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ロンドンで家を増築した(長い)話-その5 :ついに完成

これは、下記の記事の続編です。

鉄骨のトラウマから脱出できるまで、相当に長い時間が必要だった。

起こったことはしかたない、と割り切って対応策に目を向けるタイプだし、いうなれば、たかが「穴」ではある。
上の階が崩壊してきたとかそんな壊滅的な何かがおこったわけでもない。

それはそうなんだけれど。
庭側だけで終わるはずの、そしてそれでも充分にストレスだらけの増築が、この穴を境に、なんだかもっと大きなものに変わってしまったのだ。
穴が開き、鉄骨が置かれたとたん、ビルダーたちはそれまで足を踏み入れないようにしていたリビングと寝室に土足で入り込むようになった。
おかげで寝室のじゅうたんはドロドロ、ベッドには機材がぶつけられ、そこら中傷がついた。
おまけに、埋めただけで漆喰も塗られていないレンガの壁には、ビルダーがしたためた落書きまであった。

はぁ。

綺麗に保たれるはずの二部屋までが建築現場と化してしまい、とにかく落ち着かない。ムズムズする。
どうしたってため息がもれた。

穴自体はしかたない。
けれど、結果として家中すべて手入れが必要になったのを黙って受け入れるのは悔しい。
建設会社に連絡して、リビングと寝室のペンキ費用を負担するようクレームをしてみた。
営業のスチュワートが飛んできて、自分たちの取引がある職人を格安で手配するが、費用は折半だといって譲らなかった。
400ポンドの追加出費。

「それでも半額ださせることに成功したんでしょ、それはすごいことだよ」

仲間たちは励ましてくれたけれど、手入れするエリアが二部屋分も増えてしまったことには変わりない。
それはすべて予算には含まれてない予想外の出費だ。

増築で価値があがる土地の値段を基準に、私はすべてのコストをその範囲で済ませようと出費をコントロールしていた。
浴槽にはガツンとお金をかけたけど、そのぶん浴室のキャビネットはショウルームの展示品を格安でかったり、もともと節約モードのはずだった。
ここから先は、さらにキッチンやソファを安くそろえることで調節するしかない。

はぁ。
欲しかったあのオーブンも、望んでいたあの洗濯機も諦めないとだめか。

とはいえ、鉄骨が家の中に運び込まれたことで、建築作業は大きな節目を越え、進捗目覚ましくなったことは嬉しかった。

ドイツから、一目惚れしたTOTOの浴槽がやってくる日までもう少し。
それに合わせてバスルームへの配管が着々と進められていた頃。

ある朝、現場に顔を出してみると、約束したはずの位置とは違うところシャワー水栓がとりつけられている。

「あれ、これ、話していた場所よりも20センチくらい外側になってない?」

ちょうど現場に来ていたピーターに訊ねる。

「あれ、そうだっけ、ここって決めた気がするけど」

ピーターはそういったが、ちゃんと木材の柱に私がここだとペンで書き記した跡がある。

「この前、シャワーでこの場所に立ったら、私の腕が届くのはこの位置だからっていったじゃない」

私はあくまで食い下がる。

こんな食い違いはいくらでも起こっていた。
何をあきらめて、何は固執するかをしっかり切り分けて、粘るところは粘らないとならない。
そうしないと、ビルダーたちは早く現場を仕上げて次のプロジェクトに移ってなんぼの世界。
やり直しはなるべく避けて、ちゃっちゃと終わらせたいので、このままでいいじゃないかと言いくるめられてしまう。

「ここだって届きはするよね。大丈夫じゃん」

ピーターが説得モードに入ったのがわかった。

「いや、違う!だってここに立ってシャワー浴びるとするでしょ。私シャンプーだらけで、手探りでシャワーだそうとするとするでしょ」

私はシャワーの真似をした。

「で、目がろくに開かない状態でこうやって手を伸ばしたら…ほら、とどかないじゃない。もしも、このままで水栓を動かさないっていうんだったら、私は毎朝このシャワーでシャンプーが沁みた目に泣きながら、ピーターに呪いを飛ばすわよ!」

