子供達の自立への道 終わらない子育て
子供達の迷走
私と同年代の親から最近よく聞く話が子供の自立に関しての話だ。
大学へ行かず引き籠もりになり、そのまま中退して家にいる。
就職後、1年で会社を辞めて、家に戻り仕事探しもしない。
大学卒業後、落語家になるといい落語家の門下へ弟子入りしたが、辞めて戻ってきた。本当に枚挙に問わない。
成人した思われる子供達が、今度は自立への道を迷走している。
子育てが終わった後も子供の世話をする親。これは悲しい。その要因はネットで色々と溢れているが、私の意見では、親の過干渉とそれを許す環境だ。
子供は3人
私には子供が3人いる。長男、長女、次女 Noteでは(息子、娘1、娘2)と称している。今現在、家には誰もいない。自立するような育て方をしていたので、自ずとそうなる。
娘1の場合
まず娘1は、外資系の医薬メーカーに就職、文学部国文科卒だけど、薬学を勉強しMRとなった。しかし営業のサガで、1年も経たずに長崎へ転勤した。実家暮らしから、いきなり知らない土地へ、女1人で転勤。当初は寂びすぎて神経症になりつつあった。
しかし、長崎という東京から遙かに遠い場所がよかったのか、友達や、私達家族、妻、娘2、私と頻繁に遊びに行った。
「せっかくの機会だから、観光もそうだけど、海と山が近いのでアウトドアをやればいい」とアドバイスする。後にシーカヤックの師匠となるおっさん、ガイドさんと友達になり、休日になると天草の海へ通い出した。
その後、機動力を得るため、オートバイの免許も取る。早速バイクを購入してツーリングも始める。ちなみに熊本はバイク天国だ。
若い女の子が、アウトドアの遊びをやっていると、暇で金のある面白いオッサンが勝手に寄ってくる。飲み屋で含蓄垂れて奢ってくれるキモいオッサン達と違い、この手のオッサン達は物知りで、身体も動き顔も広い。
若くて勝ち気なアウトドアの遊びをする女の子をステキに思うオッサンは現場にしかいない。
今、娘1は仙台に赴任し、今度はロッククライミングに夢中だ。今回はオッサンではなく彼氏と一緒のようだ。
娘2の場合
娘2は末っ子の常で、人に頼ることがデフォルトになっている。あまり勉強もしないので一番心配した。しかし、娘1(姉)と同じ中高一貫の女子校へ何とか入学すると、徐々に良い方向へ変化をしていった。1型糖尿病という病を抱えていながら、部活や学校活動を経験することにより正義感の強い子へと変身していた。
末っ子気質なので、大学へ入学後は、バイト先の高学歴の先輩大学生達(男、女)に気に入られって、皆の妹みたいになっていた。
就職は多少ふらついていたが、その先輩達のアドバイスより、試験を受けて役人になった。そして、最近、結婚、家を出た。
「一番下から片づくとは、面白いものだ」
ちなみに娘2も外遊びは好きで、会社のママさんバレーボール、昔のバイト仲間とモルックという競技で、世界選手権に参加したりと忙しい。
季節限定の趣味はスノーボード、スキー、スケボーもやる。釣りも好きで一人で行ったりする。家族の影響でシーカヤックもする。さらにダイビングライセンスも持っている。
息子の場合
始めての子供、それも男の子、父親としては期待もあったが、自分の理想や希望を押しつける気はさらさらなかった。
当時暮らしていた場所は横浜のチベット言われる里山、歩いて1分の場所に湿地帯(昔の田んぼ)が広がって、そこに里山からの湧き水が流れ込む絵に描いたような田舎だった。
息子はそこでザリガニ釣りしたり、夏はカブトムシを捕ったりして遊んでいた。サッカー、野球などスポーツ少年団系の「俺の勝ちだ!」という子供でないことが分かったので、将来、川や海で遊べるように、就学前からスイミングスクールへ通わせた。
小学4年の春、東京郊外へ引っ越してもスイミングは続けた。それなりに速くなっていたが、中学からは球技でチームスポーツがやりたいと言うことで、バレーボールの部活をすることになった。
その後、高校時代は、娘1,2に手をかけており、ほぼ放置していた。
私も男だから分かるけど、男は思春期には放置するに限る。後は運任せだ。それでも親の過干渉よりはましだ。男の子はパラサイトになりがちなので、気をつける必要がある。
息子の大学受験は娘2の中学受験と重なり、放置状態となった。塾も行かず。行きたい大学を決めて、2ヶ月ほど赤本で過去問題を頭にいれて受験し、そして合格した。
息子は昔から記憶、特に数字に強く、家族で一番地頭はいい。
