見出し画像

俺のThe long game 60才過ぎて、やってはいけないこと

やってはいけないこと
 賭け事、暴飲暴食、スケボーなどの危険行為、老いらくの恋。
・・・そんな話ではない。(冗談から始めている)

 年齢的にあまり偉そうなことは言えないけど。まず60才の時には仕事が沢山あった。
ただIoTや学校のITシステムが、クラウドとブラックボックス化され、オンプロミスでの独自設計のシステムにおいて、需要が急激に無くなった。
既に仕事も更新とメンテが中心となっていた。

 そしてユーザーが若い世代に変わると、義理人情もないコストパフォーマンスという一手で切られていった。
しかし、今更大規模なクラウド、プラットフォームに金払って使わせもらう気も無い。
また、彼奴らと話をすると、あの鼻につく独特のしゃべり方に気分が悪くなった事もある。よく平気でいられるのか、外資系に金を払っているだけだ。
ライセンス商売の危険性を言っても、分からんだろう。
オンプロミスを捨てた時点で日本のITは終わっている。

こうなったら「老害になる前に老兵は消えるのみだ
そろそろ解散時期だと社長と相談して、秘密裏に収束活動に入っていた。

 ようやく目処が立ち、2021年の8月末に会社の解散を決める。
そんな矢先、保険の関係で2021年夏、64才9ヶ月で会社を辞めた。
しかし平和な日は訪れない、まずはパンデミックが続いてる、
そして、65才の誕生日前に趣味のマウンテンバイクの練習中に急性心筋梗塞で倒れしまった。

 会社解散時にはコロナ禍で隔離入院していた。病院は大変な騒ぎだった。あの頃の病院で2回手術してもらった。ありがたい事だ。
そして、虚無感漂う無観客の東京オリンピックを病院で観ていた。
そんな盛りだくさんの2021年は、今後の生き方を色々と考えるきっかけとなった。

 色々考えていても、事情はあっても、リハビリはやり続ける。継続することは止めない。そこに大きな差が生まれる。
2024年、再発の危険性も去り、普通に水泳や登山が出来るまで復活し、体力は同年代の2倍程度までなった。そんなことで気分は少し安定したが、歳はとる、今年の夏に68才となる。

 そんな俺が感じている。60才過ぎて、やってはいけないこと
これは50代でも言えることだけど、少しまとめてみた。

家に籠もること
 YouTubeを観ていると、バイクに乗っている爺さんとか、キャンピングカーで日本中を走っている爺さん、色々と発信している。
あまり婆さんがいない。どうしてだろう。婆さん達は既に地域社会に溶け込んでいるので、そんな活動が不要だと推測する。

 さて、この人達が幸せなのか、友達がいるのか知らないが、外へ出ることは有効だ。

 パンデミック時、バンドのリモートセッションした知り合いのトライアスリート。彼に聞いたのだが、80過ぎでアシストバイクを使いUber eatsのバイトを午後一杯やって、月収8万稼いでいる爺さんがいると言う。
「凄いね」
これは暇だからやっているそうだ。この人は連続マラソン出場のギネス記録保持者と聞いている。ジッとしていられないそうだ。 

 とにかく動かないと、人との出会いがない、家でテレワークしかやってないと何も起業出来ないのと同じで、脳への刺激がない。
人間は人と会って話をするのが、動物として一番脳に刺激がある。
だから、60才過ぎてやってはいけないことは、家に籠もることだ。

パートナーに依存すること(既婚者)
 遊びに行くのに妻をあてにしては駄目だ。一緒も楽しいし、趣味が合う事もある。だけど年から年中一緒だと、お互い嫌気がさす。たまには別行動がいい。
中高年の喧嘩は本当にツラいから止めた方がいい。どちらも今更変われないので、どちらかが折れるしかない。男が折れる方が楽だと思う。

安易な仕事に逃げる
 60過ぎて働く理由として、お金の不安というけど、それより自分の存在が不安の人が多い。若い子風に言えば承認要求かもしれない。
仕事以外に何も無い人は要注意だ。

 ちなみに60才からトライアスロン初めて、世界チャンピオンなった爺さんもいる。何かを始めるのに遅すぎることはない。出来るだけ他人を捲き込むものがいい。

レジェンドは爺さんから始めている
 千葉県の稲田弘さん 現在 90 歳でハワイアイアンマンレースに出るためクラウドファンディングをしている。
この方はアイアンマン界では世界的に有名な方だ。
 
