おかやま 愛おし いとおいし
それは今から20年ほど前のこと。
サンフランシスコから成田に向かうユナイテッド航空機の中だった。
日本人女性が追加料金を払って通路側席を予約していたのに、真ん中になっているから席を変更して欲しいとアメリカ人CAさんに交渉していた。そのやりとりを助けた結果、彼女が隣の席になり、自然と会話がはじまった。
そのなかで彼女がいった「もし私も東京出身だったら、次の都会はニューヨークやサンフランシスコだったんですけどね」という言葉がとても印象に残った。
それまで私は、自分が東京生まれであることを特別に感じることがなかった。
というより、似たような環境のひととばかり囲まれて育ったということだろう。
けれど、岡山に住むという歳の変わらないその女性との会話は、それまで海外に出たいと積み重ねた努力がそもそも恵まれたスタートラインから始まっていたと自覚する良い機会だった。
「岡山生まれ育ったから、大学でも大阪に出るのが精一杯でした。
卒業したら地元に戻って公務員になれと親に言われ、海外に出てみたいという願望は心に折りたたんで帰郷し就職したんです。
それから毎年、長い休暇は海外で自分を磨くと決めてきたけれど、やっぱり限界があるんですよね」
東京からスタートした私は、国内の大都市といわれることなく「海外に行きたい」を次の関門としてストレートに目指すことができた。
それまで自分はとてつもない困難を乗り越えた気がしていた。けれど、同じような海外願望を持っていた彼女の前には、もっともっと幾つもの関門が立ちはだかっていた。
それでも諦めることなく、自分への投資や啓発を忘れないときっぱり言い切るその姿はとてもカッコよかった。
真っ暗な機内で声を抑えてする会話は、かつての修学旅行の夜に布団をかぶって友達と交わした会話と同じで、不思議とぐっと親しみが深まり、心を開いたものになった。
「また、お会いしましょうね」
♢
成田についたときに交わしたその約束が実現したのはそれから6~7年後。
転勤した私のところへ、ロンドンオリンピックに合わせて彼女が遊びにきてくれたから。
「ぜひ、岡山にも来てくださいね。歓迎しますから!」
それから12年の時間が流れた。
コロナがあり、転職があり、それでも不思議とやり取りは続いた。
そしてとうとう岡山を訪れるチャンスがやってきたのだ。
仕事やら何やらで、関西に行くことになり、しかも週末もそのまま関西にいる必要があった。
この機会を逃してはいかん、と岡山へ足を伸ばすことにしたのだ。
「新大阪からなら、新幹線で45分ですよ」
自分がいかに西日本の地図を分かっていなかったか実感した。姫路を過ぎて、広島の手前。遠くに思っていた岡山は、思ったよりもすぐそこだった。
♢
「きゃー!ひさしぶり」
初めて会った時をいれても、顔を合わすのは15年ほどのうちでこれが3回目。でも不思議と違和感はなかった。
駅前広場の桃太郎像に挨拶をしたあとは、岡山駅周辺の地理を教えてもらいつつ、ワインとチーズの小さなお店へ。
そこから今度はお勧めだという和食のお店まで用水沿いを散歩する。
大通りには路面電車がガタゴト、ウイーンと走りすぎていく。
古くから栄えた日本の街には路面電車が今なお走っていることが多い。その情緒あるすがたがとても良い。
「でもね、巡回せず折り返す運転だし、あんまり便はよくないの」
いやいや、終点がある風景のゆとりと素敵さは、格別なんですよ。
私が慣れ親しんだ渋谷の駅も目黒の駅も、もう終点ではなくなってしまった。
失ってからわかる、終点のくれる趣きが、絶対にある。
名物、そして今が旬という鰆のたたきを地元の日本酒と。
魚編に春で、サワラ。名前に違わぬ薄い桜色の外見。しかし裏腹に、しっかり脂がのっていて、たたきがとても合う。
辛すぎないふっくらした日本酒も、実に合う。
会話は、働くこと、恋愛のこと、家族のこと、将来のこと。とりとめなく広がっていき、気がついたら閉店の時間になっていた。
