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大谷祥平の人生シートにまつわる話

今回はベースボールのお題で行く。

呪い
 アメリカのベースボールの映画では「呪い」が頻繁に物語のキーとして語られている。今回のワールドシリーズでは「松井秀喜の呪い」がまだ生きていた。また3連敗したチームがその後連勝した記録はないという呪いもあった。

 その呪いを今回は解くのではないかと、4回裏までは、ヤンキースのコールのパーエフェクトピッチング、ジャッジの2ランホームラン、その後のファインプレーと思っていた。
「やってくれたなヤンキーズ、このままドジャースはやられるかも」
いやいや驚くなかれ、呪いはまだ効いていた。5回表、信じられないエラーが3つも続く。これは「呪い」だろう。ここから新たに「ジャッジの呪い」も始まった。
一方ベースボールは伝説も多々ある。伝説は大谷祥平選手が今年は沢山作った。

ブードゥー教の呪いはアメリカではよく知られている。色んな所に出てくる。

俺の野球
 私は昭和31年産まれなので、野球は男の子にとって必携の遊びだった。
小学生の私は草野球を原っぱでやっていた。軟式用のバットもグローブも持っていた。それでも野球は上手くはなかった。
「お父さん、野球へたでしょう」家の娘2は言う。
「なんで?」
「自分で言っていたから」

 娘2の頭中で野球がヘタと言って思い浮かべるのは、ドラえもんの「のび太」のようだ。
それは勘弁して欲しい、中学生の頃、地元の子供達相手にサッカーチームを作ってコーチしていた。たまに子供達が野球をやりたいというので、私がノックしたりしていた。また息子とキャッチボールやソフトボールの練習もしている。普通の基準が何処にあるのかよう知らんけど。あえて言えば普通だ。

 あの当時、私の地元はリトルリーグで世界一になるほど少年野球が盛んな地域だった。そこで普通に出来る程度では下手となった。
その流れか、娘2は私のことを球技全般がヘタだと思っている。一応中高サッカー部だった。また中学生の頃、自分で近所の子供達を集めてサッカーチームも作ってもいた。ある程度のうまさはあった。

 ある日、高校でバレーボール部だった娘2と50才までママさんバレーボールをやっていた妻が、家の前においてバレーボールで遊んでいた。
「父もやる でも出来るかな?」またムカつくことを娘2が言う。
「いいよ」
何本かまともなサーブをして鼻の穴を膨らます私。
「なんか、ムカつく」という娘2。
私の時代の子供達は何でも出来る子供が多い、それは自然相手に毎日遊んでいたからだと思う。

ワールドシリーズ(WS)優勝パレード
 WS優勝パレード、凄い規模だなぁ。驚いたぞ。アメリカでは野球は既にオワコンと言っていたは誰だろう。

 今更だけどドジャースの優勝祝賀会もそうだけど、常に家族が招待されている。ニューヨーク行きの飛行機にも同乗していた。これは日本のスポーツ界が一番見習わないといけない事だと思う。まず家族があって、友達があって、サポート、ファンがあってのチームだ。

打者大谷
 大谷選手の打者だけでの活躍、これで思いだした映画がある。
「ナチュラル」 1984年 ロバート・レッドフォードが主演。
物語:
大リーグで若き天才投手としてデビューする直前、ある女に銃撃される。その呪いを持って大怪我して消えてしまう。その16年後、ロートルで打者として再び大舞台へ向かう、奇蹟のルーキーと言われた男の物語。
 
 Netflixでまた観てしまった。これで何度目だろう。おそらく結婚後は観てないので本当に久しぶりだ。
やはりラストシーンで感動して泣いた。映画としてはファンタジーだけど、それが大谷さんでは現実化している。

大谷選手の人生シート
 大谷祥平選手(ドジャース)知っていると思うけど。
大谷さんは高校生の時、人生シート、長期計画を立てていた。
これには驚く。私なんぞ、子供が3人産まれて、3DKの築年数40年のぼろ団地に住んでいた時に、ようやく「これは将来がヤバい」と思い人生計画を作った。その時既に40才だ。

 そして、20年過ぎ何とかやり終えた。そんな私が大谷さんの人生シートを見てインラインで思いつく話を書いてみた。

私がやり終えた人生シート 

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大谷選手の人生シート
 

>18才 メジャーに入団する
 実際には日ハムへ入団している。これは、良い判断だった。おそらく親の意見もあったと思う。そして、ここから二刀流が始まる。一方このシートだと投手としてのメジャーリーガーを計画している。

 私の18才、これは酷いよ、暴走族あがりの浪人生。最低の状態だった。私は人生を軌道修正しようと猛勉強をしていた。途中で精神をやられたが何とか持ちこたえて、20才で大学入る。

