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みにくいもの見えないめくら  美しいものしか見えない眼

 みにくいものがある。美しいものがある。厳然として吾等の前にある。ごまかす事は出来ない。にも拘らず此世には美しいものしかない。それしかない。
 美しいものしかない。みにくいものはまよひ。

河井寛次郎 いのちの窓 より

京都に住んでいた時…だから20年くらい前かな
民藝を知り、河井寛次郎を知り、その記念館が通勤経路に近かったこともあって身近だった

美術館巡りあるあるかもだけど、買ったことに満足してそのままになっていた書籍を
20年以上経って初見の感覚で読んだ

たしか民藝は、日常の暮らしの中にこそ美しさがある
すごくすごく要約するとそんな感じだったと思う

美しいものしかない。
それしかない。
みにくいものはまよひ。

今の私に すとん と降りてきた

20年以上患っている婦人科の病気
いろんな治療をしてきて
今は筋腫と内膜症がある

筋腫はお腹を触るとそのかたちを
認識できるほど大きくなっている

その筋腫をわたしは みにくい と
思っていることが解ってしまった

だってなくていいものだから
うまれてきて必要な臓器ではない
わたしを苦しめるもの
異物だと認識していた

ここ数年どんな自分も認めるんだということや
思考や今まで刷り込まれた固定概念を
取りに取りに取りまくってきたけど
病気 健康 については
なんていうか…
扱いにくい存在だった

からだの不調はなにかしらのサインで
自分が設定したことから起こっていると
今は理解出来る

あぁわたしはじぶんのことをみにくいと
思っているし、いまのこのからだのわたしを
認められないのだと数日前に気づいて
どうしたものか…といったん手放していた

そうしたら、こうして答えがきた

いまのこのからだもわたし
わたしがつくりだしたもの
そして、みにいくものなんかない

美しいものしかない。
それしかない。

もはや
このぼこぼことしているお腹も愛せそうだ…
いや、、、それはちょっとまだ早いかな…
でも、異物ではなく、じぶんの1部として
認められそうだ

#民藝
#河井寛次郎
#いのちの窓
#自分軸