シシテシカバネヒローモノナシ
真田広之の「ショーグン」のエミー賞受賞。
自主制作映画の「侍タイムスリッパー」のヒット。
どうやら日本では時代劇への注目が再びあつまっているようだ。
嬉しい限り。
◇
今夏、日本に長期滞在したおかげでできたことがいくつかあった。
ひとつは、7月に東京の明治座で行われた「松平健芸能生活50周年記念公演」を観に行けたこと。
もうひとつは、滞在の最後にぎりぎり新宿ピカデリーで母とふたり、大ヒットとなっていた「侍タイムスリッパー」を観ることができたこと。
◇
小学校のころ。
学校から帰ると、ランドセルを放り投げてすぐに祖父の部屋にいったものだ。
そこには、たいてい頂きものの瓶入りカルピスや、おいしいお菓子、時には干し芋や文旦なんかがあって。
お母さんやおばあちゃんが「ダメダメ、もうすぐごはんでしょ」なんていいそうなものも、おじいちゃんはみんな許してくれたから。
祖父の部屋には、縦1mx幅1.5m、そして奥行きも1mくらいありそうな木箱のようなテレビがあった。
ブラウン管のテレビの時代。
そして、そこにはたいてい相撲か、競馬、あるいは時代劇が流れていた。
私はあまり直接聞いたことはなかったけれど、姉いわく、祖父は戦時中、皇宮騎馬護衛隊にいたのだという。
馬と共に生活し、その世話や手入れをしていたから、競馬中継を観ていたのも、ギャンブルというよりも馬をみるのが楽しかったからだったようだ。
「でもね、おじいちゃん、競馬もすっごく強かったんだよ。
パドックを回る様子でわかるんだって。
競馬新聞の情報と画面をみてバシバシ当てちゃうんだもん」
シンボリルドルフやオグリキャップ、競馬ブームだったその当時。
そっちの血を継いだのか、競馬場に通うほどハマっていた姉いわく、祖父の審馬眼はすごかったらしい。
私は競馬好きの血は継がなかった。
けれど、時代劇好きの血をひいたようだ。
♢
好きな時代劇は枚挙にいとまがないのだけれど、一番好きなのは「江戸を斬る」だ。
西郷輝彦があくまでハンサムで凛々しくて。
遠山家の次男坊ながら、自分がスグレモノなのを見せてしまうと後継の病弱な兄が困るとおもんばかってわざと遊び人をしていた金四郎。
ハンサムで色気があってしかも喧嘩にめっぽう強い。
しかしいろいろあってお奉行様の役目を引き受けることになる。
とはいえ、しょっちゅう町民の髷に結い変えて。
大工の金公として江戸の町に出ていっては、人々の暮らしを見守る。
そんな金四郎と美男美女のカップルをなす松坂慶子は、魚屋・魚政の娘お雪。
身分違いで結ばれないんじゃないかと子供心にハラハラ心配していたら、なんと実は水戸家のお姫さま。
しかもこの雪姫ったら剣術の達人なもんだから、男装の麗人・紫頭巾として一緒に悪者たちをバッタバッタと倒していくのだ。
紫頭巾として戦うお雪を「このおてんば娘!」と心配しながらも、むしろ金四郎のほうが危機一髪で助けられる場面も何度もあって。
なんというか二人は対等の関係。
思えばこの「ヒロインが美人でしかもお姫様で、なにより、ただヒーローに守ってもらう側じゃない」ところが、私にとって響くポイントだったのかもしれない。
実は20年ほど前、西郷輝彦さんとお会いしたことがある。
会社の同僚とよく通っていた道玄坂の焼肉屋。
スーッと入ってきた瞬間に、その男性にスポットライトが当たっているようにみえた。
ヒッと思わず息を呑んだものの、私は騒ぎはしなかった。
でも、あまりに大好きなので、つい、仲良しの店長さんに小学校時代のアイドルなんだと伝えたら「フランクな人だから大丈夫」と、西郷さんのテーブルに連れて紹介までしてくれた。
「『江戸を斬る』の頃から本当に大好きだったんです!」
ぎゅーっと力強く握手しながら伝えると
「え!その若さで、オレの黄金時代を知っててくれるの?
