希望の光 人生の悔い
集中治療室
2021年7月23日から始まった。
その日からオリンピックも始まった。
状態
両足の付け根から、動脈をカテーテルで心臓の血管をバルーン(膨らませている)2つ
気道確保され酸素を口から入れられる。1つ
点滴 1つ
人工透析 入と出で 2つ
オシッコようの管 1つ
心臓モニター 1つ
自分では見てないのでもっとあったかも。
これだけ管とかケーブルを身体に付けられているから安全のため、足とか手首が拘束される。
鎮静剤は打たれているが苦しい。
2日間この状態、当然重体だ。それでも奇跡的に生き残った。
その後、回復室で、徐々に身体から管とケーブルが外されていく。3日間過ごす。
ようやく点滴と鼻からの酸素吸入だけになって、普通病棟へ移る。
一度6日ほど自宅療養して2度目のカテーテル、今度は退院して2週間後、3度目のカテーテル(硬化した血管を削る)
延べで20日間入院していたことになる。
救急車で運び込まれ、集中治療室での医師の一言
「これはかなりの重症だ」
人生終わった感はあった。
65才の誕生日15日前だった。
死に近づいた時
死にそうになったことは、これで3度目だ。
1度目は、出産時、死産だった。泣かない子として生まれた。心臓に強心剤を打ったら心臓が動き出した。
2回目は、23才のときモトクロスの練習中の事故、空中に舞い上がったバイクが身体を直撃した。たまたま左足の付け根で、大腿骨骨折だけで済んだ。
今度で3回目、2度程心臓停止状態となった。入院中、胸に痣があったのが不思議だったが、これ心臓マッサージの痕だった。
その他にも、バイク事故で記憶が1日消えたとか、飛ばしてきた暴走族の車に跳ねられる所だったとか、車が雪道でスピンして谷底へ(落ちなかったけど)、自転車(ロードバイク)でも鎖骨を山の中で折っている。バイクの林道ツーリングで左足の指を骨折、前歯もバイク事故で1本ほど飛ばしている。怪我には枚挙にいとまがない。
妻は自慢になっていると言うが、事実なのでしょうが無い。
悲しみとは
こうやって死ぬかもという恐怖を何度も感じている。
また永遠に続くような痛みと眠れない夜も過ごしている。
それでも悔やんで泣くことはなかった。痛すぎて涙が溢れることはあった。
今回も集中治療室で手を拘束された状態で、苦しさで涙が何度か頬を濡らした。
でも、一番の悲しさは自分のことではなかった。
小学校6年生の娘2の病を医者から聞く。
治療法はない。一生インスリンを投与するしか生きる術はないと知った時だ。1万人に1人の病。なんでそんなものに娘が・・。
涙が止まらなかった。でもなんとかなる。そう思うしかなかった。
そしてその翌年、3月11日 東日本大震災。人生は荒波の中だった。
ただ娘2は目標とした学校に受かり、少しの希望もあった。
しかし、その後、お袋が癌となりステージ4だ。荒波は続く。
本当に人生に負けないで、「希望という名の光」この歌に励まされていた。
悔いが残るとは
数々ある出来事、あのとき自分の人生が終わったら、悔いが残るだろうか?
そんな事を今考えてみた。
「残らない」
自分が死んで悔いが残ることはない。
家族や親しい仲間の方に悔いが残る。
そうなると自分の人生は人に迷惑をかけすぎだ。少し反省する。
最後に、こんな世の中ですが、家族、親しい仲間とは会える時に会いに行きましょう。
明日には会えないかもしれない。