離れるという勇気
<この投稿は、映画「オッペンハイマー」のあらすじに触れています>
映画「オッペンハイマー」を鑑賞した。
映画「ひろしま」を観てから遅れること数週間。
出遅れすぎて、セントラルロンドンの大きな映画館は、ほとんど「オッペンハイマー」の上映を終えてしまっていた。
まるで夏休みの宿題をし残したように、罪悪感と焦燥感にとらわれていたら、近所のコミュニティ映画館が一日限定で木曜の夜に上映するというメールがあった。
ちゃんと観よ、という啓示かしらん。
よし、平日の夜ではあるけれど、
3時間の長丁場だけど、行くか。
気負って行ったけれど、(あっという間ではなかったとはいえ)その3時間は、気がつけば過ぎていたという感じだった。
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観終わって、いろいろ考えながら帰宅して、このnoteを八割あまり一気に書き上げた。
でも、「公開設定」ボタンがなんとなく押せなかった。
映画の主人公がしたことと、それによって命や人生を奪われたひとたちのことを考えると、どのくらい考えても、考え尽くせていないような気がしたから。
ちゃんと消化したのか、心許なかったから。
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映画はオッペンハイマーの科学者としてのすがた、男として、また苦悩する人間としての姿を、時系列も、主観と客観の視点も、まるで横糸と縦糸が織りなすように揺り動かしながら描いていた。
正直、むずかしい英語が満載だった。
quantum physicsだの、私の日ごろの生活には縁のない語彙が飛び交い、しかも、白黒とカラー画面が交差し、時間が前後し、とにかくついていくだけで必死。
だから、家に帰ってきてから、いくつかの補完検索をした。
批評するにも、理解するにも、まずきちんとこの映画が伝えようとしていたところを、間違いなく受け取らなくてはいけないと思ったから。
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ニンゲン的に不安定さを抱える若者が、だんだんと能力を認められ才能を伸ばしていく前半。才能が認められていくとともに、魅力的な、知的な、積極的な女性たちとの恋愛が花開く。
自信をつけていく若き日のオッペンハイマー。
そして、マンハッタン計画に参画することになる。
プロジェクトを推進するなかで、計画の責任者である将軍と親密になり戦時中のアメリカで立場を強めていく。
が、原爆の開発を完成させたとたん、その成功は崩壊を始める。
アインシュタインが、政治と科学との間を上手に立ち回っていたのとは対照的に、オッペンハイマーは、科学の政治利用のど真ん中に入り込んでいたから。
自らの才能に半ば酔いしれ、その結果がもたらすものに思いを巡らすことを忘れていたから。
ニューメキシコの実験場で、猛烈な爆発力を体験し、そこで初めて悪魔をパンドラの箱から出してしまったのが、誰でもない自分なのだと気づいたから。
オッペンハイマーの映画で広島と長崎の惨劇が映し出されなかったことについて、私は「日本人として」アメリカ映画が映さなかったことは残念だけれども、「ひとりの観客として」は、ストーリーの展開に沿っていると感じた。
原爆の功罪や平和ではなく、この映画はタイトル通り「オッペンハイマー」の人間像を描くことにしたアメリカ映画なのだもの。
学生時代、実験の失敗を叱った指導教官に毒リンゴを食べさせようと計ったりと、オッペンハイマーがとても衝突や対立、自分に対する批判に弱いということが、それまでのストーリーできっちり伝えられていたから。
そんな彼が原爆の結果のスライドを、目を閉じ直視できない。
そういう弱い、しかし頭脳明晰な人間なことでストーリーとしては、理解ができた。
でも、ロンドンの小さなコミュニティ映画館の中で。
ただひとりの日本人観客だった私はひとり、シートから座り直し、背筋を伸ばし、握りこぶしを固めた。
「オッペンハイマーよ、お前がやったことの結果をきちんと目を開けて直視しろ」と。
画面の中に入っていって、頭をつかみ、目を開かせ、「ちゃんと見ろ。お前の引き起こした惨状を正視しろ」といいたくなった。
焼けただれた女性の顔も、真っ黒こげの遺体が転がるのも、勝利に狂喜する群衆を前に立つオッペンハイマーがみる幻影として出てくるだけ。
こんなもんじゃない。
自分のやった行いを、
溶けてしまった人体を、
蒸発してしまった生活を。
その事実を引き受けることすらできない人間が、
強大な悪の力を生み出すことに成功してしまったということに。
