【読書考】「資本主義の宿命」を読んで.
0.「今日の記事のポイント」
☆「資本主義の宿命(著:橘木俊詔:2024年:講談社現代新書)を読んでと、格差社会が拡がりはじめたのは1990年代からだよ」
☆「生産性を上げると平等性は後退するよと、日本は格差大国だよ」
☆「ピケティの21世紀の資本と、成功しなかった中国の先富論」
☆「本書の最後には希望も書いているよと、コロちゃんの疑問?」
☆「コロちゃんと格差社会」
1.「資本主義の宿命(著:橘木俊詔:2024年:講談社現代新書)を読んで」
本書は「格差を扱う社会学」の第1人者の「橘木俊詔氏」の最新刊ですね。
コロちゃんは、現在の社会全般に興味がありますから、この「橘木俊詔氏」の本は今までにも読んでいますね。
コロちゃんは、さっそく自分の「インターネット本棚」の「橘木俊詔氏」の読書済みの本を検索してみたら、以下の6冊がヒットしました。
◎「コロちゃんのネット本棚:読書済みの橘木俊詔氏の著作」
➀「世襲格差社会:2016年:中央公論出版」
➁「家計の経済学:2017年:岩波書店」
③「遺伝か、能力か、環境か、努力か、運なのか:2017年:平凡社新書」
④「中年格差:2020年:青土社」
⑤「教育格差の経済学:2020年:NHK出版新書」
⑥「資本主義の宿命:2024年:講談社現代新書」(今回読書した本)
以上の本をコロちゃんは、過去に読んでいましたよ。なお、コロちゃんは「ネット本棚」」に上記6冊中4冊は「簡単なレビュー」を書いていますので、よろしければ以下からお読みくださいね。
2.「格差社会が拡がりはじめたのは1990年代からだよ」
さて、今日の「資本主義の宿命」の【読書考】を書く前の「前書き」にもう少しお付き合いお願いします。
コロちゃんの「格差社会」の認識を、ちょっと書いてみますね。
コロちゃんが見て来た「日本社会」に、「格差社会」と言う言葉が拡がって来たのは、そんなに古い時代ではありません。
「高度成長後」の1970年代から1980年代では、「一億総中流」との意識が定着していました。当然のこととして「格差社会」と言う言葉自体がありませんでした。
年1回実施している内閣府の「国民生活に関する世論調査」では、1970~1980年代にかけて「生活の程度に対する回答比率」が、「上・中」で9割に達したとされています。
その時代の「日本」の国民意識は、「わが国は総中流社会だ」と思っていたのですよ。
ところがその後の「バブル崩壊(1991年)」を経て、1990年代からジワジワと「格差が拡がっていき、それが「国民」の目にハッキリ見えてきたのが2000年代以降だと、コロちゃんは考えていますよ。
なお、新聞で「格差社会」と言う言葉が初めて見られたのは、1988年11月19日の朝日新聞の社説「『格差社会』でいいのか」とされています。
さすが「社会のオピニオンリーダー」とされる全国紙ですね。先駆的な「社説」でしたね。
このように「歴史の経過」を見ていると、「日本が格差社会」になったのは「天災」などの「避けられない自然災害」ではありません。
「失われた30年」と言われるように、「政治と経済の運営の失敗」によって起きたものと言うのがコロちゃんの見方ですよ。
過去の「為政者」の皆さんが、「1970~1980年代の一億総中流の社会」から、その後の「格差社会」に変えてしまったのですから、その責任は重いとコロちゃんは考えていますよ。
それでは、やっと「前書き」が終わりましたので、次に今日のメインテーマの「【読書考】資本主義の宿命」をご紹介しますね。
3.「生産性を上げると平等性は後退するよ」
この本が、最初に取り上げているのは、「どれほどの格差を容認するのか?」です。「社長と平社員の所得格差がどのくらいならば許容されるのか」ですね。
そこで著者は「経済効率性と平等性の対立」の概念を提示しています。社長の給料が高ければやる気が高まり生産性は上がるが、平等性は後退すると言うことですね。
それを、著者は「経営哲学では経済効率性と公平性のトレードオフ」と言ってますね。
そして「マルクス経済学がより平等性を重視し、近代経済学がより経済効率性を重視する」とも書いています。
なるほど、それでは現実の「政治・経済」では、その相反する「経済効率性と公平性」の中間で、社会が望んでいる着地点を探るしかないと言うわけですね。
コロちゃんは素人ですから、「大きく経済成長する平等な社会」を求めたくなりますが、それは不可能だと言うことなのでしょう。