◇
翌朝。
出張が決まったのが直前だったので、彼女はこの日山梨へと旅行にいくことになっていた。
時差ボケで目が覚めたのは朝6時。ちょうど彼女が新幹線で東へむかうころ。
線路の上から、行ってらっしゃいとメッセージした。
せっかく来てくれたのに、といったけれど、私には彼女が作ってくれたおすすめルートがあるから大丈夫。
まずは早起きの勢いもそのままに、「桃太郎線」に飛び乗った。
やってきたのはブゥーンという唸り声のいさましいディーゼルカー。数年前に北ウェールズに行ったときを思い出した。
車内で観光地図を開き、ひと駅分なら歩けそうだなと検討をつける。
だから、まずは吉備津駅まで行き、そこから備前一宮駅まで歩こう。
吉備津駅は、その名の通り「吉備津神社」の最寄り駅。
キリッとした朝の空気。朝8時すぎということもあって、観光客のすがたはほとんどなく、犬を散歩させる地元の人と出くわす程度。
回廊もひとけがなく、シンとしている。ぶらぶらと歩いていたら導かれるように御釜殿の前にやってきた。
前日、紙袋いっぱいに渡された岡山の観光資料で偶然知ったのだが、この吉備津神社の御釜殿で「鳴釜神事」が行われるというのだ。京極夏彦の小説にでてくる神事。京極ファンの私としては、たまらない。
まだ時間が早かったので、掃除が終わりかけのタイミング。なかに入らせていただき、しばしその空気をひとりじめした。
そこから、吉備の中山にそった道をたどる。
山の中には多くの古墳や祭祀遺跡が残っているようだが、その丘陵を登るのではなく回るようにして今度は吉備津彦神社へ。
どちらも大吉備津彦命を祀っているのだが、吉備津神社が山岳信仰の神社のような空気感なのに対し、吉備津彦神社は広がりのあるゆったりした境内が印象的だ。
桃太郎の形をしたお守りを記念に買って、ふたたび吉備線に乗って岡山駅へと戻る。
ここで朝10時半。
なんだか小腹がすいてきたので、岡山ラーメンを食べる。
温かいものが胃袋に入って、なんだかカラダが緩んでくるのがわかる。
前の日に教えてもらったとおりに、今度は後楽園へ。
この段階で、空は青さを増し、サングラスが必要なくらいだった。
ポカポカ陽気に梅の花が美しく、そして、絶好の「白桃ソフトクリーム」日和。
茶室では和装で結婚式の写真を撮るカップルがいたり、梅園を写真に収めるアマチュアカメラマンたちがいたり。
外国人観光客もたくさん歩いていた。
ぐるりと回ったあとは、街の中を散策。
岡山県産のいちごと、白桃ゼリーをおみやげに購入し、のんびりと駅へとむかう。
あえて決めていなかった戻りの新幹線は、せっかくなので九州新幹線「さくら」に乗ることにした。
岡山ジーンズのお店で教えてもらった、プラットホームの倉敷うどん屋でお持ち帰りのぶっかけうどんを購入し、3分ほどでやってきた新幹線の自由席に乗る。
こういう、ざっくりで、計画があるんだかないんだかわからない旅がちょうどよかった。
おいしいものもたくさん食べた。
♢
東京という自分のふるさとは当然愛おしい。
だってそこには家族も友達も待っていて、たくさんの思い出も染み込んでいるから。
けれど、日本の別の街にやってくると、しみじみと地方都市のもつ魅力、本当の日本のもつ魅力を強く感じる。
おいしい土地の味。歴史ある神社や庭園。
いったん距離を置いてから訪ねる日本の街は、なんだか別の意味でとても愛おしく感じられる。
なにより、岡山というホームグラウンドで彼女と会えたこと。
働くおんなという共通点を鍵に、この先の生き方について日本酒を手に考えた時間。
どこに住んでいるかという違いはあれど、思い悩む気持ちはとても似通っている。
そんな彼女と知り合い、そして繋がれている幸運。
そのおかげで訪ねることができた岡山という愛おしい街。
また、きっと、近いうちに訪ねにこよう。
そう、白桃のシーズンがいいな。