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「野犬の仔犬チトー」伊藤日呂美 著を読んで

この本は詩人の伊藤日呂美さんが猫2匹とジャーマンシェパードとの暮らしに、コロナ禍に野犬の仔犬を引き取ってからの日々を書いた実話である。

私も11月末から、柴犬の子犬(先代と同じ犬種)を飼い始めて、思うようにいかない犬を相手に奮闘中だけれど、この本を読むと私の苦労なんて苦労のうちに入らないなという感じ。

チトーはリードをつけることができないので、外に散歩にもいけない。トイレは家の中で済ます。最初の頃こそあちこちだったのが、だんだん範囲が狭められている。

リードはつけられないけれど、しつけの先生や獣医さん、それから大学で教えている学生さんや、教えていない住まいの熊本の大学生、近所の人や友達に世話を頼みながら、結構仕事で家を空けるのだ。

その間、犬はベッドの上や地下の部屋やマット、ソファーを自由に謳歌し、破壊しながらも、飼い主を待ってそれなりに過ごしている。

でも破壊行動は激しいし、ベッドは犬に占領されるしで、よくこの人はこれで犬猫を飼って、家も空けられるなぁと思うし、この状況でよく野犬の仔犬を飼うことにしたなぁと、文字通り感心してしまう。

チトーに手を焼きながらも、無理にリードは付けない。チトーも飼い主さんのことはきっと大好き。でも触れるのはベッドに横になっているときだけ。
そんな犬と折り合いをつけながら、悩んだり落ち込んだりしながら、仕事をし、東京に行き、海外に行って、ついにはアメリカの娘さんのところに置いてきた老犬までも、また日本に連れ帰ってくる。

昨年まで目が見えず耳も聞こえにい16歳半の柴犬を介護していたのだけれど、一頭であれだけ大変だったと思うと本当に信じられない。

読んでいる間中、著者と一緒にそのごちゃごちゃした家にいるような心地がした。そして、また、うちなんかまだまだましだなぁと思って、勇気づけられたりもした。

私は一頭で弱音を吐き、時に疲れているのだけれど、もしかすると頭数が増えると、タガが外れて、また違う世界が広がるものなのだろうか。

怖いものみたさで、お化け屋敷を覗いてみるみたいな感じで最後まで楽しく読ませてもらった。
好き好きはあるだろうけれど、この著者の気合というのか、やっぱり犬猫愛なのだろうと思うけれど、それには感服させられた。

でも私は絶対一頭で十分だと痛感。