>19才 3A昇格 英語マスター
 実際には二刀流選手となる。これは栗山監督のおかげ。
>20才 メジャー昇格 15億円
 ここでお金が出てくる。
おそらくこれだけあれば当面なんとかると思っていたのだろう。若い頃にある程度お金を貯めることは大切なことだ。

お金の事を少し語る
 お金を貯めると未来の選択肢が広がる。また、大きなお金を一度貯めるとさらに貯まっていく不思議がある。「お金がお金を呼ぶ」
1万円札を崩したくないという気持ちと同じで、1千万円の中の2百万円を使ったら元に戻したくなる。そして節約し、働いて元に戻す。そして増えていく。

 私は人生計画を40才から作ったけど、マネープランに関しては大学時代からあった。とにかく金を貯めた。お金を増やすには働いて、無駄金を使わないことが一番の方法だと思っている。

 スポーツの基礎練習と同じで働くことを厭わなくなる。労働というベース作りが無く、いきなり管理職、マネージメント、評論家などで儲けることは基本不可能だ。バタ足も出来ないのにバタフライを泳ぐようなもので、当然溺れる。

 身分不相応な贅沢はもってのほかだ。焼き肉なんて滅多に食わない。ヘタしたら1週間分の食費が飛ぶ。一方で私は30才までお金のいるモトクロスレースをやり続けた。それでも3百万(1984年当時の1万円は令和5年の約2.4万円相当)くらいは貯めていた。

>21才 ローテション入り 16勝
 具体的だ。
>22才 サイ・ヤング賞 
このシートを書いた時はやはり投手の選択だったようだ。
>23才 WBC日本代表
 ここでエンゼルス入団 ついこの間みたいな気がする。
 私もこの歳で大学を卒業して社会人となったが、モトクロスをまだ続けていた。

>24才 ノーヒット・ノーラン 25勝達成
 実際はメジャーで新人王。
>25才 世界最速175キロ
>26才 ワールドシリーズ制覇 「結婚」 
ここで結婚はしていない。大谷さんの母親はメディアを近づけなかった。特に女子アナ、女優は遠ざけたという。

>27才 WBC日本代表 MVP 
  実際にはア・リーグでMVP
>28才 男の誕生 
>29才 ノーヒット・ノーラン2度目
 実際には、「結婚」 WBC優勝 MVP ア・リーグMVP
嫁さんはステキなアスリートだった。親の力だと思う。野球しかやってないと嫁さん選びは相当に難しい。だんだんシートが年齢に追いついて来た。
>30才 日本人最多勝利 
 
実際にはワールドシリーズ制覇、ア・リーグMVP、50-50達成、HR54本のホームラン王。2024年11月。

ここからは未来――――
>31才 女の子誕生
>32才 ワールドシリーズ制覇 2度目
>33才 次男誕生 3人目 
>34才 ワールドシリーズ制覇 3度目
>35才 WBC日本代表
>36才 奪三振数 記録達成
>37才 長男が野球を始める
>38才 結果がでず引退を考え始める
>39才 来年での引退を決意
>40才 引退試合 ノーヒット・ノーラン
>41才 日本に帰ってくる
>42才~ 日本にアメリカのシステムを導入

子供達が憧れる野球にして欲しい。

>57才 プロ野球界から引退
>58才 岩手に帰ってくる
>59才 リトルリーグの監督になる
>60才 ハワイ旅行
>61才 リトルリーグで日本一になる

出来れば世界一!
>62才~ 3年間 岩手県の野球向上のために野球を考える
 故郷思いだね、アメリカに憧れているわけではなく、大リーグに憧れている大谷さん。

>65才 メジャー年金 3000万円
>66才~ 世界旅行

嫁とやっと旅行かぁ・・。

 ここで私の年齢となる。今や子供達が巣立って、仕事はリタイヤし、妻と何度か国内旅行へも行った。
そして、その後の生き方に迷走している。まず勘違いしていたのは、体も脳みそもこれほど衰えるとは思わなかった。結構頑張っていたが、やはりDNAの設計通りになるのかと思っている。

>70才~ 毎日スポーツを続けて元気で明るい生活

 大谷さんは、晩年に岩手に帰ってくる。
そしてリトルリーグの監督、最後まで野球に関わっている。
このシートを見ると、おそらく日本中の田舎で過ごしている母親が涙を流して喜ぶ。そんな息子だ。

 それにしても野球もしない、スポーツにも興味がない、損得も無関係、そんな人が何故アンチ大谷となる。私の思考では理解出来ない。これも呪い?
ここで昔お袋が言っていた言葉を思いだす。
「何言ってもだめだよ、あの人は文句たれだから」

私の70才も、毎日スポーツを続けて元気で明るい生活をする。
ここだけは大谷さんと同じだ。しかし体がガタガタ、でも頑張りましょう。


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