地に足をつける
「また、お会いしましたね」
ブリティッシュ航空の羽田発ヒースロー行きの機内。
アメリカ英語でそういわれて、がんばって記憶をたぐる。
最近、アメリカ英語のひとと知り合うことなんてあったっけ?
うーむという私の表情から察したのだろう。
そのアメリカ人男性は、ヒントをくれた。
「いや、あの。ついさっき。ラウンジで」
ああ。なんのことはない、さっき出発前のラウンジで、冷蔵庫の中のお水を大きなビール用のグラスに注いでいたら、その手があったかという感じで同じことしたガイジンさんがいたっけ。
♢
ブリティッシュ航空のビジネスクラスは、とても奇妙な座席配置になっている。
隣り合わせたひとと向かい合わせになるよう入れ子になっているのだ。
窓側に座ると進行方向とは逆向きになり、通路側に座るひととお見合い状態。
真ん中にはプライバシー用の仕切り板がついている。とはいえ、搭乗時には下がっている。
昔は離着陸時に下げる決まりだったけれど、最近すこしルールが緩和されたのか、安全のアナウンスメントが終わると上げてよくなった。
それでも、見知らぬ誰かと、かなりの長い間ガッツリ目が合う。
知らない人とも声を掛け合う欧米人ならともかくも、これって日本人には実に気まずい。
でも、時には。
知らない人と会話が始まって、逆に楽しい時間を過ごせたりもする。
♢
15年くらい前。
隣にえらくおしゃれに高級スウェットを着こなした男性が座ったことがあった。
見た目、イタリア人。なのにヒースローに飛ぶのかな…と思いつつチラリみたとたん、目が合ってハローと声をかけられた。
ハイ、ハワユーと短く答え、手元の文庫本に目を戻したのだが、それを許さない積極的な声が続いた。
「ん、もしかして、英語話せる?日本人だよね?」
かすかなイタリア語なまりで身を乗り出すように続けた彼は、メイフェアのカルティエで働くイタリア人マネージャさんだった。
「ロンドンショップの上得意様が、最近トーキョーに引っ越してね。今回トーキョーのオモテサンドーにある旗艦店が新しくなったから、引き継ぎもかねて、お相手するためにっていうんで初めて日本にいったんだ」
ああ。道理でおしゃれさんなわけだ。
「でね。滞在中、日本のカルチャーについて山のような疑問が出てきたんだけど、それを答えてくれるひとがいなくって」
そこからはノンストップ。
ワインを手に、彼の質問に答えたり、セレブの買物ぶりを聞いたり、ガイジンとして暮らすのにロンドンがいかに適しているかの演説に耳を傾けたり。
機内食が終わっても、チーズにチョコレートに食後酒で会話もノンストップ。
11時間のフライトがあっという間だった。
「よかったら、メイフェアのお店にも来てね。時計やアクセサリーを使ってくれてるし」
ウインクしながら名刺を交換したとき、彼はさりげなくそういった。
さすが、こちらの持ち物をしっかりチェックしている。
ほとほと関心した。
♢
リーンリーン。
予想もしていなかった電話のベルが鳴ったのは、ヒースローに着いてから10日以上経ったとき。
日本オフィス所属としての出張だったので、私はメリルボーンのハイヤットに泊まっていた。
ロンドンには同僚くらいしか知り合いはない。
いったい、だれが?
