2024年を振り返る 4月から6月
今年は、1月から地震と飛行機事故があり、大変な年になると覚悟していたが、その通りで、まともで有るべきモノ、人が信じられないような醜態をさらしだした。まるで化けの皮が剥がれるようだった。一方、私自身も振り返ると思いの外色々あった。
4月の出来事
12日
川越のすぺいん亭で食事会を催す。私が幹事だ。
最近、世相の流れなのか、このような寄り合いが少なくなっている。
コロナ禍から 人が集まる=蜜=悪 そんな図式が出来上がった。
また、人との繋がりを増やす手段だったSNSも今やある意味で頓挫している。
例えばフェイスブックはアメリカの大学生の当初、出会い系のSNSだったと思う。最初の頃はどんどん人と繋がり、私も大学時代の友達と再び会うようになった。結構楽しかった。今や個人情報の制限もかかり、ほとんどが広告、案件、御用記事が8割となる。そして何故だか友達の記事は直ぐに消え去る。
「なんだこれ?」
今は FB=ほぼ広告 そんな図式となった。
何でもそうだけど、1巡目で成功しても、2巡目でマス化すると、さらなるお金儲けを画策して、大体において修羅場となる。そうなると初期のメンバーは去っていく。そして本来の目的と意味を持たなくなる。
市場主義の世界では、1巡目が積み上げた信頼などのリソースを食いつぶす。仕事で何度もみた世界で、その繰り返しだ。
昔、仕事でパソコンやネットワーク整備をした中学校、その5年後に学校図書館の司書さんに質問した。
「生徒達は変わりましたか?」
「うーん、強いて言えば、山猿が動物園の猿になった程度かな」と意味深な回答をもらった。
話は戻り、この会の参加者は、仕事で世話になった世田谷の学校法人の元事務長のAさん、富山での学校建設において世話になったBさん。私が心血を注ぎ込んだ会社の社長Tさん、後は昔Tさんの子分だった大手総合電気メーカーのCさん、Dさん。
以上6人だ。C、Dはプライベートでも付き合いがある。
皆さん、20年以上の付き合いだ。
「大人の孤独問題」と言われるが、それは私にはない。何でもSNSで済ましていると、そうなるのはわかりきっている。安易に手に入るものは、あっという間に消えていく。
仲間と思っていてもSNSでの繋がりは薄い。私は、1989年頃からWebページを自分で運営し、色々な人と繋がりを持った、オフ会もやったりしたが、結局一時的な付き合いだった。
一方、学生時代からだらだらつき合っている友達、仕事で苦労しあった仲間、後輩、趣味のトライアスロンで切磋琢磨した仲間達とは今でも交友がある。
そう考えると、集まれる仲間(損得無し)=金では買えない
世の中にはお金で買えないものがある。つまり市場経済から逸脱している。これは人にとって救いだと思う。
会場となったここすぺいん亭は、足かけ25年利用している。内部の内装は永遠に改装され続けている異空間だ。ここのパエリアは好みにもよるが美味い。ちなみに店内を歩き回るような子連れは断られる。暗いので怪我をする。それと現金オンリー。ワインは地下にワインセイラーがあり、リーズナブルな値段だ。
私は年に2,3度東京から食べに行く、都心にもパエリアの美味い店はあるが、ここでの食事は格別だ。本場スペインにおいて、パエリアで賞を取っている店主、今は爺さんになっている。入り口で掃除している爺さん。よく見たら店主で、驚いたことがある。月日が経っているのを実感した。
14日
五反田のライブハウスでライブがあった。 今回はギターとDTM担当のTさんが参加出来ないので、私のギターが中心となっている。プレッシャーだったが、なんとか13曲を終えた。
終わって、ギターを片づけていると、知らない男が近づいてきた。
「あのぁ、ギター良かったです、感動しました」
「えぇ?ありがとうございます」
私に忖度する立場の人は仕事を辞めているので、あり得ない。
今回は、裏方に近いアコースティックギターも全面に出ていたので、目立ったのだろ。
バンドはボーカルのカラオケだと思っている私にとっては嬉しい話だ。
5月の出来事
5日
Kさんと夏の本格登山の足慣らしに、相模湖から小仏峠を越えて景信山を歩く。連休だけど穴場なので空いていた。
今回は久しぶりにカップヌードルを山で食べる。塩分が体に染みる。
10日-11日
山梨の北杜市、尾白川沿いのオートキャンプ場で妻とキャンプ、11日は、Kさんと待ち合わせして、日向山を登る
詳細はここに、少しキツい行程だったので、後日妻に怒られた。
ちなみに尾白川、この近所につい最近まで、Kさんの父の別荘があった。そこで不思議な出来事があったそうだ。
19日
私の会社で受注した情報ネットワークの工事を主に請け負って貰っていた会社の社長Yさんと会う。彼とも仕事も含めて付き合いは長い。30年は越える。今では仕事の関係はなく、お互いの近況報告となっている。
Yさんは私より2つ年上だ。自分の会社は、私の会社を解散する数年前に畳んでいる。
若い人は知らないと思うが、会社を解散するにも、まとまったお金が必要だ。Yさんは家を売って清算したと当時聞いていた。
しかし、その頃、息子さんを病気で無くし、色々なことも重なってその決断をしたようだった。息子さんの話は、最近会うようになってから聞いた。
Yさんとは1990年代に大島へ大型ボートでクルーズしたことがあった。当時は別の会社の取締役だった。
25日
またKさんと御岳山周りを歩き、そこから日の出山まで歩いた。距離も含めて結構疲れる低山登山だった。汗を流した五日市のつるつる温泉は混み過ぎていた。
6月の出来事
27日から29日
岐阜の馬籠宿で、外国人のハイキングが多いというサムライロード(旧中山道)を調査。そして、中津川のホテルで大学時代の友達と会う。わざわざ岐阜に住んでいるけど都市部なので2時間近くかけて来てくれた。さらにホテルに泊まって、夜一緒に食事をしてくれた。ありがたいことだった。
彼は学生時代、富士山の山小屋でアルバイトをしたり、卒研途中で、ヨーロッパへバックパッキングに行き、紛争で帰ってこれなくなった。
帰国後、アタフタと研究室へ駆けつけると、既に卒論は提出済みだったという。残った友達が書いて提出していたそうだ。
「だから、俺、卒論を全く書いてないのに卒業した」
色々と面白いエピソードもある男だった。
28日は多治見で陶磁器を観る。岐阜県多治見にある岐阜現代陶芸美術館で、リサ・ラーソン展を見る。有名なライオンとハリネズミをイメージし久しぶりに描く。感情を注入。
28日夜は長野の蓼科で宿泊する。なかなか忙しい日々が続く。