1986年ハワイ島の自転車旅行2 今はないカラパナ海岸に感動する
このとき使った自転車:丹下のクロモリフレーム、調布の神金商会で組んでもらったロードレーサー、ホイールはマビック、コンポはシマノ600。ペダルはLOOK。タイヤは当然チューブラとなる。
<キラウエア火山
朝からヒロは雨だった。流石「水の都」と言われるだけある。雨、想定はしていたけど、自転車で走るにはつらいなぁ。
レインウエアはモンベルのストームクルーザーを持ってきていたが、自転車向きではない。雨が首筋に入り込む。冷たい。
大型トラックの水しぶきで、めげそうになりつつヒロから続く緩い登りを走る。
キラウエア火山(ハワイ火山国立公園)へ到着。動いている溶岩を見られるけど、雨の中ガスっているし、また広すぎてよく分からない。
身体が冷えてきたので、自転車漕ぎに戻ることにする。移動しかない。
*フイルム写真の時代なので、手元に写真がない。(気になったらネットでの検索をお勧め)
<カラパナ海岸 黒砂海岸
100キロ近く自転車をノンストップで走らせた頃、ようやく緩やかな登りの頂点に到着したようだ。
車も人気もないので、トイレのため止まった。すると、それを合図にしたかのように日が射してきた。ついに太陽が顔を出した。見上げると雲が海の彼方へ流れていく。青空が広がってきた。私はレインウエアを脱いだ。陽射しの暖かさと風が気持ちいい。気づくと虹がでていた。
止まった道路の脇は2mほど溶岩で盛り上がっている。海岸線を見たいと思い、登ってみた。
「わぁーっ、なんという景色か!」
この感動を誰とも分かち合えないのは悲しい。
極端な話だが、私はこの一瞬のためにここまで来たとも言える。
生きていて、よかったも言える絶景が広がっていた。
長時間の雨中での運動、ドーパミンがいきなり大量に分泌されたのか、目の前の自然との一体感に私は包まれた。
幸福感は絶頂だった。
下りが続く道路の向こう、雨上がりの濃い緑、木々が光り輝いている。その椰子の木の森の向こうに、カラパナ海岸(黒砂海岸)が見える。黒い海岸と白い波とのコントラスト、濃いブルーの海と青い空が広がっている。さらに虹がかかる。ラッセンの絵が現実となっている。
カメラのフイルムが切れていたので、私はその景色を脳に刻みつけた。
カラパナと言う黒砂海岸。ハワイのロックバンドのカラパナはここから命名した。その心地いいハワイアンロックがバックミュージックとなって頭に鳴り響いていた。
しかし、現在カラパナ海岸は無くなっている。1992年のキラウエアの噴火、その溶岩流で消えてしまった。だから写真はあまりネットにない。これは絵はがきの写真。
<サウス・ポイント
ハワイ島の最南端 サウス・ポイント(カ・ラエ岬)へ向かう。
ここはハワイ島の最南端にしてアメリカ合衆国(50州)の最南端の地だ。
常に強風が吹いている荒涼とした場所だ。たまに生えている木は強風で斜めに傾いている。
舗装路は荒れており、時折動物よけの大きなグレーチングがあり、タイヤがはまる大きさなので、担いでまたぐ。
当時は風力発電装置が幾つか設置されていた。その1基の横に車が止まっていたので、行ってみると人がおり、日本人だった。三菱電機の技術者であった。
「自転車で1周か・・」年配の技術者は笑っていた。
断崖絶壁のサウス・ポイント。ここから先はもう何もない。太平洋が広がる。こんな場所へ一人きりで来たら。ますます寂しくなる。つい身投げしそうなので、その青い海から離れることにする。
身投げは嘘だけど、そろそろ止まる場所を探さないといけない時間だ。ここで野宿は出来ない。日本で友達から聞いていたのだが、ここの近くに日系人が経営しているモーテルがあるという、その話を頼りにサウス・ポイントから離れて、宿を探す。
自転車で迷うのは辛い、特に既に150キロ走っているので、些細なアップダウンでも堪える。
ようやくジャングルの中にある家を発見する。庭の中にコンテナルームみたいな建物がある。
「ここか」
ドアのチャイムを鳴らす。しばらくの間が空き、出てきたのは、若い日系の女性だった。
残念ながら、英語で喋ってきた。
部屋は空いている。1泊25ドル。友達から聞いた日本語の喋れる爺さんは、外出中だとか、宿泊するときノートに名前を記載するのだが、友達の名前を見つけて、指さしてみたが、知らないそうだ。そこで話は終了。
水みたいなシャワーを浴び、部屋に入り込んだ蚊を追っていたとき、外で車の止まる音がする。窓から覗くと、コンバーチブルの車が止まっていた。白人の男が2人とミクロネシア系の女が1人。男は上半身裸だ。女はタンクトップと短パン姿、会話がノリノリで声がうるさい。
それでも疲れていたので、蚊を退治した私は、ビールを飲んで寝入ってしまった。
深夜に目が覚めると、まだ声が聞こえていた。今は知らないが、この頃、ハワイ島はヒッピーがマリファナを山で育て、売っていた。
それかもなぁ、やはりここはアメリカだ。
<ファック ユー!
ハワイ島の南の先からコナに向かう道は、海岸道路に出るまで、ワインディングロードが続く。これは楽しい。車と同じ速度で走れる。しかし、どこでも嫌な野郎はいる。大型のトラックが、クラクションを鳴らし凄い勢いで後ろから迫ってきた。踏みつぶすつもりか、
「アブねぇ」私は路肩に逃げて、トラックをやり過ごした。
しかし、アスリートのスイッチが入ってしまい、そのトラックを追う。
するとトラックの窓から腕が出てきた。その手は中指を突き出していた。
「Fuck You!!!」
そんな無駄なアドレナリンを分泌させながら、200キロを走りコナへ到着。
本日は12月31日。予定したホテルが空いてない。それでも、なんとかちんけなホテルに空きを見つけた。
夕飯後、アイアンマンのスイムスタートの海岸を歩く。泳ぐには遅すぎるので、見るだけだ。何時かここへ戻ってくることは可能なのか、またマイナス思考が始まる。
それでも、時は経ち新年をハワイ島コナで迎えることになる。
<雨のエンディング
帰宅する日。晴天率の高い東側海岸が土砂降りだ。自転車にのり、自転車ケースを預けていた神社を探すが、また迷った。神社に着くと、濡れ鼠の私のため、神主さんが、風呂を使わせてくれた。それと紅茶とお菓子も戴いた。
「ありがとうございます」
ハワイ島からホノルルへは午後の飛行機だが、自転車ケースが積み込めないと言う、次の飛行機で運ぶという。それが本日の最終便。その後、天候のさらなる悪化で、便は遅延した。自転車を置いて日本へ向かいたくはない。ホノルル空港でやきもきしながら時間を潰す。
ハワイ島から飛行機が到着。自分の自転車ケースが運び出されてきた。係員から奪い取り、速攻で日航の受付カウンタへ向かう。
ようやく、小さなチャレンジが終わる。