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ニュージャージー&ニューヨーク雑感

時差ぼけの狭間でぐらぐらしている。

先週月曜の早朝にミネソタ&コロラドでの休暇からロンドンに戻ったというのに、今度はニュージャージーに飛んだ。

だったらミネソタから「自宅」勤務でもすればよかったのかもしれない。
休暇のチケットを変更するのが面倒くさくてそのままにしてしまった自分のせいだから仕方ない。

1週間でようやくグリニッジ標準時に戻ったカラダを、なんとかニュージャージーでの1週間の会議に耐えさせねばならぬ。

ニュージャージーに前回来たのはシステムプロジェクトで合併をカバーしたとき。
合併する会社のアメリカオフィスがニュージャージーにあったから。
8年ほど前のことだ。
あの時は大きな湖のほとりのホテルとオフィスの行ったり来たりで、どこにも行かなかった。
合併に感情がささくれていた相手のチームとかなり緊張した初顔合わせだったっけ。

それも今はむかし。

時差ぼけ解消として私がいつもやることは、

  • 飛行機に乗ったら現地時間に時計を合わせ、その時間の行動にする

  • 到着前の機内食は食べず、飲み物だけにして、到着した現地の食事時間でその次のごはんを食べる

  • 着いたすぐの「日中」にできるだけ陽を浴びて、歩く

  • 運動できちんとカラダを疲れさせ到着地の就寝時間で寝る

というものだ。

昔は飛行機に乗っったら、最初のスパークリングワインを皮切りに、たらふく呑んだり食べたりしていた。

それでも時差についていけてしっかり仕事できていた。
あれは若さゆえだったのか。

今は、全力で時差ぼけと闘わなくては、着いた先で免疫が落ち、ホテルのエアコンや気温のギャップですぐ扁桃炎になるのが目に見えている。

だから、着いた週末に10年ぶりにマンハッタンに足を伸ばして陽にあたり、たくさん歩くことにした。

これはそんな久しぶりのニュージャージー&ニューヨーク訪問のいろいろを写真で綴った雑感。

まず、ヒースローから直行便でニューアーク空港に到着。
飛行機を降りてターミナルに足を踏み入れた瞬間。
あ、ここにはまだあの「アメリカの空港の匂い」がある、と感じた。

それはアメリカ人男性がよく使うアフターシェーブ、あるいは制汗スプレーの香りのような。
それとも空港で使われる掃除用品なのか。
とにかく、飛行機を降りターミナル内に入ったとたん鼻に飛び込んでくる香りなのだ。

アメリカにいると感じなくなるのだが、他の国からアメリカの空港に着くと、どこからともなくほわっと匂って、ああアメリカに着いたなと思う。

その次に漂ってくるのはシナボンの焼ける香り、だった。けれど最近は店舗数が減ったのかあまり空港でもかぐわしいシナモンの香りを嗅がなくなってしまった。寂しい。

コンチネンタルの機体も、アメリカに来たと思わせるもの。奥にマンハッタンのビル群。

自分が覚えていたよりもはるかに綺麗で、近代化していたニューアークに着いたのは、午後まだ早い時間だった。

まずは車でホテルに行って短パンとTシャツに着替える。
飛行機の中は長袖長ズボンにソックスが基本。
でも、外気温82℉(27℃)は、11℃だったロンドンから来たカラダには暑い。

と、パッキングしてきたのがブラトップのタンクトップばかりだと気づいた。
ブラがない。

話が逸れるが、ブラはとても国民性があらわれるものだ。

イギリスはホワッと包むだけ。ワイヤーレスが多くて、できあがる胸は自然にまんまるで左右に広がった感じ。私にいわせればおばちゃん胸ができあがるブラ。
逆にイギリス人なんかにいわせると、寄せて上げる日本のブラは、どうしてそんな尖った胸にするのとなる。

イタリアは薄い。ワイヤーがあっても上の布が全レースとかが多い。胸をかたちづくるよりそれ自体のセクシーさを重んじる感じ。

ポーランドは実は下着大国。
中東の女性がヒジャブの下でオシャレするように、社会主義国時代に女性たちの地味な服の下で発展したのではないかと思うビビッドな色。セクシーなデザイン。
それだけではない。日本人が好きな肌色で寄せてあげるものもしっかりラインアップされている。

そんないろんな文化背景が集まっている国だからか、アメリカの下着売り場は、その全てが詰まっている。

私はブラはアメリカのもの、ぱんつは日本のものが好きだ。

なら、時間はたっぷりあるのだし、まずは明日のマンハッタン行きに先がけて、ブラを買いに行こう。

こういうとき、アメリカ中同じチェーンがあるのはありがたい。少なくともどの店なら何を売ってるのか予想がつくので検索ができるから。

検索したら車で7-8分のところにメーシーズの入ったショッピングモールがあると出たので、そこに行ってみる。

それは悲しいくらいに寂れてしまったモールだった。

よくあるモールは、たいてい端っこにメインの巨大店舗、たとえばメーシーズやシアーズのようなデパート、そして中央にフードコートがありその真ん中を小さな店舗が埋めている。
しかしエスカレーターも止まっているそのモールはフードコートも店舗も半分くらいが空き店舗。薄暗く、ティーンエイジャーたちがたむろしていた。

