そしてコロラド
さて、無事にロンドンからミネソタ州セントポールに到着した私。
一日だけミネソタで過ごした翌朝。お父さん、お母さんと落ち合って、ジェニーと4人でコロラド州デンバーへ。
空港へは、すでにコロラドに到着していたジェニーのダンナ、ジャスティンがレンタカーで迎えにきてくれた。
目的地はコロラドスプリングス。
この山麓に広大なキャンパスをもつアメリカ空軍士官学校だ。
今週は(5月だけれど)「ジューン・ウィーク」と呼ばれる卒業イベントの週。4年間をここで過ごした「アメリカ甥っ子」ノアがとうとう卒業する日がやってきたのだ。
到着したレンタルコテージには、サンフランシスコから来た双子のもうひとりジャネル、シカゴから来たサラ、そしてフロリダでのバケーションからそのまま移動して来たジャスティンとエマがすでに荷解きを済ませていた。
そして、街中のレストランの夕食にはノアも合流し、明日からのイベントに備え、みなで軽く夕飯を済ませた。
♢
翌日の火曜日。
この日は午前中にパレード、午後にはフォーマルな任官式という慌ただしいスケジュールになっている。
まずは、早起きをして、アカデミーの敷地内で行われる卒業パレードへ向かった。
とはいえ、6時半という出発時間に、エマとサラはパス。
お父さんとお母さんも足元が悪い登り坂があるので、家にいるという。
結局パレード会場に行ったのは卒業生の両親であるジェニーとジャスティン。そしてジャネルと私のおばコンビ。
なんども士官学校でのイベントに来ているジェニーによると、いつもセキュリティチェックや駐車場に車を置くために大渋滞が起こるらしい。
なのでスタート時間の2時間半前に家をでた私たち。
しかし、その予想はすっかり裏切られた。
なんと北ゲートからのキャンパス入場はノーチェック。
駐車場の案内もスムーズで、あっという間に会場に到着することができたのだ。
だからって退屈することはない。
なぜなら空のうえでパラシュートやグライダー、そして学校のマスコットであるファルコン(ハヤブサ)のショーなどが行われているからだ。
こうしていつの間にか観客席がみっしり埋まったころ。
濃紺のジャケットに白いズボン、黄色いサッシュベルトの士官候補生たちが校舎の前にピシッと整列して、パレードが始まった。
同じ部隊に所属する仲間と最後のパレード。
きっと感慨無量なんだろうなと思うだけで、敬礼する背中をみているこっちがしんみりしてしまう。
いやはや、年寄りは涙腺が弱い。
パレードの完了のあとは、車に乗り込んで、いったん借りているコテージに戻る。
この次に行われるものは任官式。士官候補生がひとりずつ少尉に任官される大事で、フォーマルなイベントだ。
ウィスコンシンから遅れてやってきた末っ子のオーウェンも、スーツにネクタイ姿になっている。
私たちも、ドレスに着替え、お化粧し、用意万端だ。
♢
パレードに行ったのは4人だけだったが、任官式は車2台に分乗して、みんなで向かう。
ジャスティンが運転する車にはジェニーとお父さん、お母さん。
ジェニーの親友サラが運転する車には、エマとオーウェン、そしてジャネルと私が乗り込んだ。
ジャスティンの車を先頭に、2台続いて、パレードのときと同じ北ゲートに向かった。
が、ここで思いもしないトラブルが発生した。
私が「外国人」だから。
朝は何もチェックせず減速しただけでスイスイ通れた北ゲート。
しかし、午後の任官式は学校の施設内に入るからであろう、一台一台しっかり車を停めて、身分証明書を求めていた。
ここまでは想定の範囲内。
私以外はみなアメリカの免許証を出す。
ここで私もかつて使っていたウィスコンシン州発行の運転免許証がだせれば簡単だっただろう。
しかし、ルールが変わってビザの期限切れと共に更新ができなくなってしまった。
だから日本のパスポートを出すしかない。
「車内にDoDの身分証をもった人間はいるか」
大きくPOLICEと胸に書かれた濃紺の制服を着込んだ男性が、私のパスポートをみたとたん、運転していたサラに尋ねる。
いないと応えると、今度は自動車の登録証を求められた。
でもシカゴに住むサラが運転しているのはデンバー空港で借りたレンタカー。
結局、車内全員のIDと車の登録証を持ったまま、その警官は料金所のようなスペースへと消えていってしまった。そしてまったく戻ってこない。
車の中には緊張した空気が流れる。
エマがとっくに前に消えてしまったジャスティンの車に事情をメッセージする。
「DoJなら私が対応できたのにさ。ま、ここはDoDのテリトリーだもの、そそりゃダメよねー」
ジャネルが車内の空気を解きほぐそうと明るい声を出した。
DoDはDepartment of Defence、つまり防衛省関係者。
ジャネルは司法省関係者なのでDepartment of Justiceの身分証なら持っている。しかしここは、軍関連施設。残念ながら効力なし。