 2016年と2018年に出場したアイアンマン世界選手権大会の年代別で優勝した記録が、ギネス世界記録に認定されている。平成30年度には市民栄誉賞を受賞されている。
60才からスイム、トライアスロンを始めてここまで駆け上がった。

友達関係を切る
ネットの記事で、「おっ」と言う文言があった。内容は上と同じだ

「同窓会は意味がない」という、これは中高年にある欠けた視点だ。
認知症専門医が助言する。「60代こそ出たほうがいい」

 俺は医師でもない普通の爺さんだけどおなじアドバイスをしたい。
「おひとり様」を薦める本が巷には多くある。面倒くさいから1人がいい、孤独がいい。俺から言わせば、そんな本を出している時点で1人ではない。色んな人間と関わりを持っている。矛盾している。

年賀状を止める
 60才過ぎたくらいから、年賀状を止めたいと言う年賀状が来る。
俺への絶縁状かと思う。友達へ年に一度ハガキを書くのも面倒なのか、と考えてしまう。
「まぁ、いいや」とその後はいなかったことにする。
ちなみに何らかの病気、事故で無理になったとは別な話だ。

 実際問題として、これは、「俺の葬式に来なくて言い」という宣言だろうと取っている。得意の終活か?

 余程のことが無い限り、訃報の連絡は年賀状を見て連絡をするし、亡くなったことを家族が連絡をする。LINEの関係なんかではその関係度はわからないし、危険性もある。
顔を知っていればSNSでも可能だが、それでもリスキーだ。変な遺産目当ての裏会社へ繋がっているかもしれない。

自己啓発、成功本は読まない
「The long game」こんな言葉を最近聞くが、元になった本は読んでない。
50才位から、自己啓発、人生の指南書、運命を変える、その関係の本とは無関係でいる。色々経験していくと、人の成功話は、他人の話か、または終わった話。

 それが自分に当てはまることもあるし、全く的外れの場合もある。
つまり社会経験を積んで、実用主義、経験主義となっていたのだろう。
普通に仕事して社会生活していたら、それが当たり前だ。おそらく、こんな本を読むシニアはいないだろう。野望みなぎる若い人がターゲットだろう。

 それでも老後はまだ不安があるので、その種の本は沢山ある。資産、年金で不安を煽る本。投資などで、未だに儲ける気まんまんの欲ボケ本も多い。
お金の問題は人を一番不安にする。
でもね、普通に生きていれば、たいした不安もない。というより、なるようにするしかない。

終活はしない 
 終活は自己満足だと思う。
自分が死んでも、まだ世界をコントロール出来ると思っている。
骨は海に散骨してくれと言っても、家族が墓に入れることもある。それは残った者の自由だろう。
死後は自分にまったく関係ない話なので、やるなら、生きている内に家族に尽くせばいい。

孤独にならない
 孤独がいいはと言えない、孤高の人と思っていた敬愛する野田知佑さんも、実は結婚していた。最後は妻に看取られていた。
死んでも、人は人の記憶には残っていたい。

普通の生活を捨てな
 長寿な時代、老後、夫婦でいる時間が昔より長い、それで問題を引き起こす。
女性も男性も、ホルモンのバランスが若い頃と違うので、性格が変わる。
そのあたりを考えてないと、熟年離婚などもある。
後、セカンドライフもいいけど、普通の生活を無理に変えてはいけない、老後も生活は変わらないはずだ。

最後に普通とは
 普通の生き方は見えないところに沢山ある。
ネット情報で見えない。それが不思議な所だ。
ネットのブログ、YouTube、インスタグラムも普通ではない。

 例えば江戸時代の普通の生活は誰も敢えて残していない。
その辺りを知るのが歴史では一番難しい。
文字のない縄文時代 14000年続いた安定世界、安定世界だから普通の生活がよく分からない。

 また、戦後たかだか80年でも、昭和の普通の生活は記憶から消えていく。
ここが、シフティング・ベースライン・シンドロームの恐ろしい所で、過去に学べない。そして、間違えを繰り返す。
常に今の生活が歴史的にみてどの位置にあるのかたまに考えてみたい。

たまには、妻と登山


いいなと思ったら応援しよう!