》

 理由は明白だった。
 福岡の左サイドには、SBアレックス、MF古賀誠史に加えてベンチーニョが留まりつづけたことで常に3人が位置する状態だった。対する新潟は自分と安のふたり。数的不利を強いられ、蹂躙されていたのだ。
 現状ではどちらも退場者は出しておらず、11人対11人。
 にもかかわらず、自分たちのサイドが1人少ない状況に立たされているということは、チームメイトの1人がどこかで余っていることを意味していた。布陣をうまくシフトできれば、2対3を3対3の同数に変えることも可能だった。
 しかし、ベンチからの修正指示はない。
 ピッチ内にもその修正案を言い出す者はいなかった。

 ここまで42試合を戦ってきた新潟のサッカーは、選手が己の感性に任せて、あるいは状況に応じてポジションを自由に変更するようなものではなかった。
 まずは自分の与えられたエリアを守るという意識が強いサッカーだった。
 
 自分のサイドからやられ、宮沢の焦りは増していった。
 抱える焦りを払拭しようかとするように相手に詰め寄ったものの、いたずらにボールへ食い付いただけの結果となり、自分をカバーしようとプレスした安も易々とかわされる。
 それでも、たとえば中央を守るDFから「こっちは1人余ってるから、多少やられても大丈夫だ!気にするな」とでも声がかかっていれば、気の持ちようももう少し変わっていたはずだ。
 しかし、そういった声がかかることはなかった。
 それどころか、チームメイトたちの視線は『お前らのサイド、やられすぎだろ』と非難しているようにすら思われた。
 

 昇格を目の前にして、誰もが余裕をなくしている。


《このままじゃマズい。絶対に、いつかやられる――》

 危機感を募らせた宮沢の手に握られた解決案がひとつあった。
 自分と後方の安のポジションを入れ替えることだ。
 安は対人プレーには強いとはいえ、本来はボランチの選手だ。中央での守備とサイドライン際での守備では、コースの限定の仕方からしてまるで違う。それならば、サイドでの攻防に慣れている自分がDFラインへ下がり、前に出た安に後ろからコーチングをして動かした方がいいのではないかと思えた。

 だが、実行には移せない。
 
 ベンチからの指示がない以上、《自分のアイデアは監督の意向を無視することになるのでは・・・・・・》との危惧を拭い去れなかったのだ。

 もどかしさを感じながらプレーをつづけた末の前半39分、先制弾を喫する。カウンターから自陣左サイドを崩され、CBの丸山が釣り出される。そこからエリア内にグラウンダーのボールを通された末、警戒すべきとわかっていたはずのベンチーニョにゴール正面、右足で蹴り込まれた。
 宮沢のわずか数メートル目の前で起きた出来事だった。
 
 しかし後半の24分、チームはファビーニョの左足ボレーで同点に追いつく。
 その瞬間を、宮沢はピッチ上ではなくベンチに座って迎えていた。
 同点ゴールは、自分が交代したわずか1分後。
 その瞬間こそ狂喜に身を任せることができたが、試合が進むにつれて寂寥感は増していく。
 それでもチームの勝利を祈りつづけた。
 しかし41分、古賀にミドルシュートを決められて1-2とされ、そのまま試合は終了した。
 
 昇格争いのライバル、広島は勝利、川崎は引き分けていた。
 結果、首位は広島、勝ち点86。新潟が85で追い、川崎は82。
 しかも広島は、1試合を残し3位との勝ち点差が4となり、2位以内を確定させる。

 J1行きの切符は、残り1枚。

 福岡戦はJ1昇格を決するどころか、それを逃す可能性を再認識させるゲームとなってしまっていた。
 会見場を後にしてからも、39歳の指揮官は20人以上の記者に囲まれたまま。

「ドーハにくらべりゃ、世界がひっくり返ったわけじゃないし」

 1993年ワールドカップ最終予選での出来事を引き合いに出し、反町はまだ残る昇格可能性を強調してみせる。
 最終節で引き分け以上ならば、新潟は昇格できるのだ。
 それでも反町を囲む記者の輪は解けない。
 投げかけられる質問に、反町は応えていった。

「宮沢に代えて深澤を入れた意図は?」
「もともとは宮沢と深澤、どっちをスタメンにするか考えていて、今日は宮沢のFKを取った形でした。セットプレーでのボールに賭けたんですけどね」

 そう言って反町はひと息つくと、言葉を繋げた。

「宮沢はいつもと同じ。まあ、ケツの穴小っちゃいからしょうがないよ。いくら言っても、スライディングしないしね。去年の悔しさを思い出せって言っても駄目だし」

 反町が『囲み取材』の輪から解放されたのは7分ほど経ってからだった。

 引き分け以上の結果でも昇格できるとはいえ、アウェイでのこの福岡戦で決めると意気込んでいた選手たちの痛手は、決して小さくなかった。
 スタジアムをあとにしたバスは、沈黙に支配されている。
 シートに背中を預けながら、宮沢は自身の未熟さを噛みしめていた。

《監督の意向を無視してでも、ピッチ上で自分がこうすべきと思ったことは実行する。そういう決断力や勇気が、自分にはまだないんだな・・・・・・》、と。

 残るは1試合。ホーム・ビッグスワンでの大宮アルディージャ戦。
 キックオフは8日後、11月23日日曜日、13時5分 ――。

(第4章その4へつづく)

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