そう、それはカルティエの彼だった。
「ほら、ロンドンではどこに泊まるのって訊いたでしょ。そしたらメリルボーンのハイヤットっていうから、そろそろアイルランドの工場を周り終わってロンドンに戻ったかなと思って。もしもこの名前のゲストが滞在していたら繋いでほしいとコンシェルジェにお願いしたんだよ。
よかったら、いっぱい日本のカルチャーについて教えてもらったお礼に、おいしいイタリアンをごちそうさせて。」
さすが。一流店のマネージャ。
そんなことを予想もしていなかった私は、大慌てでホテルから飛び出し、オクスフォードサーカスのデパートでワンピースを選び、小さな日本酒のボトルもギフトに買った。
ナンパされたわけではない。
彼はゲイだった。
それに、彼にとってはあくまで「この先オモテサンドーのスタッフと緊密にやって自分の上得意をメンテしていくのに、とても有益なことを一杯教えてもらったから」ということだった。
そうか。
だからこそのシート設計なのかも。
かつて日本に就航していたヴァージンアトランティック航空のアッパークラスにはバーがあった。
そこでも、見知らぬ誰かが交流できるようになっていた。
「ビジネスクラス」というのは、別にパソコンを取り出して仕事をするという意味だけでなく、「ビジネスのネットワークを広げるクラス」でもあるんだなと思った。
♢
そんなかつての経験を思い出した。
機内食を食べながら、そのアメリカ人のエンジニアだという男性は、3週間余りの日本滞在の経験と、日本の仕事仲間の対応やふるまいについて山のような質問を、やはりあの時と似たようにずっと訊ねてきた。
その間ずっと、私はどこかで「どのタイミングで真ん中の仕切り板を上げようか」と思いつつ、失礼になってもいけないと悩んでいた。
機内の照明が落とされて、相手がトイレに立ったとき。
私は仕切り板を上げた。
♢
コロナの前は、仕事でいろんなところに飛んでいた。
だけど、今回の機内の経験で、ふと気がついたことがある。
それは、あのイタリア人とやり取りしたころの自分と、今の自分は違ってきたということ。
もう、仕事のために旅をしているということや、ビジネスの会話をすることそのものに、そんなにワクワクしていない自分がいるということに。
「グローバルに世界中を股にかけている」感じのひとたちの、なんというか、若干の尊大さや粗雑さに、ちょっと疲れていることに。
それよりも。
むしろちゃんと自分の「ホーム」を忘れずに、
自分がにんげんとして時間を過ごす場所や仲間を忘れずに
きちんと暮らしているひとたちに、
今の私は、惹きつけられる。
疲れてるのか。
歳をとったからか。
♢
もちろん、だんだん時差ボケが取れづらくなったこともある。
けれどそれだけではない。
地球を半周するような移動をしょっちゅうくり返して、そんな暮らしはとてもエキサイティングでありつつも、おおいに負担があり、そして限界があると感じたから。
あるいはコロナの蟄居の時間が私を変えたのかもしれない。
あちらこちらに行けば行くほど、地に足が着く時間は減っていく。
飛び回るということは、ホームを失うとことに思えてきた。
♢
「パトリックってさ、根無し草だね」
はるか昔、まだリーマンブラザーズが存在していた六本木で飲んでいたころ。
そう、思わず口にしたことがある。
相手はゴールドマンサックスに勤める香港人だった。
日本語はかなり上手だったけれど、「エーゴのほうがラクね」と笑う。
香港に行ったり、東京に来たり、NYにいったり。
そしてどこにいても、他の市場の状況を常に追いかけていて。
どこにもいて、どこにもいない。
そんな印象だった。
「ネナシグサ?どういう意味?」
意味を知った彼は、めずらしく感情をだしてブンブンと大きくうなずいた。
「そうだね。僕はネナシグサだ。良くも、悪くも」
♢
もちろん。
世界をシャットダウンし、ただ家に閉じ籠ろうといいたいのではない。
でも、世界のどこかで誰かが体験している痛みを、論理や数式で知った顔で語るのでなく、自分の血を流す思いで理解するには。
そもそもの自分の暮らしが、地についている必要があるのではなかろうか。
♢
この週末。
ネコの爪を切り、
バラの枯葉を取り除き、
桜の落ち葉を掃き清め、
コケが生えていた坪庭のタイルをゴシゴシと洗った。
ようやくいろんなことが元のサイクルに戻って来た。
ロンドンの小さな自分の世界に足を着けて。
そんなことを考えた。