私はピーターをにらみつけた。

「まいったなあ。呪われちゃったらなあ」

ぽりぽりと頭を掻きながら、ピーターはポーランド語でチームのプラマー(配管工)さんに、配管をやり直すように指示をだしたようだった。プラマーさんがクスリと笑ったので、きっと呪いのことも伝えたに違いない。

時には妥協し、時には声を荒げ、時には呪いを飛ばしながら。
とはいえ、ピーターとの関係はなかなかうまくいっていた気がする。

ピーターはなんども

「ガイジンでさ。しかもオンナひとりでさ。これだけのプロジェクトを自分でぜんぶ管理して、いろんな業者をやりくりして。えらいと思ってんだよ」

といってくれたし、それは言葉だけではなかったと思う。

「そっちは順調にすすんでる?」

ある日、ニールが庭越しに声をかけてきた。
現場をみるために立ち寄って、庭のガラス戸も天窓もはいり、家らしくなった我が家を眺めているときだった。

「そりゃあ、折れなきゃいけないこともあるけど、まあ、こんなものかなと思ってるわ。そちらは?」

そう訊ねた私に、ニールは勢い込んで愚痴を語り始めた。

もともと、ニールとアメリアは、二人のやりたいことが若干違っていて、図面を固めるのにも随分と時間がかかっていた。
だから、私の家の鉄骨やコンクリ壁の荒事が済み、彼らの家の工事が同じような工程でスタートし始めると、どうやら二人はいろんなところを変更したくなってきたらしい。

「そっちの家はがつんとオープンプランで庭側のスペースがたっぷりしてるだろ。今さらうちがそれをやるのは無理なのはわかってるけど、キッチンの位置や、壁の位置を少し変更したいなと思ってさ」

私は、実家のビル建設のときに、「あらかじめいろいろなことを考え併せて、図面の上で電気配線や配管、壁などをきっちり決めておかないといけない」と学んでいた。
工事が始まってからの変更は、工期に影響するうえに、追加料金がかかるからだ。
それを避けるためにも、私は動線や建築制限ルールなど、いろんな要素をあらかじめ考慮していた。

どうやら、その「あとから変更」をニールとアメリアはいろいろなところでしているらしい。

「ちょっとだよ。ちょっとキッチンを動かしたいっていっただけなんだ。だけど、そうすると煙突の場所が変わらないといけない。そして煙突が変わったら天窓の場所も変えなくちゃいけないとかいうんだぜ。で、500ポンド追加だっていうんだ」

うーん。
それ、私には、しかたないことに思えますが。

建築士のケンくんがイギリスのいろんな規制や考慮すべきポイントを教えてくれたおかげで、私は煙突や天窓などの位置も考えて家のレイアウトを決めてあった。
彼らにはそういうアドバイスをくれる存在がいなかったんだろうな。
そう思うと、いろいろな人たちが助けてくれたおかげで自分の増築がスムーズにいってることを実感した。

「お隣に比べたら、私なんて、図面でお願いしてあったこと通りになってないと文句はいうけど、いきなり煙突を別のところになんていわない、いいクライアントじゃない」

現場にピーターがやってきたとき、そう冗談交じりに私は隣を指さした。
ピーターは目をらんらんとさせて勢い込んだ。

「そうなんだよ!彼らったら、クレージーさ。図面はなんのためにあるって、それに従って建てるためだろう?なのに、建ててるそばから違うことをいいだしたかと思ったら、二人で言い合いをはじめちゃうんだ。まったくまいっちゃうよ。こっちの家はそれに比べたら、呪いをかけられることはあっても、まあ、それは決めたことと違ってたときだけだしね」

ウインクしながらピーターが続ける。

「しかも、あの家は掘ってみたら、下水管の位置がどう考えても新しい増築部分の真ん中にあたっちゃうところにあってさ。それを掘って動かすんで、ただでさえ余分のコストがかさんでるんだよ。そういう話もしたのにさ。自分たちがあとから持ちかけてきた変更すら同じ値段でやれっていうんだよ。まいっちゃうよ」

私たちが、いまの建設会社に決めた理由は「工事中になにかサプライズが発見されたとしても、その予備費は含まれているので追加料金はとらない」というところが魅力だったからだ。