とはいえブラが売ってさえいれば、すたれていても構わない。

メーシーズの下着売り場は、色もサイズもブランドもごっちゃになったアメリカのお店あるあるの混沌ぶりだった。
そんな中、野生の勘で、セールで半額になっている肌色のTシャツブラを見つけ出す。

おっし、任務完了。

買い物スイッチが入った私は、ホテルに戻る前に今度はターゲット、ウォルグリーンズ、ホールフーズなどへ車を走らせ、ネコへのお土産、1週間ホテルの部屋で快適に過ごすための缶入り炭酸水や大きなミネラルウォーターなどを買い込んだ。

買わなかった、けど、つい足を止めてしまったちゅーる。

そうこうするうち、夜6時になった。
いいぞ、ちゃんとお腹が空いている。夕飯にはガッツリとステーキが食べたい気分だ。

高級ステーキハウスじゃなく、タバーンでガツンとおいしいお肉を出すところ、と見つけたお店がヒットだった。

こぢんまりとしたサイズの地元の人たちが家族でディナーを食べにくる、そんなお店。テーブルはいっぱいだったが、ひとりだったのでカウンターでさくっとご飯を食べられた。

地元のブルワリーが作っているというIPAと骨付きカーボーイステーキ。
変なペッパーソースとかつけない潔さがいい。
添えつけのマッシュもアスパラガスも全て美味しかった。


翌朝。ホテルの「無料の朝ごはん」はベーグルから。
クリームチーズにグレープジェリーで、これまたアメリカ。

ジャムは果肉が含まれるもの。果汁で作ったものはジェリーと教えてもらったのは1990年の夏。

そこからまず、車でリバティステートパークへむかう。

ここならパークポリスが巡回する駐車場に丸一日停めて7ドルだ。

スーパーの駐車場に無料で停めて電車でマンハッタンという方法も考えた。けれど、そのエリアの治安レベルがよくわからない。
なのでリスクを避けることにした。

それに、せっかくマンハッタンへ渡るなら、エリス島を訪ねようと思ったから。

すぐ向こうに見えるエリス島、
そしてその先には自由の女神。

コロナの前、アメリカ妹ジャネルと2人でイタリアに行った。
お父さんが取り寄せたエリス島の記録に書かれた、ひいおじいちゃん、おばあちゃんの出身地。
ポンペイ近くの村を訪ねる旅。
自分と血のつながりはないけれど、そのルールを辿る旅を共有したことは、とても貴重な経験だった。

大学の卒業旅行の時も、その後ヴィンセントと本場NYの聖パトリックデーパレードを観にきた時も、いつもエリス島では降りず、そのまま自由の女神に向かった。

でも、今回は、このエリス島に行こうと思った。

朝いちばんだったので
独り占め。
かつてはびっしりと移民登録を待つひとびとで埋め尽くされていた
ヨーロッパの支配から、少しずつ「合衆国」になっていく過程
世界のどこから
移民はアメリカにやってきたのか。
日本も少なくない人数を送り出している
そしてボイコットなど厳しい時間を乗り越えて来た

ジェフリー・アーチャーの「ケインとアベル」を思い出しながら。
カバンひとつで新大陸にやって来た人々の目に、この景色はどうみえたかと想いを馳せる。

女神には軽く挨拶をしただけですぐに次のフェリーでリバティ島を離れた。
今度はエリス島経由でマンハッタン島へ。

ウォール街の雄牛像は大混雑。
そびえ立つビル。定規で書いたような直線の道。
この景色を見るとニューヨークシティだなあとしみじみ思う。


向かったのはディスカウントデパートのセンチュリー21。
大学時代の思い出の場所だ。
散財家で、見た目が気になるお年頃だった私は、当時ニューヨーク州北部の大学院にいたボーイフレンドをマンハッタンまで連れ出して、地味だった彼のワードローブをいれかえさせようと、この店でスーツやセーターを選んだものだった。

まるで大黒屋のように中古品が売られていて、時間の流れを感じた瞬間。
店内もガランとしていた。

そして、911メモリアルへむかった。

すっかり景色が変わっていた

あの日、家から一歩も出るなとパトカーが巡回するミネアポリスで。
テレビの前に座り込んで画面をみつめ、しかしその映像を理解することができず、混乱していた自分を。
そして、唐突に、友達がその煙を出すビルのなかにある銀行に勤めていると気づいた時のショックを。
彼女の安否情報を祈りながら待った時間を。
彼女が同僚と非常階段をひたすら励まし合いながら降りた話を。
彼女の亡くなった同僚のことを。
考えながら、しばし、四角い空間を見下ろしていた。

見上げた空には細かな雲の綿帽子が散らばっていた。

ずいぶん長い間ニューヨークに来ていなかったのだと実感したのは、地下鉄がコンタクトレスカードで乗れるようになっていたから。

ピッと携帯で通れる!

アメリカに憧れ、大学院をでたらなんとか仕事を見つけてこの国に残るんだと必死だった私。

成功の象徴にみえていたニューヨーク。

そういう全てが、遠く眩しく思えた。



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