だけど、1990年代以降の日本では「失われた30年」で、「大きな経済成長はしないけど格差は拡大」していますよね。
これをどう考えたらよいのかはまで、本書では書いていませんね。
コロちゃんは、「もう日本は大きな経済成長が出来ない発展段階」になったのか、それとも「為政者の政策が悪いから成長できない」のか、それとも「他の理由」があるのか疑問は膨れ上がるばかりですよ。
4.「日本は格差大国だよ」
次に本書は「日本は世界的にも貧困大国となっている」と指摘しています。そのデータとして、以下を取り上げています。
◎「日本は格差大国:データ」
①「ジニ係数」
➁「相対的貧困率」
③「非正規雇用の割合と所得」
うーん、どのデータもコロちゃんが、以前にこのブログで書いたものばかりなんだよね。
-( ̄ヘ ̄)ウーン
ここで再度取り上げることは控えて、著者が「豊富なデータ」を紹介しながら「日本は格差大国」であることを突き付けたとしておきましょうね。
この章でコロちゃんが目を止めた「著者の言葉」は、以下でしたよ。
◎「誰が貧困者になるのか?」
➀「単身者が多い」
➁「単身者の中でも、若者と高齢者が目立つ」
③「女性の高齢者は年金額が低くなる」
◎「最も深刻なケース」
➀「母子家庭」
➁「夫を亡くした専業主婦だった女性」
上記の「誰が貧困者になるのか」の例について、本書はそれぞれ詳しい事情を書いていますが、全て「社会の構造的な理由」によるものでしたよ。
すなわち「社会構造・制度」を変えなければ、この「貧困への道」は防げないと言うことでしたよ。それが難しいんだよなー。
結局「日本」は、この30年間「格差が拡大する」のを止めることが出来ていないのですからね。それだけ「社会構造」を変えることは難しいと言うことなのでしょうね。
5.「ピケティの21世紀の資本」
本書では、資本主義社会以前からの「貧困」の扱いから、その後の歴史をたどりながら論述していますが、この辺は専門的ですからご紹介しません。
後段でコロちゃんが、興味を抱いたのは「フランスの社会学者:トマ・ピケティ」の著書の「21世紀の資本」についての章でした。
コロちゃんは、この「21世紀の資本」を今までに3度読み返しています(※)。この本は「歴史をさかのぼって格差の考察」を書いていて、しかも読みやすい本なんですよ。
(※図書館から借りました(´罒`)ニシシ♡)
内容を一言で言うと「社会の上位所得者の富は増え続けている」と言うものなのですが、「格差拡大は構造的に大きくなる」との計算式を提示しているのですよ。
多くの経済学者は、それまでは「経済成長が進めば格差は縮小する」と考えていたのですが、そうではない事とピケティ氏は論証したということですね。
本書では、そのピケティの「21世紀の資本」のエッセンスと、「ピケティ以後」までを詳しく紹介していますね。
その中でコロちゃんが目を止めたところを、下に書き出してみますね。これは「ピケティの21世紀の資本」で調べたデータを著者が解説した内容ですね。
それぞれの国の「高所得者」の所得が、歴史的にどのように膨張していったかを考察しています。
◎「資本主義国の資本・高所得者の所得の比率」
➀「第一次世界大戦前後はヨーロッパと日本は同じ水準で、アメリカはそれらより低かった(アメリカの高所得者の所得は低く平等社会だった)」
➁「第一次世界大戦後は、ほとんどの国の高所得者の所得は低下し、平等化が進んだ」
③「その後は、大陸ヨーロッパと日本の高所得者の所得に大きな変化はなかった」
④「アングロ・サクソン諸国(アメリカ・イギリス・カナダ・オーストリア)の、高所得者の所得は1980年代から上昇し始め、1990年代から急上昇した(特にアメリカが顕著)」
⑤「世界の資本主義国を4つの地域(下記します)に分けると、地域によって格差の進行の程度が異なる」
❶「英米両国」
❷「カナダとオーストラリア」
❸「大陸ヨーロッパ諸国」
➍「日本」
⑥「富裕化が最も進んだのは『❶英米両国』、次が『❷カナダとオーストラリア』、その後が『❸大陸ヨーロッパ諸国』と『➍日本』」
❺「大陸ヨーロッパと日本」でも格差社会は進んだ。その程度が「アングロサクソン諸国」よりも小さかっただけ」
ざっと、このような見解が記載されていましたよ。面白いですよね、同じ「資本主義経済」を運営していても、社会の在り方が異なると「格差の進行度合い」が違うようですよ。
