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思いがけない母娘旅

思いがけぬ予定変更で、20年ぶりに母と2人で旅することになった。

前回の母娘旅は台湾旅行。
一緒に行く予定だった友達が行けなくなって、急遽母にピンチヒッターを頼んだ。
そして今回も。
いけなくなった友の代わりをお願いした。

そんな事情でもないと、母にはもれなく父がついてくる。
だから家族旅行は何度も行っているけれど、「母と行く旅行」はめったに実現しないのだ。

羽田から福岡空港への飛行機は、私が伊丹から到着する時間に合わせて購入した。
待ち合わせは荷物が出てくるベルトコンベアのところ。

双方の飛行機が遅れた上に、福岡空港で滑走路の臨時点検があり上空をクルクルと回ったりしたものだから、無事に母と落ち合うまではドキドキだった。

いつからだろう。

心配をするのが母ではなく、私の役目になったのは。

福岡出身の友人に教えてもらっていた、ホテル近くの焼き鳥屋に、閉店ギリギリ入れてもらうことができた。
おまかせを5本づつつまんで。軽く飲み。そしてしゃべり。
ホテルに戻ってもずっと話し続け、気づけば午前2時になっていた。
まるで修学旅行。

寝坊気味の初日は、まず鹿児島本線で北九州方面へ向かった。

これまた別の福岡っ子の友人から勧められた宗像大社へ向かう。

東郷駅を降りると、朝9時過ぎだというのに太陽はギラギラと容赦なく照りつける。
バスを待つのすらまず日陰を追うありさまだ。

ようやくやって来たバスに揺られること15分。

唐突に緑深い山あいに、そのお社は建っていた。

シンプルで原始的な美しさと清々しさのある宗像大社の本殿

本殿の裏。さらに小高く深い木々に囲まれた場所まで階段を登って、高宮祭場へ向かった。
そこは、高千穂の高天原を思い起こさせる場所だった。

厳しい陽射しも、ここでは木々の緑によって和らげられ、静けさが不思議と暑さを忘れさせる。

宗像大社をあとにした私たちは再び路線バスに乗り、今度は玄界灘に沿った海岸線を南下していく。

次の目的地は宮地獄神社だ。

たまたま宗像大社近辺の観光スポットを検索していたら見つけた「海から一直線に伸びる参道」。
私はイギリスに引っ越したあとだったので知らなかったのだが、どうやら10年ほど前に嵐が出演したJALのCMに登場し、とても有名になったらしい。

見渡す限りずーっと続く参道。
年に2回、ここに真っ直ぐ夕陽が差し込み光の道を作り上げる

それを分かっていながらも、やはり振り返ったときのこの景色には息をのんだ。

左に右にと曲がりくねった境内の参道を抜けると、予想をはるかに超えた立派な神殿と、巨大なしめ縄が目に入った。

日本一おおきなしめ縄だった

猛烈な暑さのなか、素晴らしい二つの神社を訪問し、大満足した私たち。
博多に戻ってごぼ天うどんを食べたあと、ホテルに直行。
ぐっすりと昼寝した。

翌朝。
昼寝したこともあって、すっきりと早めに目が覚めたので、母と2人ホテル近くの神社を散歩することにした。

あちこちにいる美しい猫たちに癒される。

ホテルに戻って、パッキング。
スーツケースをもってバスで博多港へむかう。

福岡市営の渡し船で出発。

今日の目的地は、志賀島。
島の名前を聞いて、わかったひとは素晴らしい。
私は、福岡出身の大阪オフィスの同僚に教えてもらうまで、ここが「その場所」だとは知らなかった。

「漢委奴国王金印発見の處」の碑

そう。小学校の歴史の授業で習ったあの、金印。
それが発見されたのがこの志賀島なのだ。

金印が発見された畑だった場所は、いまは金印公園として整備されている。
渡し船の港からは徒歩25分ほど、ということだったのだけれど、とにかく猛烈に暑い。
何も遮るもののない道を、高齢の母と歩くなんて、とても無理。
しかも二人とも小さいとはいえスーツケースを持ってるし。

ところが、次の公園行きのバスは1時間後だった。

そこで思いついたのがレンタサイクル。
荷物も預かってくれる。
79歳の母さえ、大丈夫なら。

心配をよそに、サイクリングは好調だった。
基本的にフラットな道で交通量も少なく、一本道。だから難なくレプリカが置かれた金印公園を訪ねることができた。

金印公園のレプリカと印影の碑

翌日。
今度はホンモノを観にいく番だ。
いざ、福岡市博物館へ。

国宝が福岡市の博物館で展示されているというのは驚きだったが、それは、発見後ずっとおさめていた福岡藩主黒田家が、1978年に福岡市に寄贈したかららしい。
その展示は「市営」とは思えぬほど洗練されており、周辺の資料も充実していた。

私のカメラ一個携帯ではこれが限界。
でも、ガラスケースの中の本物は蛇の模様までしっかりと確認ができる。
2000年ほどの時を経て。

金印が見つかったのは江戸時代といわれている。
その際に見つかった場所やその詳細を記録した書類に描かれた志賀島。
実際の場所を訪ねたあとだけに、なんだかグッとくる。

儒学者 亀井南冥による研究書。『後漢書』に金印についての記述があることから、その金印がこれであると同定した最初の研究。

実際の使用法も展示がされていた。
西暦57年に贈られたといわれているこの金印は、当時、粘土の封印に使われたと推察されているのだそうだ。

封筒に蜜蝋で封をするみたいに

福岡市博物館の常設展示は、ただ金印に頼り切っているというわけではなく、いかに九州が国際都市として栄えていたか、古墳の時代から遣唐使や元寇まで、たくさんの展示があり、とても素晴らしかった。

素晴らしすぎて、あやうく時間を忘れるところだった。

大慌てで、空港へと向かう。

先に出発する羽田行きの搭乗ゲートで、母親を見送る。

思いがけず実現した母娘旅。

いつまでもできるわけじゃないことを分かっているからこそ、そのありがたみを強く感じる連休だった。

いただいたサポートは、ロンドンの保護猫活動に寄付させていただきます。 ときどき我が家の猫にマグロを食べさせます。