誉めの循環
「あら、すてきね。どこで買ったの?」
見知らぬ人に、初めていわれたときは、嬉しいよりも驚きが先に立った。
いまから15年ほど前、イギリスに来たばかりのころ。
千葉の東京靴流通センターで(不可思議に聞こえるかもしれないが、東京は店名の一部である)買った、さりげなくラメがはいったスカイブルーの長靴を褒められたのだ。
まだ今のようにおしゃれ長靴が一般的ではなかったころ。
昔のボーイフレンド曰く「おまえはカラスか大阪のおばちゃんか」といわれるくらい金や銀やラメが大好きな私は、イギリスへの転勤が決まっていたこともあり、雨の多い街にはきっと必要であろうといそいそとその1200円の長靴を買ったのだ。
「おや、ありがとうございます。でもこれ日本で買ったものなんですよ。」
そう笑顔で返すと、おしゃれにハンターの長靴を履いていたそのマダムは
「あら、素敵なものは日本からくるのねえ…」
とほほ笑んで去っていった。
♢
日本から遊びに来ていた母と姉を伴い、ナイトブリッジにある高級デパートメントストア、ハーベイニコルズ(日本でいえば日本橋の高島屋か)に行ったときも、お手洗いでおしゃれマダムに声をかけられた。
「あら、そのマント、とっても素敵だし、今年っぽいわよね。どこで買ったの?」
ちょっと照れながら、私は返した。
「ありがとうございます。でもこれ、マークスアンドスペンサー(日本でいえばジャスコやイオン)で今年売っている、48ポンドのマントなんですよ。
今、マーブルアーチに行ったら、たぶんディスプレイされてると思います」
「んまあ、そうなの?みえないわ。ぜひ見に行くわね、ありがとう」
そのご婦人の着ていたコートはおそらくプラダ。いやはや。
♢
海外の街を歩いていると、思いがけないほど頻繁に、知らない人が褒めてくれる。
それはイタリア男性があいさつ代わりに女性を褒めるのとは全く違う。
女性が持ち物をセンスがあるわねといってくれたり、
自転車通勤のすれ違いざまに若いあんちゃんがハッピーな笑顔だねといってくれたり、
そういう軽いタッチの誉め言葉。
それが、どんなにその日一日を明るくしてくれることか。
そして、それに慣れたからか、
私もよく知らない人のなにかを褒めるようになった。
「あの、ぶしつけですけど、そのドレスの深い青、とっても似合ってますね」
「すっごくかわいいバッグ。お手製ですか?」
「今日の靴下イカしてますね」
褒められると、褒めやすい。
そういう循環なのかしら。
♢
この前、帰省したとき、そんな調子で思わず駅のプラットホームにいた女性の靴を誉めてしまった。
あれは、渋谷駅だったか。
ちょっと怪訝な顔をされ、このひとなにか勧誘やら売込みやらするのかしら、という表情が浮かんだ時、一緒にいた友達が助け舟をだしてくれた。
「やだ、ここ日本よ。すみません。このひと普段ロンドンで暮らしてるもんで」
素敵な靴の女性は、ハァそうですかといったあいまいな表情で立つ場所を変えるように動いていった。
そう思ってみたら、日本で知らない人にそんな風に声をかけることって、あんまりないような。
♢
会議続きのいちにちで、お昼も食べ逃し、会社を出るのも遅くなった夜。
チューブ(地下鉄)の駅まで歩く途中、無性に小腹が減ってしまい、ついつい途中のグレッグスでステーキベイクを買ってしまった。
グレッグスとは、スターバックスやコスタよりも労働階級寄りなベーカリーカフェ。コンビニで肉まんを買うような感じで、そこにおしゃれさは皆無だ。
「あの、その髪型、すごく似合ってます」
黒人のはつらつとした若い店員さんが、ステーキベイクをいれた小さな紙袋を渡しつつニッコリ笑い、そう褒めてくれた。
えっ、えっ。
夕方のオフィス街で帰り道に買い食いしちゃうアジア人のおばさんという引け目もあり、とっさの反応に困ってしまった。
「え、いや、あの。う、うれしいわ。でもすごく白髪まじりよ」
素直にありがとうでいいのに、動揺しすぎて余計なことをいってしまう。
そう、私はコロナ以降、白髪染めをやめたのだ。
「白髪がしっくりとあなたの重ねた年齢に合っているところも、いいんです」
長くいろんなことの続いた一週間だった。
けれど、まったく知らないそのお嬢さんの、利害関係などなにもない屈託ない誉め言葉に。
いろんなことがふっとんでしまった。
にっこり、しっかりと微笑んで。
私は「どうもありがとう、とても嬉しい」とお礼を返し、店を出た。
誰かのなにかを褒めたくなった。
自分の上を向いた気持ちを、だれかにPay it forward(送りだ)したくなったから。
誉め言葉は、循環する。
そして、それは全くコストをかけずに、いろんなひとを幸せにする魔法な気がする。