この様な内容を読むと、「日本の格差社会」の進行は「資本主義経済」を選んでいる以上、防ぐことのできない宿痾のようにも思えてきますね。
上記で「日本の格差」が、「アングロ・サクソン諸国」よりはマシと言われても、何の慰めにもならないとコロちゃんは思いましたよ。
6.「成功しなかった中国の先富論」
コロちゃんが、本書を読んで興味深かった章に、「成功しなかった中国の先富論」があります。
本書では「資本主義国で日本においてトリクルダウン説は成立しない可能性が高いが、共産主義国ではどうだろうか?」と書いています。
すでに皆さんもご存じのことと思いますが、「中国」では「鄧小平」が「先富論」を掲げて「先に豊かになるものは豊かになり、後の者を引き上げる」と「経済発展」に邁進しました。
ところが本書では、「中国の現状」として以下のように記載しています。
「豊かになった者はとてつもなく高い所得・資産を得ており、貧しい者の所得はとても低く、貧富の格差は資本主義国のアメリカ・日本以上である」
「鄧小平の期待した『先富論』は強制的に政策の実行できる共産主義国でも成功しなかったのだから、資本主義国の日本ならば、なおさら『トリクルダウン理論』は成立が困難である」
いやいやコロちゃんは、これを読んで「全くその通りだよ」と同じ感想を持ちましたよ。
コロちゃんは、以前に別の本で専門家が同じような意見を書いていたのを読んでいたのですよ。下の本ですよ。
上記の本の中では、「格差の縮小は権威主義国家の中国でも出来ないのだから、民主主義国の日本で出来るはずがない」という趣旨の内容が記載されていたと、コロちゃんは記憶していますよ。
しかし、将来の「日本」で格差が今以上に拡大することは、社会が「不安定化」するでしょうね。全く困ったものですよ。なんとかならないかなー?
7.「本書の最後には希望も書いているよ」
上記のような「悲観的な格差」の話しばかりではなく、本書には「日本の将来の希望」もちゃんと「道しるべ」を書いていますよ。
それは「格差社会」から脱却して「日本は福祉国家になれる」と言う内容です。
著者は、日本の将来の道を3つ提起しています。下記ですよ。
◎「日本の将来の道」
➀「アメリカ流の誰にも頼らない自立主義」
➁「昔の企業福祉の復活」
③「ヨーロッパ流の福祉国家」
コロちゃんは、これを読んで笑っちゃいましたよ。だって「誰が見ても③しか選択肢はない」のですよ。
さすがに「①アメリカ流」では、社会から落ちこぼれる貧困層が多くなり過ぎるでしょうし、今更「②昭和の企業福祉」などに戻れないでしょう。
だって「会社主催の家族全員参加の運動会」なんて、今更できますか?
否応なく、将来の日本は「③ヨーロッパ流の福祉国家」を選択せざるを得ないですよね。コロちゃんも同感ですよ。
さらに本書の最後には、著者「国民への希望」が記載されています。
「たとえ税金や社会保険料が高くとも、政府が確実な政策を見返りとして福祉の分野で施してくれそうなら、高福祉・高負担の日本になることを考えて欲しい」
「いきなりそれになるのは困難だろうから、取り敢えずは中福祉・中負担の国になることが好ましいと考えられる」
本書は、素人のコロちゃんでも十分に読めましたし、資本主義と格差の歴史まで言及しており、「格差社会」の歴史的な流れと、格差研究の現在地もわかる良書でしたよ。
下記にご紹介しますので、是非お読みくださることをお勧めしますよ。
8.「コロちゃんの疑問?」
ここまで「資本主義の宿命」のご紹介をして来て、コロちゃんには疑問が湧いてきました。
それは冒頭で「経済効率性と公平性のトレードオフ」を取り上げましたよね。これは「経済を自由化(規制緩和)」をすると「生産性は上がる」が、その反面「格差が拡がる」と言うことですよね。
そして、上記で「世界の資本主義国を4つの地域」に分けて、「地域によって格差の進行の程度が異なる」としています。下記ですね。
❶「英米両国」
❷「カナダとオーストラリア」
❸「大陸ヨーロッパ諸国」
❹「日本」
そして、番号が若い方(上から)順に、格差が大きくなっていたとしています。と言うことは、「経済成長」も上から高い順になるわけですよね。
そうすると順番が最後の、「➍日本」は「まだ経済効率性の追求が足りない」となるのでしょうか。
しかし既に「日本」では、「相対的貧困率」はアメリカを追い越して「先進国で1位」にまで高まっています。
「格差が拡大」している割には、「経済成長率」が高くないのはなぜなのでしょうか?
