ロンドンで家を増築した(長い)話-その4:いま、壁に鉄骨突っ込んだから
これは、下記の記事の続編です。
私の家の増築のいちばんの目的は「肩までざぶーんと入れるお風呂が欲しい」だった。
日本人で、海外で暮らしていたら、ほとんどのひとが恋しくなるのが、あのたっぷりとお湯につかる感覚だろう。
だから、欲しいお風呂はもう決まっていた。
ドイツにあるTOTOヨーロッパが売っている、深くて大きな豪華なお風呂。
問題は、この小さな我が家の図面のどこにその大きなお風呂をはめ込むか。
パズルのようにお風呂やトイレやキッチンを右左に動かしながら、ようやくたどり着いたのが、寝室に今ある窓をそのまま生かすために、家の真ん中に坪庭をつくり、その坪庭をはさんだ反対側に縦長に浴槽をおくというプランだった。
お風呂というのは普通、横に置いてあって、長い辺から中に入る。
でも、私の図面では、短いほうの辺から入ることになる。
ちょっと入りづらい。けど、いったん入ってしまえば、ざぶーんとたっぷりのお湯が待っている。
よし。これでいこう。
この洞穴のようなお風呂場の一番のメリットは、それにより庭側のスペースをきれいに長方形に切り取ることができることだった。
そうすると、玄関から庭に向かって進むと、うす暗い廊下を通り抜けたあと、どーんと広がったガラス戸越しに庭を望むことになる。
手前が暗い分、明るい庭の印象が強くなるし、スペースも実際より広く感じられるにちがいない。
そして、そのためには、庭側のスペースには柱をたてずに増築することが必須だった。
「かなり太い鉄骨を横に渡すことになるよ。天井高をできるだけ残すようにはするけど、そこだけあきらかに梁がでていることになるからね」
ピーターはなんども念押しをした。
「上の階の住人も、いろんなことを言ってくるひとたちだけど、それ以上なのが上の階のオーナーなのよ。だから、もし彼女が押し掛けてきたときに、こんなに太い鉄骨を通したのよって言えるほうがいいの」
そう私は返した。
「わかったよ。いや、実は、今、すごい鉄骨の値段があがっちゃっててさ」
土台を掘った時にも何も問題はでず、最低必要とされていた1.5m掘るだけでよかったし、配管や電気系統についても、床をはがしてビックリということはなかった。
なので、なにかが起こっても値段は変わりません、という代わりに、よそより高い見積もりの会社を選んだのは弱気だったかしらと思っていたころだった。
しかし、どうやら、ピーターの思惑よりもかなり鉄骨の値段が高くなっていたようで、本当だったら値段をこちらに転嫁したいのだろう。でも、契約した値段は、値段。会社は中継ぎしかしないから、つまりその差額はすべてピーターが吸収しなくてはならない。
「ま、しょうがない。ちょっとね、言いたくなっただけだからさ」
「うんうん。ありがとね。本当によくやってくれてて感謝してるよ」
面白いことに、上の住人があれこれと注文やクレームをしてきたことで、ピーターと私のあいだには不思議な連帯感みたいなものが生まれていた。
共通の敵ができると、自然、仲というのは深まる。
それに、私は現場に住んでいなかった分、なんども差し入れをもって遊びにいっていた。進捗の確認もしたかったけれど、両親がやはり大工さんなどに差し入れしてよい関係を作っていたのを見ていたので、私もそうしたかった。
結局、こういうものは人間と人間の関係だ。親しい気持ちの相手の家を、変な風に建てたいなんて思わないはず。だから、できるだけ差し入れのエナジードリンクなどをもって現場に立ち寄ることにしていた。