虚しさと悲しさが残った。
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アメリカやイギリスにわたったユダヤ系の優秀な科学者は、ナチスを止めんと開発に力を注いだ。
しかし、米英の政治家たちは、ナチスがそれを実現できるところにないことを知ったあとも、それを隠し、ユダヤ系科学者たちのを義憤を利用し開発を推し進めた。
当時の戦況ではむしろナチス阻止に貢献し連合国の同盟関係にあったソビエトを、政治家たちはすでに未来の仮想敵国とみなしていたからだ。
オッペンハイマーは、ようやく自分が解き放った邪悪な力が、その瞬間に自分の手を離れ、政治家の思うがままに使われていることに気づく。
でも、もう遅いのだ。
いまさら閉じたとしても、悪魔は箱から飛び出してしまったのだから。
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この映画を観て、一番の収穫は、このさきもしも誰かが「原爆が戦争を終わらせた」といったら、何と答えるべきか、わかったことだ。
「原爆は戦争を終わらせなどしなかった。
それは、冷戦とその後永遠に続く核拡散の連鎖を始めただけだった」
と。
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映画のあと、私は数日間、いろいろな記事をネット上で読み漁った。
知れば知るほど、やはりどうして2つの原子爆弾が使用されなくてはならなかったのかと思わざるをえない。
日本が降伏を早くしていたら、効果を知りたがっていた米英の政治家たちに投下の理由をあたえることがなかったろうに。
当時の政治文書を読むと、老獪な米英の政治家たちは、天皇の扱いの文言をうまく使い、降伏をためらわせたと分析されているらしい。
が、当時の竹やりや穴掘りしかできなかった日本と、原子爆弾の製造ができる産業力をもつアメリカとでは到底話にならないと、なぜ、日本はもっと早く冷静に判断できなかったのか。
「ひろしま」の中で訴えられた、日本軍政の愚かさ、実験としての投下、治療せず観察しつづけたこと、という広島市民の叫びを、あらためて思い起こした。
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関連の記事を読み漁るなかで、私は、ポーランド人でイギリス国籍をもち、2005年に亡くなった物理学者ジョセフ・ロートブラットのことを学んだ。
note冒頭の写真は、彼の肖像だ。
恥ずかしながら、ノーベル平和賞の受賞者であるこの科学者のことを、私はまったく知らなかった。
ポーランド人であるロートブラットは、戦況で母国に戻れなくなりやがてイギリス国籍を得る。
当初マンハッタン計画に参加していたが、そこで計画を率いていたグローブス将軍が「原爆を作る本当の目的はソ連を抑えることだ」と発言するのを聞き衝撃を受ける。
ナチスを止めんと爆弾開発に注力していたけれど、政治家たちは違うものをみている。
そこに気づいたロートブラットは、ナチス・ドイツに原爆の開発能力がないことが確定的になった1944年、ナチス対抗策としての原爆は不要であるとマンハッタン計画を辞し、原爆開発から足を洗い、イギリスに帰国。
原子核物理学を医学に応用する研究を始めた。
彼は、1955年に核兵器廃絶を訴えた「ラッセル・アインシュタイン宣言」にも署名、その後「科学と世界の問題に関するパグウォッシュ会議」で中心的な役割を果たし、1995年ノーベル平和賞を受賞する。
しかし、映画「オッペンハイマー」には彼の姿はない。
それについては、アメリカ人の中にも疑問の声があるようだ。
映画の最後。地球を炎がつつむ。
世界中に散らばる核弾頭が、それを現実にしないと、誰が断言できるだろう。
碑文「過ちは繰返しませぬから」の発案者である雑賀忠義氏が、かつて述べたように。
「だれそれが悪いという次元の考え」を捨て、「人類が一体となって恒久平和の実現」をするために。
ロートブラットから学び、情報の操作におびやかされずに自分の活動の方向をしっかり判断しなくてはならないのだ。
いまだに日本公開の予定がないと聞いた。
けれども、この映画こそ、日本で公開され、日本人の評価の洗礼を受けるべき作品だと思う。
そして、戦争の歴史をあらためて考え、今起こっている戦争について、今存在している核兵器について、考えるきっかけとなるべきだと。
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最後に、カナダで制作されたロートブラットの生涯についてのドキュメンタリーのリンクを。