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Wrocław今昔
Wrocław、どう読みますか?
答えはヴロツワフ。
ポーランド3番目の大都市。
私がヴロツワフを初訪問したのは2008年の冬のこと。
「今度は東欧だよ。よかったら遊びにおいで」
そう友達に誘われて、初めての東ヨーロッパへの旅を決めた。
今から16年も前のことだ。
東京からの直行便はもちろんなかった。
まずドイツにいき、そこから乗り換える。
成田からの全日空便は、よりによってラブラブカップルと並ぶ3人席。あーん、としあう機内食タイムに、手を取ってウフウフ言い合う睡眠タイム。
おかげでフランクフルト空港に着いた時にはぐったりだった。
国際便の乗り継ぎなんて慣れている、そう軽く考えてた私。
が、しかし。
空港の乗り継ぎ掲示板の画面には「Wrocław」の文字が見つからない。
軽いパニック。
まずい、と、必死にルフトハンザの係員さんに助けを求めようとして。
今度は、その町のなまえを発音できないことに気がついた。
背の高いルフトハンザのおねえさんに案内されたのは、しかし、ワルシャワ行きのゲートだった。
「日本人が行くポーランドの街なんてワルシャワくらいだろう」ということなのか、あるいは私のWで始まったゴニョゴニョごまかした発音がいけなかったのか。
そのゲートじゃないと気づいたのは、ワルシャワ行きの搭乗が始まる直前。
ずいぶん早いなと思って目をあげたら、フライト番号が違う。
そこまでフライト番号で探さなかった私もヌケサクである。
そうか、フライト番号があった。
ようやく確認できたゲートは、幸運にもワルシャワ行きのすぐ隣。
ちょうど搭乗を始めたところだった。ふう。
♢
「ああ、それね」
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デトロイト空港にはじめていったときの「ここソ連?」という気持ちを思い出した。
空港に迎えに来てくれた友達が説明してくれた。
町の名前はポーランド語で Wrocław (ヴロツワフ)。
でも、ドイツだった時代があるから、ドイツ人はこの街のことをBreslau (ブレスラウ)と呼ぶのだと。
WじゃなくてB!
道理で画面を見てもみつからなかったわけである。
「もう独立した別の国なんだから、ポーランド語の名前で呼べばいいのにとも思うけど、あくまでドイツの空港ではその呼び方なんだよね」
◇
その友達は、だんなさんの転勤で、東京から、イギリスへ、そしてそのあとポーランドへと移ってきていた。
「まずは腹ごしらえにいこう」
この後の4日ほどの滞在で本当にびっくりしたのは、とにかく何を食べてもおいしいということだった。
わびしい印象の空港や、古い舗装の道路、空港から家までの道なりに建つ灰色のビルたちに、勝手にごはんもおいしくなさそうと思い込んでいた。
けれど、その思い込みは完全に裏切られた。逆に期待が低かったぶん、連れて行かれた民芸調のレストランで食べたあったかいスープとピエロギというポーランド料理のおいしさには本当に驚かされた。
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ウェイトレスさんたちもほとんど英語ができなかったから、すべて友達に頼りっぱなしだった。
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ポーランドがEUに加盟したのが2004年。
だからまだ2008年当時には、「ああ、元社会主義国の東ヨーロッパにきたんだな」という印象が、スーパーにいっても、街を歩いていても、そこかしこに感じられた。
♢
世界じゅういろんなところから日本に絵葉書を出すのが私の旅行の決まり。
だから、ヴロツワフでも切手を買いにいきたいと友達にいった。
「そうだねー。買えるといいけど」
なんだか不思議な反応をしながら、友達は私を中央広場にいざなった。
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ここだけはね、ちゃんとお金をかけて昔の街並みをリストアしたんだよね。でもそのなかで、一か所だけ醜いビルが残っているでしょう?
