鯛夢(タイム)トンネル 2001年 沖縄でシーカヤックを漕ぐ
記憶の先になにもない
記憶が消えていく、まるで澄んだ川のようになって流れている。何もかも忘れちまう。完全に真っ白になる前に手を打つ必要がある。その一つの手として、時々古いフィルム写真などを見る。
川底の記憶のヘドロをかき回すと、色々なゴミも含めて浮き上がってくる。
そのゴミみたいな話をボケ防止のため書いてみようと思う。
ついでにiMovieでビデオも作った。
遙かなる記憶の彼方をかき回す
時は2001年の7月1日辺りだったはず。沖縄旅行の計画を仲間3人と立てた。私はシーカヤックのツアーを段取りした。
しかし、私は仕事の都合上行けなくなった。それでも何とかした。
「諦めたらそこで終了」頑張ったかいがあった。
とは言え、仲間から1日遅れで沖縄へ出発した。
当然ホテルも取ってない、先行する3人の部屋に転がりこむつもりだ。
那覇空港に到着、到着ロビーに出ると、段ボールに私の名前を書いて掲げている体格のいい二人組がいた。先に着いて遊んでいた2人だった。
それは恥ずかしいだろう。ここはハワイかよ。
「お待ちしてましたぁ」日本語が英語なまりだ。
早速空港からレンタカーで真栄田岬へ向かう。今ではダイビングで有名な場所だが、この当時は車5台ほどしか止められないローカル感のある所だった。岬なので海に入るには急な崖を降りる。珊瑚もあり転びと危険な場所だった。今は階段がある。
空いていた。アメリカ兵のダイバーが何人かいた。
天気は梅雨明けの晴天、海は静かだった。夏本番。
「最高だ!」
素潜りすると大きなチョウチョウ魚が乱舞していた。
「デカイ」
餌のチーかまぼこを出すとガンガン食べに来る。怖いぞ、指までかじる。
海岸から10m程で深淵となる。底の見えない海、東シナ海の大陸棚がそこから続く。
この日、ラッシュガードもなし、海パン一つで潜っていたので、日焼けが酷かった。都会人の肌はやわい。
その日は3人が泊まっているリゾートホテルで寝る。どこで寝たか記憶くがないけど、翌朝身体痛かったのは確かだ。
シーカヤック
翌日の朝、シーカヤックへ、記憶違いかもしれないが、恩納村のローカルビーチから漕ぎだした。
シーカヤック・ツアーを頼んだのは今でも御世話になっているBIGBAY(ビックベイ)さんだ。
私はこの日のために持参した度付きサングラスを真栄田岬で、駐車中の車のダッシュボードに置き忘れて、太陽の熱で溶かしてしまった。高かったのに残念だった。だからノーフレームの事務用眼鏡姿だ。
サラリーマン沈没隊
昼飯くらいまでリーフ内で遊んでいたが、午後から外洋に出て、万座毛へ向かう。
潮加減がちょうど良かったので、万座毛の洞窟に突入する。
中は真っ暗だった。海も冷たい。
戦中のこの場所の出来事を思い出すと少し怖い。
後はビデオ鑑賞してください。
BGMで弾いているギターはステラ・ハーモニー。1969年生産のアメリカのギターだ。写真も黄ばんでいる。当時、デジカメはあったけどフイルムカメラも現役だった。
チームTシャツを作るほど、沖縄シーカヤック仲間は増えている。