下記のグラフをご覧ください。内容は下に書き出します。
「独立行政法人 労働政策研究・研修機構 実質GDPの増加率」より
上記のグラフは、独立行政法人:労働政策研究・研修機構」が発表した1955~2021年の「実質GDP増減率の推移」です。
1955年~2021年の「実質GDP成長率の推移」は、大きく言うと3つの期間に分かれます。下記ですね。
◎「実質GDP成長率推移」(後段のカッコ内はコロちゃんが勝手に付けました)
❶「1956~1973年度:平均9.1%」
(高度成長期)
❷「1974~1990年度:平均4.2%」
(一億総中流時代)
❸「1991~2022年度:平均0.8%」
(失われた30年)
上記の「❸1991~2022年度:平均0.8%」が「失われた30年」になりますが、この「30年が格差が拡大した期間」なのですよね。
「格差が拡大した」割りには、「実質GDP成長率」はたったの「平均0.8%」しか上昇していません。
そして、その「格差拡大」は今も続いていますし、今後も更に広がる勢いですよね。
上記で「経済効率性と公平性のトレードオフ」を知りましたが、ここ30年は「経済が成長できないのに格差は拡大した」となるのではないでしょうか。
要するに「良いとこ無し」ですよね。それとも「日本の30年間」では、「経済効率性の果実」をごく一握りの上位者が独占したということなのでしょうか。
いやいや、本書を読んでいて、ますますいろいろなことを知りたくなりましたね。上記の疑問は、今後著者の新刊本で読んで解決できればうれしいですよ。
9.「コロちゃんと格差社会」
いつものコロちゃんは、読書考を書いた最後に「著者と考え方が異なる意見」を厳しく指摘することが多いのですが、本書を読んでいて「まるで大学の講義※」を聴いているような気がしましたよ。
(※コロちゃんは低学歴ですから大学の講義は知りません。イメージです)
とにかく「格差の歴史・経済学・世界の各国の現状などなど」がてんこ盛りに記載されているのですよ。
コロちゃんも、著者の本はもう6冊目と言うことで、著者の思考方向も大体分かりますから、知識をありがたく頂戴し、コロちゃん自身の「社会認識」を深めることに徹していましたね。
そこで、このような「社会学の本を読む価値」なのですが、コロちゃんは、社会生活を営む上で、大きな「実利」があると考えているのですよ。
それは、「知識は力」だということです。
例えば、社会生活の中で「マウントを取る」ような行動をする人は必ずいますよね。
「給料が高い」ことや、「生活レベルが高い事」を自慢げに語り、人間関係の「マウントを取ろう」とする嫌な奴は、普通に存在します。
コロちゃんは、そんな相手に対応した時には、平気で「うん、うちは貧乏だから」と平気で言えましたよ。
それはコロちゃんは、「社会の全体像の知識」を本で読んで知っていましたから「少々の格差などは50歩100歩」だと見えていたからです。
だからマウントを取る相手を、心の中で「何も知らないやつだね」と可哀そうに思っていましたよ。
要するに、「知識があればつまらない争いを超越できる」のですよ。これは「知識には力がある」と言うことだと、コロちゃんは考えていましたよ。
そして、そう考えると、次の本も読んで「知識を更に深く広く得たい」と思うようになりましたよ。
ですから、コロちゃんの人生は「社会の底辺」を生きてきましたけど、心の中はもっと広い世界を自由に飛び回っていたと思いますよ。「知識の世界」ですね。
今日は、最後にコロちゃんのつまらない「知識観」を書いてしまいました。どうぞお笑いくださった上で、また読みに来てくださいね。
コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。
このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に障りましたらご容赦お願いします(^_^.)
おしまい。