みんながカーステレオの時計を気にしだす。
任官式が始まるのは12時半。
足腰が弱くなって来ているお父さんお母さんのことを考えて、1時間以上前に着くよう余裕を持って家を出た。
けれど、この時点ですでに時計は11時50分近くになっていた。
「通過さえできたら、会場のホールまでは車で6分ってグーグルマップに出てるから」
励ますようにジャネルが助手席から振り向く。
私はがまんできず切り出した。
「私がここで降りたら、みんなはアメリカ人なんだから問題なく行けるでしょ。任官式を見逃すわけにはいかないじゃない。ここで待ってるから、私を置いて行っていいよ」
みんなは、何時に出てくるかもわからないし、ひとりでこんな場所に置いていくわけにいかない、といってくれた。しかし、気まずさはどうやっても無くならない。
せっかく招待してくれたのに、私がきたせいで他の4人が逆に大事なセレモニーを見逃すことになったりしたら、どうしよう。
ようやくさっきの警官が戻ってきたのは12時を少し過ぎた頃だった。
「外国籍の人間は、南ゲートにあるビジターセンターで入場許可を取る必要がある。
車をそこでUターンさせて、キャンパスの反対側にある南ゲートへ行きなさい」
反対側と簡単にいっても、そもそもキャンパス内に滑走路やスタジアムがある広い敷地だ。
南ゲートへは高速道路に乗って次の出口までいかなくてはならない。
「南ゲートまでが12分、そこから会場のホールまでが6分。許可証さえすぐに発行されたら、ちょっと遅刻するくらいよ。ねっ」
ジャネルが携帯でルートを再検索する間、サラはインターステート25号線を運転し、エマは状況をジェニーにメッセージし、途中からでも会場に入れるのか確認する。
私はなす術もなく、オーウェンの隣で恐縮しつづけていた。
♢
事前にジェニーがリンクを送ってきた式次第と出席者案内のサイトには、どこにも外国籍の出席者が特別な許可証がいるとは説明されていなかった。
そもそも基本的に士官学校に入学できるのはアメリカ国籍の学生のみ。だから、外国籍の列席者がいることを想定していないのかもしれない。
そんなルールがあるとあらかじめ分かっていたなら、最初から南ゲートへ行ったのに。
私が来たために、彼らが、甥の、兄の、親友の子どもの、貴重なイベントを見逃すことになったらどうしよう。
私はハラハラするしかなかった。
「あそこ!国旗のたってる白い建物よ」
ジャネルが指差す。
私とジャネルが車から飛び出すと「私も行く!」とエマが着いてきた。
カツカツカツ!
よりによってドレスアップのために7センチヒールを履いている。それでも走るしかない。
番号札をとり、順番を待ち、そして任官式に出席するためビジター用入場許可が欲しいとパスポートを受付の迷彩服を着た若者に手渡した。
それをうけ、今度は奥にいる制服を着た係官が、一枚一枚私のパスポートのページをめくりながら、チラリとこちらを見る。
イブニングドレスを着込みクラッチバックを手にした私たちは、そのフロアでこれ以上ないくらいに浮いていた。
そして、3人ともそんな着飾った服に見合わず、焦りイライラした顔をしていた。
これまで訪ねた国、どこかが引っかかる可能性はあるだろうか。
この前中国に行ったのはいつだっけ。
ただでさえページが増補された私のパスポートにはスタンプが多い。
スローモーションに思える係官の動きが苛立たしい。
「ビジター許可証を!」
そこに入り口のドアをこじ開けるように押し、パリッと美しく糊のかかった白シャツを着こなした黒人男性が走り込んできた。
「息子の任官式が12時半からなんです!でも母はヨーロッパのパスポートで…」
まさに同じ状況だった。
「私たちだけじゃないってことは、案内が不足してるってことよね」
ジャネルが言った。
恐縮し続けている私に聴かせるかのように。
「こちらへ。写真を撮ります」
刷り上がった許可証にサインをし掴むようにして建物を飛び出した。
12時34分だった。
♢
「大丈夫、まだゲストスピーチが続いてるから」
会場の入り口には、ジャスティンが待っていてくれた。
私たちは冒頭のゲストスピーチを2人分聞き逃しただけだった。
ゼイゼイハアハア。
息が整ったのと同じタイミングで、部隊メンバー1人ずつの任官セレモニーが始まった。
宣誓、
肩章のつけ替え、
そして最初の敬礼。
ふと気になって、さっき走り込んできたお父さんがいるかもと見まわした。
が、違う部隊だったのか、同じ12時半スタートとはいえその姿はなかった。おそらく別の会場を使っている部隊だったのだろう。
あのひとも、ヨーロッパから来たおばあちゃんも、私たちと同じようにゲストスピーチの間にうまく到着できているといいな。
こうしてバタバタながらも、無事任官式が完了したのだった。
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