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そしてパムッカレ
パムッカレについた。
今回、どうしても訪ねたかった、そのパムッカレだ。
棚状の温泉が青く輝く写真をオフィスでハカンに見せられてから、いつか訪ねたかった場所。
町に着いたのは夕方だったので、まずその温泉としての効能を先に味わせていただくことにした。
そう、パムッカレは温泉保養地なのだ。
♢
水温は日本人好みの42℃。
赤褐色の水でなかなか効能ありそうな感じながら無臭。
それがまず室内のプールに流れ、それがそのまま屋外プールとつながっていて、それぞれに打たせ湯があるという仕組み。
しかし、このプール。
水深が150センチくらいある。
めちゃ深い。
しかも座る場所がまったくないのだ。
まったく落ち着かない。
一緒のメンバーはみな、温泉浴の習慣がないので、少しつかっているだけで「暑い暑い」といっては、外にあがる。
併設の普通の水のプールにジャンプしてクールダウンするひともいた。
私はみなから離れ、人影のない熱い方の室内プールで、入るための階段に座り、ひたすらあったまることにした。
道中すべて移動は大型バス。
そのバスの冷房度合はアメリカ人好みの冷凍庫。
私はバスの中ではセーターを着てストールを巻き、時には雨具のパーカーすら着込んだけれど、身体は冷えきっていた。
しかもホテルはシャワーのみの部屋がほとんどだった。
この貴重な機会を逃すわけにはいかない。
上がってくると、足指までポカポカしていることがよくわかる。
これはかなりいい温泉だ。
もし近くにあったらちょくちょく入りに来たい温泉だけど、ちょっと遠い。残念。
♢
温泉プールの後は、セマーの鑑賞だった。
そう、あのルーミーが説いたイスラム神秘主義の踊る祈り、セマー。
コンヤのホテルでルーミーについて調べていたとき、セマーの様子もYouTubeでいくつか検索していた。
本物を観てみたいけれど、ダルビッシュ(修行僧)たちがトランス状態に至るための儀式なのだし、きっと実際に観ることは叶わないだろうと諦めていたし、ツアーの行程をまったく読んでいなかったので、これは嬉しい誤算だった。
♢
1923年のトルコ革命によりアタトゥルクは「脱イスラム政策」を打ち出し、神秘主義の修行僧であることを違法とした。
他の神秘主義教団と共にメヴレヴィー教団も強制的に解体させられ、コンヤで訪ねたルーミーの霊廟や修行所も閉鎖。メヴレヴィー教団の宗教団体としての伝統はそこで途絶えた。
ところが、その文化価値などを鑑み、1927年に霊廟は「博物館」として一般開放。さらに1954年にはセマーを「ショーとして」興行することが認められたという。
逆に言えば、今では、セマーはショーという名目でのみ、許されいる。
この「宗教行事ではなく伝統芸能としてのセマー」「観光資源としてのセマー」は、トルコの多くの観光地で興行されている。
また、ルーミーの命日12月17日を最終日とする10日間(メヴラーナ週間)にはセマーが盛大におこなわれ、最終日のコンヤの様子はテレビで全国中継されるほどらしい。
勝手に薄暗い中で行われる秘事のように思い描いていたが、それは私の思い込みだったようだ。
ただ、個人的には、宗教として祈りと祭り事の場所だったところを博物館にされ、また神との交信の場だったセマーを観光資源にされた今の状態は、そもそもの神秘性を剥がされただけでなく、解体されただけでなく、まるで見世物小屋のように蹂躪しているように思えて、少し悲しい。
♢
会場には私たちの他に、イスラム系の観光客(マレーシアとかインドネシアだろうか)のグループがすでに座っていた。
そして私たちの後にロシア語を話す観光客の小さなグループがやってきた。
「最初に儀礼にのっとりセマーをします。それは写真やビデオの撮影は禁止です。最後に撮影用に短くデモンストレーションしますからそれを待ってください」
そう会場の男性が説明した。
彼はツアーガイドの幼馴染で、絨毯の修理師をしていた20代の頃セマーを始め、ある年の命日イベントでトランス状態にいたり1時間以上回り続けたのだという。
笛と太鼓の演奏が始まり、それに合わせて歌声がのる。
言葉のわからない私にはあのモスクのミナレットから流れてくるお祈りの合図の声に似て聞こえる。
墓を示す黒いジャケット、死に装束を示す白い服、墓標を示す高い帽子を着用した五人が入ってきた。
先頭は会場で最初に挨拶をした幼馴染だという男性だ。
音楽に合わせて何度かの礼を交わしたあと、彼を除く人たちがジャケットを脱ぎ、くるくると踊り始めた。
5分ほど踊ってはいったん休止、それを4-5回繰り返しただろうか。
その中の数人は動きがつたなく、ああ観光資源としてのショーなのだなとあらためて感じた。
いや、私があまりにルーミーについて数日間で読みふけりすぎ、期待値が高かったのかもしれない。
最後の、神、預言者、全てのものに祈りを捧げる部分では、隣にいたイスラム系のグループは皆アーミンと声を出し応じていた。
ここで少し、その宗教的意味合いをセマーが取り戻したような気がして、こころがなごんだ。
その後、楽器の演奏者が退出し、照明が明るくなった。
最初のセマーでは先頭にいた二人(黒衣のままだった男性と、一番美しく回っていた男性)をのぞいた3人がふたたび登場し、スピーカーからの音楽に合わせてデモンストレーションを行ってくれた。
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写真やビデオを許しているこのデモンストレーションの時には、スピーカーの音声で、主要人物(のように見えた)二人が出てこないということが、彼らなりの全てを切り売りはしないという矜持のようにも感じられた。
♢
翌朝。
他の団体客の動きを先制するように朝7時半の集合で、私たちはいよいよパムッカレの遺跡群へと向かった。
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雪山ではない。炭酸カルシウムの白。
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そこに遺跡が散らばっている
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かつては癒しの都という意味でヒエラポリスと呼ばれていたらしい。
あったかい水が湧き出ている。そこに浸かったら体の調子がいい、だから癒しの都と呼ぼう。
伊豆の熱川温泉を思い出した。
やっぱりニンゲンの発想なんてみんな似たようなものなのだ。
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おお、これが!
という感動はかなり下までおりないと感じられなかった。
なにしろ最初のいくつかの棚は観光客でごった返し、そのため体温で水温が上がるからか、藻がそこら中に生えている。
気を抜くとツルンと転んで尻餅をついてしまう。
あまり周囲を見る余裕も写真を撮る余裕もない。
でも、ここに一番来たかったからとジャネルに我儘をいい、二人でガシガシと下の方まで歩いて行った。
人の気配が減り、美しい白い棚を見ることができた。
ユネスコの管轄になってから、裸足でしか入れなくなって保存の努力がされているようだが、隣にある水が枯れ、草が生えた棚をみると、いずれはこうやって廃れてきてしまうのかもしれないと思った。
自然の作り出したものも、ニンゲンという自然の関与で姿を変えてしまうのだな。
巨大なローマ劇場の遺跡も、そして枯れたパムッカレの水棚も、ある意味同じニンゲンの営みの結果。
なんだか複雑な思いになりつつ、パムッカレを後にした。
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