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バイク リターンズ レイノルズ チューブで組んだロードバイク ペガサス 1985年 

歩けなくなった
 ここ最近の趣味、それとも息抜きかなぁ、散歩をする。井の頭公園、野川公園、武蔵野公園まで自宅から8キロから10キロ歩く。どこも自然豊な場所なので、歩きながら自然観察をする。それが面白い。別Noteでも書いている。

 35年間トライアスリートだった私だが、64才で心臓を痛めた。これは結構衝撃だったがが、めげずにリハビリでの散歩をするようになった。そして昨年から負荷を上げて登山も始めた。これが老人の生涯スポーツかなと思い始めた。

 しかし人生は想定外、今年の8月末から突然歩くと足が痺れだした。
筋肉疲労や怪我じゃなさそうだ。整形外科でMRIを撮って検査すると、「腰部脊柱管狭窄症」と診断された。要因は加齢だ。加齢ではどうにもならない、遺伝で決まる。今治療中だが、痛みが出ないように、更に悪化させない対処療法を試みている。

何故か自転車は乗れる
 この病気、変なことだが、歩かない限り痛みが出ない。自転車は全く問題なく乗れる。

 30才からトライアスロン、自転車(ロードレース、マウンテンバイク)、スイム(競泳、オープンウォータースイム)、ランニング(マラソン、トレラン)を生涯スポーツとして続けていた。ここ2,3年でウォーキング、登山りをメインにしていた。しかし現在出来なくなった今、自転車しかない。

自転車散歩 
 そこで散歩を自転車のポタリングに切り替えようと思った。
ポタリングとは気ままに走る軽いサイクリングのことで、目的地を特に定めることなく自転車で散歩するようにゆったり走る。

 ただ、私にとって「自転車に乗る=トレーニング」だったので、レーパン、レーシングウエア、専用シューズ、ヘルメット、ゴーグル、心のスイッチを入れて、常に戦闘モードで自転車に乗っていた。
走り始めるとケインデンス90以上、心拍計モニターをつけて、ATレベルで走る。そんな走りが身についている。そこは意識改革が必要になった。
「おんじ、直ぐに無茶するから危険だ!」娘や妻から指摘された。

ケイデンス
 1分間のペダルの回転数、同じ速度でもケインデンスから速度を出すのと、重いギア比で出すのでは心拍数が異なる。一般的にケインデンスを上げると心拍数が上がる。
個人の資質と練習により、その兼ね合いを知ることがまず科学的トレーニングの基準となる。パワーだけでは判断出来ない。

ATレベル
 無酸素性代謝閾値 / AT(むさんそせいたいしゃいきち)
軽い運動から運動の強さが徐々に増していくとき、有酸素運動から無酸素運動に切り替わる転換点となる運動強度のレベルのこと。 英語では「AT: Anaerobics Threshold」

最後のバイクライド
 手持ちの宝(バイク)を整備し最後のバイクライド。今やそんな気持ちだ。来年、再来年と体はドンドン劣化する。そしてバイク(ロードバイク、マウンテンバイク)に近い将来、まともに乗れなくなるはすだ。
このままで終わりにするのは悲し過ぎる。時間と命を注ぎ込んだ思い出のバイクで、再びライドしたい。

 
整備するバイク第一弾
 手元にあるバイクで一番の古顔は、1985年にオーダーしたロードバイク、「ペガサス(Pegasus)」
ペガサスは40年前、プロショップにおいて、レイノルズのパイプで組んだロードバイクだ。各種部品は交換しているが、このバイクでアインマンレースを4回走った。佐渡のトライアスロンは10回以上走っている。ロードレースは4,5回は出ている
スペックは以下の表にまとめている。

自転車スペック表

 まずはお掃除、以外とサビが出ている。もともとのコンポはシマノ600(これも銘品) 1983年。現物は何処かへいった。

SHIMANO 600 EX

 SHIMANO 600 EX シリーズ 1983年
“高感度・高機能”をコンセプトに、コンピューターシステムを用いて設計されたNEW SHIMANO 600 EXは、特にデザインに力を入れ、機能性だけでなく高い品質を視覚的に演出することに成功。「シマノデザインの原点」と評されています。欧米の市場において、レーシングモデルはハイエンドモデルと捉えられていたそれまでの価値観を覆し、シマノの存在価値を改めて示すことができました。また、この成功はのちのNEW DURA-ACE(7400シリーズ)の礎ともなり、その後のシマノの製品開発に大きな影響を与える