そういいながら、友達が灰色のコンクリートのビルを指さした。
「あれ、ソビエトの銀行。ぜったいに改修に応じないんだって」
冷戦の名残を感じた瞬間だった。
その広場のはじっこに郵便局があって、そこには長蛇の列が待っていた。
「こういうお役所系にくるとああ社会主義国だったんだなーって思うよ。サービスという感覚は皆無で、すごく時間がかかるし、休み時間になったら平気で窓口しまっちゃうからね」
そうなのか…。
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それでもなんとか切手を入手した。
確かに古いトラムも、その車窓から見る景色も、冬だからというだけでなく、なんとなく寒々しかった。
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そのグレーな色合いとは対照的に、鮮やかな色に満ちあふれていた場所があった。
マーケットだ。
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外からはなかの勢いが全く想像つかない。
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威勢の良い声が掛かり、おいしい匂いがする。
ポーランド語しか通じなかったので「ジンクイエ」(ありがとう)をすぐに覚えた。
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そして、この町で初めて、ポーランドのチョコレートがとてもおいしいことを知った。
とっても洗練されていて、いろんな味があるけれど、たいていダークで甘みがとてもちょうどいい。
個人的にはベルギーやフランスのソフトタッチなチョコたちよりも、ポーランドのキリッと背筋の伸びた味のチョコのほうが好みだ。
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もうひとつ驚いたのが、街中にアートがあふれていたこと。
いまでこそ、ヴロツワフといえば「小人の棲む町」として有名になったのだが、この当時はまだ小人の移民はスタートしていなかった。
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町の自慢だというオペラハウスは夜になると美しくライトアップされていた。
多くの美しい建物が、しかし、戦争でいくつもダメージを受け、そしてそのあとは無機質な灰色の社会主義的建物が建てられていったのだろう。
でも、その中で残された美しい建物を大切にし、誇りに思っている気概が感じられた。
言葉の壁がとてもおおきく立ちはだかっていた。だから、あまり地元の人たちとやり取りすることもできなかった。
外国にいったら、その土地の人たちが目を合わせたらニッコリ笑ってくれる、というイメージがあったけれど、3人の東洋人が町を歩くと、周囲からジーっとみられるわりに、見返すと目をそらされた。
でもマーケットのパン屋さんで、おばあちゃん相手に日本語と身振り手振りで買い物して通じた時のニッコリ笑顔は印象に残っている。
この町で、友達夫婦ふたりはがんばっているんだなあ。
そう思った。
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♢
そして、数年後、思いもかけず、自分がヨーロッパに引っ越すことになった。
イギリスに引っ越して最初のイースター。
また友達を訪ねヴロツワフにいった。たった2年の違いだったけど、英語が通じるようになっていてびっくりした。
相変わらずごはんはおいしく、ケーキもチョコも甘すぎず。
あのカラフルなマーケットでは白アスパラガスも買うことができ、かばんにしのばせて、大陸の春を持って帰ることができた。
♢
そしてさらに8年の時が過ぎ。
初訪問からは10年が過ぎたころ。3度目の訪問のときが来た。
そのあとシンガポールや日本を転々としていた友達が、ふたたび、ポーランドに戻ったというので、またヴロツワフへ遊びに行ったのだ。
言葉を失った。
まず、空港がすごいことになっていた。
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そして、EUの投資でできたという新しい高速や国道が整備されていた。
がつんごつん古い舗装の道を走っていたのがうそのようだった。
そして、町の中心にたどり着くと、高層ビルが建っていて、若者が英語ペラペラになっていた。
ワインを飲める店なんかほとんどなく、ビールかズブロッカだったというのに、すてきなワインバーがそこかしこにできていた。
「あの頃と違って道が整備されたから、バスでも電車でもクラコフに行きやすくなったよ」
そういわれて、クラコフへ足を延ばすことにしたけれど、そのバスの快適さ、道路の快適さ、バスターミナルの最新設備にことばをうしなった。
たった10年で隔世の感があった。
ひとびとはにこやかになっていて、困った顔をしていると学生らしい若者が英語で話しかけてくれた。
ひとつだけ、全く変わらなかったもの。
それは、あの、大きなマーケット。
2階こそ、おしゃれなアートの店やセレクトショップができていたけれど、1階の八百屋さんや花屋さんの圧倒的なカラフルさは、初めて来たときとかわらなかった。
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あの足を踏み入れた時のハッと目に嬉しい、たくさんのいろ。たくさんの香り。
もう、あの町と私をつないでくれていた友達は、日本に戻ってしまったけれど、機会があったら、また行きたいな。
そして、きっともっともっと発展しているだろう姿に、驚かされたい。
おいしいチョコとウォッカ、ケーキとピエロギも。
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