旅行して、寺などへ行くと、
「あそこに奉納された鐘は800年経つ、平安時代だな」と娘達へ言う。
「えっ、兄、凄い!」と娘達は驚く。
野球を見ていても、投手の防御率を覚えている。
「防御率 0.99だろう 打てねーよ」
そんな兄を見て、娘達は、「兄に彼女いると思う」「無理無理、いないよ」と酷いことを言う(W)
息子はバレーボール部で活躍したこともあり、生きる力もあった。その典型的な例として、大学は神奈川県にあり、2時間近く通学にかかったが、2年生になると大学へ行ったきり帰ってこなくなった。聞くと
「友達のアパートで寝ている」
「え??」
「少し米もらっていく。食い物くらいは補給しないと悪いから」
椎名誠さんの「哀愁の町に霧が降るのだ」的な原始共産主義的な暮らしをしていた。
大学卒業後、お袋が老人ホームに入所したために、空き家になった実家で一人暮らしをしだしたら、そこに息子の有象無象の友達が現れるようになった。
仕事は大手のホームセンターだ。今一番面白と思える小売業だ。ここ数年アウトドアブランドも展開している。またウッドショックの時は、輸入材を諦めて、徳島の山の木を買い取った。さらに建築設備の給湯器が不足するまえに、自分の店舗で製品を大量に確保した。色々と日本の経済動向の影響を受けて動いている。息子は新店舗の立ち上げ要員のようで、現在また新店舗の開店準備で奔走している。
「ねぇ、兄、結婚出来ると思う」「無理でしょ、趣味が競馬だよ、お金持ってないよ」「いや、彼奴守銭奴だよ」と娘達、
彼は競馬、地方競馬が好きだ。マニア過ぎる。そして負けない。
また高校生時代から、NISAとかネットで溢れる投資ではなく、独自の投資でお金を稼いでいた。今も不思議な投資をしている。
面白いエピソードがあった。
娘1「兄、チャート式の数3の問題教えて」
兄「俺、数3やってない。そんなの捨てだよ、お前文系だろう、時間の無駄」
娘1「えーっ!でも理系の大学でしょう?」
兄「別にいんだよ、受験では満点いらないし」
以上。
この割り切り方は勝負師なのか、単なる面倒くさがり?
ただ、妻の作る飯は大好きで、たまに家に来ると、妻の料理を
「美味いな、親父は幸せだよ、座っただけ何品も料理がでてくる」
と食いまくって、帰っていく。謎の多い男だ。
学校は中高公立、大学も女子の比率の多い農獣医系の学部、サークルは自転車の冒険旅行、男女一緒の行動だ。そしてサークルの長になり、
「女子がいると、組み分けなど色々大変なんだよ」とぼやく男だ。
女性を見過ぎているのか、昨年、30才を越えたがまだ独身だ。
結論はない
結局、子供達の自立の話になってしまった。すまん。
結論として、子供を自立させるメソッドはない。自分達で自立するしかない。そして、人を変えるのは「決意でも思想」でもない。環境だと思う。良い友達を得て、いい環境で教育を受けて、いい環境で生活をする。
-----------------------子供が自立した後の人生
「人生無限帯」
日本画家 熊谷守一さんの書だ。
人の命には木の根や果実の蔕のような、しっかりした拠り所がない。 まるであてどなく舞い上がる路上の埃のようなものだ。
陶淵明 雑詩 其の一
人生無根蔕 人生は根蔕無く
飄如陌上塵 飄として陌上の塵の如し
分散逐風轉 分散し風を逐って轉じ
此已非常身 此れ已に常の身に非ず
落地為兄弟 地に落ちて兄弟と為る
何必骨肉親 何ぞ必ずしも骨肉の親のみならんや
得歓當作楽 歓を得ては當に楽しみを作すべし
斗酒聚比鄰 斗酒、比鄰を聚めよ
盛年不重來 盛年 重ねて來らず
一日難再晨 一日 再び晨なり難し
及時當勉励 時に及んで當に勉励すべし
歳月不待人 歳月は人を待たず
「通訳」
人の命には木の根や果実の蔕のような、しっかりした拠り所がない。
まるであてどなく舞い上がる路上の埃のようなものだ。
風のまにまにあちらこちらへ吹き飛ばされて、
この身は、もはや元の姿を保ち得ない。
そんな世の中に生まれ出たからには、すべての人が兄弟のようなもの。
肉親だけに限る必要はさらさらない。
嬉しい時には、心ゆくまで楽しみ、
酒をたっぷり用意して近所の仲間と一緒に飲むがよい。
若い時は二度とやって来ないし、
一日に二度目の朝はない。
楽しめるときには、せいぜい楽しもう。
時というものは人を待ってくれないぞ。
(岩波文庫 陶淵明全集 松枝茂夫・和田武司訳注)
この言葉が身に染みる。まだ楽しまないと。