実際に現場で働いているポーランド人のビルダーさんたちは、ほとんど英語が話せなかったけれど、差し入れをいつも喜んでくれ、ニコニコと今日はここが終わったよ、と身振り手振りで嬉しそうに見せてくれた。
♢
ブブブブー、ブブブブー。
ドイツと電話会議をしているさなかに、会議室の机に置いてあった私の携帯が震えた。
ピーターからの電話だ。
「いま、鉄骨が届いたんだけど、廊下が曲がっているからどうやっても入らないんだ」
焦った声だ。
「角から2軒目だから、横の道から庭をつたって入れられないかと思うんだけど、隣の家の庭の上を通すから、了解を取ってもらえないかな」
まいった。
ニールとは反対側の東側の家とは、増築の境界線でちょっとした対立があった。
♢
引っ越してきて以来、東側に住む老夫婦には朝晩あいさつしたり、はしごを貸してもらったりするような仲だった。
けれど、建築許可に時間を取っている間に、「北ロンドンの娘の近くにいくの」と引っ越していってしまった。
そのあと、すぐにその家を買ったのは、近くの大邸宅に住む50-60代の女性で、このあたりの家が売りに出るたびに購入しては賃貸にしているひとだった。
イングランド人のお金持ちは「金を持っているほど、使いたがらない」というが、彼女もその典型で、身なりもとても質素で化粧気もない。
初めて、増築関係の書類をもって、オーナー住所となっている場所を尋ねていったときには、あまりに彼女のイメージと違う大邸宅に息をのんでしまったほどだ。
そして、スクルージじいさんのように、意地が悪い。
弁護士を通じて、境界線の壁を共有するかたちで建物が建つということへの同意書類を送ったのだが、一回目の返事は「拒否」。
長屋づくりのロンドンの家は、ヴィクトリア時代にそもそも壁を共有して建てられている。だから、増築部分も共有するのは、ごくあたりまえの話。
弁護士さんも「通常断らないものなので、こんな返事来ることめったにないんですけどねえ」と、あちらが指定した弁護士と話し合うことになった。
追加の料金がかかった末に、結局拒否されたままで、設計図の変更も必要になり散々だったのだ。
どうしてなのか。
思い当たるふしがある。
彼女が隣の家を買ってすぐ、大規模に改築工事をやっていた。そして、そのさなかに、彼女が訪ねてきてこう持ち掛けたのだ。
「最近隣を買ったケイトです。玄関を綺麗に直すんだけど、境界線に建っている板塀をね、もっと素敵にレンガのにしてあげるわ。お金はいらないわよ。こちらは白く塗るけど、そちら側も塗りたいなら、これもお金なしでやってあげるから、どう?いいわよね?」
畳みかける口調だったが、なんせ、こちらは2人の所有者がいる建物なので、上のオーナーに確認してから回答します、とこたえた。
上階のオーナー、ミフはそういうお得話はもちろん大歓迎だった。
なので、もらっていた携帯の番号に「オッケーです、進めてください」と回答をした。
数日後。
朝、会社にいこうとドアを開けると、さっそくレンガ積み職人のおじいさんが玄関先で元気に働いていた。
「おはようございます。さっそくですね」
「おう、帰ってくるまでには、だいぶ終わってるから邪魔にはしないよ」
そんな会話をして、会社にいき、そして夕方帰ってくると、レンガの塀がだいぶできあがっていた。
が。
自転車のハンドルがレンガにあたる。
あれ、狭くなってない?