そのおかげで、私は思いのほか太い鉄骨、そして鉄の値段が高騰していたにもかかわらず、追加料金を請求されずに済んだ。

どうやら、もっと大きなびっくりが隣家のほうにあったらしい。
もしもあのとき、ただ安いだけのビルダーにしていたら、きっとニールとアメリアは掘削やらの追加請求でパニックになっていたに違いない。

イギリスでの住宅工事というのは、大きく分けて、

箱モノを建てる建築作業(ビルダー)
フローリング床をいれる作業(フロアラー)
給湯器やシャワー、セントラルヒーティングを配管する作業(プラマー)
壁に漆喰を塗る作業(プラスタラ―、ペインター)
浴室などにタイルを張る作業(タイラー)
そして、キッチン棚などを作り付けする作業(ビルダー)

という感じに分類される。そして、みんなそれぞれが職人としてバラバラのものなので、お金を出してプロジェクトマネジャーを雇わない限りは、自分でそれらのひとたちの見積もりや、やってくるタイミングの調整をしなくてはならない。

いまでこそ、たとえば、ビルダーがコンクリートの床を完成させたら、フロアラーがきて床板をいれ、その後にまたビルダーが戻ってきてスカーティングボードで壁を仕上げないといけないと知っている。
が、なんせ、日本の家とは構造が違うイギリスの家のこと。
当時の私はどんな順番で何が行われないといけないのか、どんな部品が必要になるのか、わからないことだらけだった。

だから、業者のくる順番を誤って設定したり、早く作業を終わらせたいピーターのチームのプラマーが壁のペンキ塗りが終わらないうちに壁にラジエーターを取り付けるのを許してしまったりした。

おかげで、いまでも、うちの寝室のラジエーターの裏側にはペンキが塗られておらず、漆喰の地の色が隙間から見える。
忌々しくてしかたない。

そんないろいろはあったにせよ、ようやく増築部分に床がはいり、壁が塗られ、居住スペースとして完成した。
思いがけず手を入れる羽目になったリビングは、腹をくくって投資することにし、フローリング板をもちあげ床下に断熱材をいれ、表面を研磨してもらった。
同じように、寝室も、カーペットを入れ替え、ベッドも新しいものに買い替えた。

この段階で、すでに季節は夏。最初に申請をした時からすでに1年半が過ぎていた。

ピーターのチームがおこなう工事は、ガス給湯器と洗濯機の設置を残すのみ。
が、ここで初めて、私の「きっちり事前に練りこんであったプラン」が壁にぶつかった。

正確に言えば、洗濯機にぶつかった。

ブブブブー。ブブブブー。

このころには、もう私はピーターからの電話に慣れていた。
それ以上に、うちのチームのみんなも、慣れていた。

「今度はなんだって?」

あのインパクトのある鉄骨の風景以来、チームだけでなく、プロジェクトに関わっている他のチームのみんなにも私の増築プロジェクトの話はかなり知られていた。

ピーターの電話は、プラマーが給湯器を指定の位置にいれたら、パイプ位置のせいで、洗濯機が入らなくなったから、代わりに「どっか他のところに」変えてくれというものだった。

いや、どっか他のところといっても。
イギリスでは浴室には電気の差込口を設置してはいけないことになっている。それにそもそも浴室は狭すぎて、洗濯機をいれる余裕はない。
浴室とキッチン以外には水道の配管がきていない。キッチンはシンクとガス台とですでにギリギリ。食器洗い機は小型の45㎝幅だったから、代わりに洗濯機をいれることはできない。
テレビの横に洗濯機を置けとでもいうのか。

「しかたないな。今日の夕方、配管工とそのピーターって監督に現場にきてもらいなよ」

システムデザイン要件会議も業務仕様書もそっちのけで、私のデスクに置かれたキッチンの拡大図を会社のみんなが取り囲み、いいアイディアはないかと「緊急会議」状態になっていた。
そんななか、アーロンがいった。