シマノのアーカイブ

 今はシマノ105の9S 相当初期のブレーキシフトに交換している。ブレーキも105のキャリパーだ。
この時代のロードバイクのホイールはチュ-ブラー仕様だ。一番多くのレースに出場したバイクだ。また、ダウンヒルですっ飛び、鎖骨も折った自転車でもある。雨の峠道のダウンヒル、ロードでの集団でのコーナー、命をかけた回数の多いバイクだ。

マビックのGP-4 とチューブラ仕様
マビックのGP-4

思い出話
 記憶に残る事故、1987年、修善寺CSCでのロードレース、先導カーが退いてスタート直後の緩い下りのコーナー、100台以上で加速して突っ込んでいく。前方で凄いブレーキ音が鳴り響き、「ガッシャン、ガッシャン」と音がして、「落車、落車!」と叫び声がする。目の前に自転車と人が山になっていた。集団落車の恐怖。取りあえずうまく避けて走る。

救急車にバイクごと乗る
 練習中では、私が奥多摩の周遊道路、ダウンヒルでバイクを追っていたら、そのバイクがコーナーでスリップし、そのままガードレールに突っ込んだ。確認するとたいした怪我はなく安心した。

 一時期はダウンヒルで、かなり攻め込んでいた。ただ世の中には更に速く下る人もいた。丹沢山系のロードで、そんなライダーについて行き、滑って吹っ飛んだ。その時に鎖骨を折った。
携帯電話も無い時代だ。前を走っていたその速い相棒が一度山を下り、民家から電話をして救急車を読んでくれた。
彼はまた山を登り、私と30分以上救急車を待つ。彼は凄い練習になった。

 救急搬送の段取りになったとき、私は重要なことに気づいた。バイクの搬送だ。当時でもかなり高いものだ。このまま山の中に置いてはいけない。

 「すみません、自転車も運んでください」とお願いする。
呆れる消防隊員に頼み込み、ロードバイクを救急車へ乗せてもらった。
病院で、私と自転車が運びだされた。
「自転車は何処かに保管してください。高級品です。お願いします」と今度は看護師や医者へ哀願した。それくらい大切だった。

当時の最新のアイテム
  1986年頃から、このバイクにスッコトハンドルと、LOOKペダルを使って、トライアスロン、アイアンマンを走っている。ヘルメットもソフトシェルを被る。
これで180キロを5時間台で走っていた。アイアンマンはドラフティング禁止なので、単独タイムトライアルとなる。

アイアンマン スコットバー仕様 
LOOK ペダル

 このバイクの現役時代は全てチューブラータイヤで通している。ホイールも名器マビックのGP-4(当然手組)を使っていた。今はプロショップでもホイールを完璧に組める人は少ない。
現在はクリンチャー(工業製品)のホイールとなっている。

 クロモリフレーム、手組ホイールとチューブラーは全く違う乗り心地だ。クロモリチューブラーのロードバイクには愛がある。
バイクは本当に進歩しているのか?
ただの工業製品になった感はある。

 さて、今の整備だ。タイヤは手持ちの比較的柔らかいミシュランのタイヤを使う。どうせポタリングで峠なんか行かない。ペダルは普通のシューズでも乗れるSPD兼用とした。セッティングも緩くした。

 ただ昔のギア比なので、重いギアを踏む乗り方となる。フレームがしなるので、そのリズムに合わせて踏み込んでいく。だから乗る人間の癖が出る。固いカーボンフレームでケインデンスを上げて、モーターのように走る方法ではない。

2024年9月16日のペガサス
SPDのペダル

 久しぶりに乗ったが、加速が今一だ、おそらくフレームが40年分へったている。それと私も相当へたっている。クロモリなので折れはしないが、無理は出来ない。私もだ。


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