レンガ職人のおじいさんが雇い主のためにやったのか、それとも、曲がってしまったのかはわからない。けれど、もともとあった板塀が打ちつけていた跡に比べて、レンガの新しい塀は20センチほど我が家のほうに作られていた。
さりげない領地侵略じゃねーか。
別に、数十センチを戦うつもりはないけれど、なんせ、うちの玄関は生垣になっているので、そちらがわのレンガが迫ってくると、今度はジャスミンの枝をガサガサすりながら自転車を押し出さなくてはならない。
毎朝、なんだよーと思いながらこの先ずっと暮らすのか。
それは、なんだか、不愉快だ。
ケイトの携帯に連絡をすると、「もともとの塀より外側に?そんなことあるわけないじゃない。言いがかりよ。明日の朝、現場で会いましょう」という返事が返ってきた。
そして翌朝、彼女がダンナを伴ってやってきた。
感覚的な言いがかりだと、挨拶もなしにまくし立て始めたケイトに、私は家の外壁についた板塀の跡を指さし「どう考えても、レンガ、めっちゃこっち側に立ってますよね」と静かにいった。
すると、後ろに立っていたひょろっとしたダンナさんが
「どうみても、彼女が正しいよ。それに、彼女の玄関、本当に狭いよ。自転車が通らないというのもわかるじゃないか。直してもらいなさい」
と、バサッと斬りおとした。
そんな過去があったから、その後の境界線の拒否はぜったいその時の意匠返しだと思っている。
とはいえ、断るのは、あちらの権利でもあるから、しかたがない。
結局、本当だったら一つの壁を共有して建てるのが一般的な東側の壁は、隣家から10センチ離して別に建てることになったのだ。
♢
そして今回。
そんな歴史のあるケイトが、クレーンを庭の上に通し、もしかしたら何かにぶつけるかもしれないなんてリスクを許すわけがなかった。
万が一オッケーされたとしたって、今住んでいる賃借人にもきっと確認を取らなくてはならないから間に合わない。
「で?連絡は取れた?」
会議室の外にたち考えていると、ピーターから、また電話がかかってきた。
隣家はきっと難しいと説明すると、
「クレーンはあと1時間で返却しないと、追加料金がかかっちゃうんだよ。どうにか鉄骨が庭に入んなきゃ、この先の建築はみんな止まっちゃうぞ」
電話にかみつくような勢いでがなり立てた。
怖い。かなり怒ってる。
そうこうしている間に、ドイツとの会議は終わったようだった。
「どうした?」
会議室から出てきたブルースとジェニーが、携帯を握り締めて茫然としている私をみて、なにかあったと察して訊いてきた。
「いやあ、鉄骨が入らないらしくって」
ブブブブー、ブブブブー。
「もう無理だから、通りに面しているリビングの窓から入れる!」
え、だって、そこからいれても、そこはリビングルームだから寝室との間に壁があるんじゃ。
「壁は壊す!後で直すから!」
えっ。
「とにかく、現場にいったほうがいいよ。この後の会議はカバーしとくから、帰れ!」
ブルースとジェニーが背中を押した。
私はひっしに自転車を漕いで、家に帰った。
けれど。
そこで私が目にしたものは…。
この二部屋には手をつけない、と私物をすべてしまっておいたはずの。
この部屋にはビルダーは入らない、ということになっていたはずの。
リビングと寝室の間の壁が!
めっちゃ開放的になってる!
暖炉があるクラシックなリビングの壁には、トムとジェリーの漫画にでてきそうな感じで、大きな穴があけられ、白く塗られていたはずの壁の内側のレンガがむき出しになり。
そこから、あざ笑うかのように、巨大な鉄骨がびょーんとはみ出していた。
「えっ、やっちゃったの」
「『いま、壁に鉄骨突っ込んだから』って携帯にメッセージ送ったんだけど」
自転車をこいでいたから、震える携帯はすべて無視していた。だって現場に着くほうがいいと思ったから。
なのに。
茫然。
レンガというのは便利なもので、コンクリートと違って、壊しても、レンガ一個一個の単位で部分だけを積みなおし固めることができる。
だから、壁に穴が開いたこと自体はそんなに問題なのではない。
問題は。
穴が埋まった後、漆喰を塗り、さらにペンキを塗らなくてはならない。
いくら全部白い壁だといっても、一面だけ新しくペンキで塗っては色がマッチしないから、当然すべての壁を塗りなおさなくてはならない。
そのためには。
この二部屋に移していた家具をどこかに移し、ペンキ塗りの代金も追加で払わなくてはならない。
がーん。
そんないろいろがぐるぐると頭をめぐるし、目の前の鉄骨が突っ込んだ光景はあまりにひどいし。
愕然と立ち尽くしていたところに、ブルースとジェニー、そしてトレーシーが現れた。
「最後の会議が終わってすぐ、みんなでブルースの車に乗ってきたのよ。どうなっちゃったのか心配だったし」
それにしても。とみんなが鉄骨をみつめた。
「これはもう笑うしかないよね。さ、起こったことは仕方ない。近所のパブに飲みに行くか!」
こんな仲間がいてくれて、どんなに救いになっていることか。
いやしかし。
(つづく)
いただいたサポートは、ロンドンの保護猫活動に寄付させていただきます。 ときどき我が家の猫にマグロを食べさせます。