「これは、ある程度配管とかがわかるヤツがその場にいって直接話したほうがたほうがいいだろ。だから、オレがいくよ」

夕方5時。私とアーロンは自転車を飛ばして現場へ到着した。

「そういうことか」

一連の説明を聞いた後、アーロンがふんふんとうなずき、何本も壁に沿って縦に走るパイプをみながら言った。

給湯器は、キッチン棚の上段に収まるよう、床から1.2メートルほどのところに設置されている。そして、そこからまっすぐに降りる冷水、温水、ガス、排水のパイプたち。
そのひとつ、給湯器に給水するパイプには、新しい法律規制でフィルターを取り付けなくてはならないのだという。そのフィルターはビールの中ジョッキくらいの大きさがある。そう、本来なら洗濯機が、美しくフィットするはずの壁にポコンと飛び出してしまうのだ。

「でも、明らかに、この場所しかこの家で洗濯機を置ける場所はない。となったら、方法は一つしかない」

アーロンがキッチン図面を指さした。
「止水栓もフィルターもすべて、キッチンカウンターの高さより上になるよう移動させよう。で、洗濯機はカウンター下に予定通り置く。で、フィルターが飛び出すところには、板で目隠しのボックスをつくってみえないようにする」

えええーっとピーターと配管工が声を漏らした。
だって、丸一日かけて美しく仕上げたパイプを、明日、また一日つかってやりなおさなくてはならないのだから。

「他にないよ。じゃ、これを明日やってもらうってことで」

バサッとアーロンがいいきった。

こうして、洗濯機も予定していた場所になんとか収まり、目隠し付きキッチンカウンターもしつらえ終わり。

ようやく、1年8か月に及ぶ私の増築工事が終わった。

「これ、オレからのプレゼントだから」

最後の支払いを受け取りに来たピーターは、新しいデッキブラシと折り畳みのハシゴをガタガタと運び込んできた。

うちにもともとあったデッキブラシは、ピーターのチームが現場の掃除をしている間にバキッと折ってしまっていた。
そして、私のハシゴは、なんとチームのだれかが間違ってトラックに積んで持って帰ってしまった。

もちろん、どちらもいつもの調子でピーターにしっかり文句をいっていた。
しかし、まさか新品をもってきてくれるとは。

「だってせっかく家がピカピカになったんだから、新しいほうがいいだろ」

ニッコリとピーターが笑った。

増築をしようと活動を開始してから、申請から建築にいたるまで、とにかく予定が予定通りいかない波乱万丈の道のりだった。

けれど、お隣と一緒に、しかもピーターというビルダーに巡り合ったのは本当によかったと思う。

ニールとアメリアの家に使われる鉄骨も、私の家の穴を通って運び込まれた代わりに、リビングと寝室が実質工事現場に変わってしまった間、彼らの家に私の家具を預かってもらえた。
なにより、全幅で増築ができたインパクトは本当に大きかった。

「オレは個人的に、隣よりこっちの作りのほうがすっきりしていて、うまくできてると思うよ。それに」

コホンと空咳をして、チロリとお隣に目をやりながらピーターが続けた。

「本当はこっちの家のほうが鉄骨の量も多くて、高いんだ。だけど、2軒一緒にやるから、あんまり値段の差を出さないほうがいいと思って、ちょっとあっちに振ってる部分があったんだよね。これは、オレたちだけの秘密だぜ」

もしかしたらリップサービスかもしれない。
だけど、なんとなく本音のような気がする。

ガイジンとして、ロンドンに引っ越して1年後には家を買い。
その家をひっくり返す勢いで増築工事をし。

気づけば、東京からロンドンに引っ越してきてから2年半で、ざぶーんと肩まで入れるお風呂だけでなく、庭を見渡せるダイニングキッチンまで手に入れた。

そして。

大掃除が終わり、新しい家具が入り、フラットのお披露目ランチとなったとき、アドバイスをくれ、涙目の私を励まし、早退した私の代わりに仕事をカバーしてくれたみんながやってきてくれた。

2年前には、ただの同僚だったり、ただの日本人の知り合いだった人たちは、このプロジェクトを通じて、仲間、そして友達になっていた。

ランチの予定が、そのままおしゃべりが盛り上がり、夕方になり、夜になり。
手作りの和食を囲んだお祝いの席は、天窓とガラス戸からこうこうと明かりが外にもれる時間まで続いた。

いただいたサポートは、ロンドンの保護猫活動に寄付させていただきます。 ときどき我が家の猫にマグロを食べさせます。