いやあ、嬉しいなあ。
今じゃ、オレ、たいてい、『エミリのお父さん』って云われちゃうからさ」
豪快に笑う様子は、まさに作品中の遠山金四郎そのままだった。
その後その焼肉店のオーナーが主宰する陶芸教室で何度かお会いしたけれど、
「オレの貴重な若いファン!」
と会うたび見せてくれた笑顔が忘れられない。
♢
時代劇のスターは何人もいるが、里見浩太朗もまさにそのひとり。
もしかしたら「水戸黄門」の水戸光圀という印象の方も多いかもしれない。が、私にとって「水戸黄門」での里見浩太朗とは、むしろ助さんこと佐々木助三郎のイメージが強い。
そして何より、里見浩太朗のハマり役だと思うのは「大江戸捜査網」。
たいてい表舞台というか正統派に正義の役を演じることが多い里見浩太朗があえて隠密という少し影のある役を演じるところがよかった。
その前は杉良太郎、その後は松方弘樹、と、「大江戸捜査網」の主役は少しスネに傷がありそうな、ある意味「隠密ぽい」役者なのに対し、クリーンイメージの里見浩太朗というのが、子供心にも深みを感じさせたのだ。
シシテ シカバネ ヒローモノナシ
という決戦前の決めナレーションが、
「死して屍、拾うものなし」
なのだと分かったのは、かなり後のことだったけれど。
その重厚な声のトーンから、とっても大事なことを云い切ってるんだという空気は感じていた。
♢
そしてもちろんの「暴れん坊将軍」。
なにしろ冒頭の白馬が海岸を走るシーンが良い。
どっから見てもノーブルで育ちが良くての松平健が、あくまで町民でございといった北島三郎率いる「め組」の連中とワイワイガヤガヤ。
そして最後に葵の紋付着物で悪者を黙らせる。
実はエライ、とか、実はお奉行とか同心だとかという設定は、勧善懲悪にとてもマッチしていて。
だから1時間の中でスッキリサッパリできる。
その単純明快さが子供のココロにバシッと響いたのだと思う。
♢
そう意味でいえば、現場のただの岡っ引きが奮闘するというのは、もう少し大変さが感じられるストーリだ。
大川橋蔵の「銭形平次」は、だから、ストーリーそのものより、あの寛永通宝を投げるシーンのスッキリさが痛快だったのだと思う。
かなり後年のシリーズしかリアルタイムで観れなかったけれど、おとなになってから、自分が生まれる前の若かりし大川橋蔵が演じる平次を観たとき、その美しさに圧倒された。
♢
市井のひとびとが活躍する時代劇といえば、小学校高学年、あるいは中学校ころ。
姉と夜遅くまで寝ずに頑張り、こっそり観た「必殺仕事人」。
あの時は、三田村邦彦や京本政樹めあてだったけれど、いま見なおせば、藤田まことの緩急つけた演技の凄さ、山田五十鈴の表情の怖さがたまらない。
♢
幼少期の思い出だけではない。
もっと大きくなってからも、二代目中村吉右衛門の「鬼平犯科帳」、そして渡辺謙の「仕掛け人 藤枝梅安」など。
好きな時代劇は、書いても書いても尽きないくらいに思い浮かぶ。
ロンドンに来てから一番寂しいのは、たぶん時代劇へのアクセスがなくなったことだろう。
大阪に滞在していたあいだ、ローカルチャンネルのひとつが不思議とランダムに古い時代劇を再放映していて、「剣客商売」や「水戸黄門」が流れていた。
パッとテレビを点けたときに目に入ったとたん、その後の予定を忘れてついつい見入ってしまっていた。
やっぱり。
自分の根っこにあるものは、忘れられないし、片付けられない。
そういう意味では、時代劇は死ぬまで私の心に永遠に輝き続けるのだ。
シシテ シカバネ ヒローモノナシ
だったとしても。