雀のメモ帳 師走 お坊さんも走る季節
12月(師走)
お坊さんも走る季節。私は毎年、年賀状を出すが、今年から値段が85円となった。これでは予備のハガキも買えない、安易に印刷ミスなど出来なくなった。では手書きで丁寧に絵でも描こう。しかし、お年玉ハガキの抽選会が終わればゴミになる。そう思うと「やる気がしない」
それでも年賀状は50枚程度出す。人との繋がりは大切だ。年賀状がないと疎遠の友達の生存確認も出来ない。手紙を書けないような病気でもなく、元気にスマホでYouTubeやLINEを見ている時間は十分あるのに「年賀状終い」をする。そんなに煩わしい事なのだろうか、皆、孤独が好きなのだろうかと思ったりする。
人は2度死ぬ
人は、まず生物的に死ぬ。次に人々の記憶から消える。そして世界から存在していたことも消える。
ある日、親の死後、遺品を整理していた時、昔の年賀状がでてきた。
ここでどのような行動をするかは、人の問題だけど、良く出来た子供は、その人達へ、親の死と生前のお礼を込めて年賀状を出す。
その年賀状を見た友人、知人達はその人を一瞬でも思いだす。
昔、その人が好きだったこと思いだして、そのエピソードを手紙で送ってくれるかも知れない。借りっぱなしのレコードを戻してくれるかもしれない。
LINEなどのSNSでのやり取りでは、こんな奇蹟は起こらないだろう。デジタルの記憶は物理的なメモリーの中に永遠に残っているが、偶然、それを目にすることはない。
誰も貴方を思いださない。そんな世界が待っている気がする。
「記憶は死に対する唯一の勝利」だけど、それも消える。
記憶は死に対する部分的勝利である|(花鳥風月)ikesan
仕事だが仕事ではない。
忘年会の季節だ。2001年に早期退社し、起業した会社で働き続けていたので、今がどんな状況かは知らない。昔は大きな会社組織では忘年会があった。そして忘年会の幹事は面倒くさい仕事だった。
でも、これは本来の仕事ではない、実務と直接関係しない仕事だ。つまり任される人間にとっては煩わしい仕事になる。しかし、世の中は煩わしい仕事で満ちている。
「なんで、こんなくだらない事をやらなきゃいけないんだ」と嘆く人達も多い。
仕事もそうだけど、普段の生活も面倒な仕事ばかりだ。子育てや家事は大変だけど誰も褒めてもくれない煩わしい仕事だ。
「そんなの面倒だからアウトソーシングだ!」となる。
なんでもお金を使ってアウトソーシング。そして金になる仕事だけをする。これが本当に幸せの方程式なのだろうかと思う。
これって、人生における紆余屈折、喜怒哀楽、奇蹟に満ちた仕事(経験)をスルーしている気がする。人生の糧になる仕事は、若くて体力のある時期に無我夢中でこなしている時に血肉となる。その機会をドブに捨てている。
***イーツ、動けない年寄りにはいいサービスだ。
この***イーツのテレビCMで、会社から帰宅後、妻が急いで夕飯を作ろうとする。しかし、そのとたん炊飯器が壊れる。そして家中が大騒ぎとなる。
「ご飯が炊けない!」
「何とかイーツでいいんじゃない」と宣伝する。
全面否定はしない。本当にギリギリの時もある。でも、こうしたらどうなる。
「普通の鍋、または土鍋で炊けばいいんじゃない」
思いの外、ご飯が美味しく炊けたりする。また旦那や家族を捲き込みおかずも作る。皆で頭を使ってなんとかする。新しい喜びがあるかもしれない。困難を克服した時のドーパミンも出まくるだろう。
養老孟司さんが本に書いてあった。世の中の煩わしい仕事は、若くて体力のある頃にしかできない、子育てなんか、老人がやれるものじゃない。
それは社会で生きるためのトレーニング。つまりスポーツの練習、筋トレと同じで、若い頃から、その煩わしい仕事をやることで、生きる力がつく、そして大人になっていくそうだ。
昭和の忘年会
1980年代、忘年会の幹事が回ってくる。私は年末に向かって仕事が忙しく、上司に文句を言う。
「勘弁してくださいよ」
「新人のだれか使っていいから、なんとかして」という上司
私は周りを見まして、新卒のS君を呼ぶ。彼は大学の運動部出身だ。
「S、忘年会の幹事だけど手伝ってくれる」
「ハイ、わかりました」返事はいい。
「あの提案ですが」S君が言う。
「なに?」
「Nさんにも手伝ってもらいましょう」
S君は私と今微妙な関係のNさん、庶務さんを仲間に入れる提案をした。
「別にかまわないよ」
「ハイ、わかりました」ニコッと笑うS君、何故かイラッとする。
S君はフットワークもいい。
「窓際のオッサン達の都合のいい日程を聞いて」とS君に言うと直ぐに行動する。
仕事を頼む場合
「明日でいいですか?」と自分の都合で動こうとする人間がいる。この手の人間は緊急時に全く役立たない。考えてみればわかるが、たかだか2,3人に都合を聞くだけにどれだけ時間を要する。それを先送りする人間はなんでも先送りにする。
「お前、あれやった」
「まだです、昨日トラブルが入って・・・・」となる。
日程調整
まずは偉いオッサン達の日程を調整する。その後は課長あたりに聞く、偉い順に日程を調整するのが基本だ。日程をきめたら、次に忘年会の日程だけを記載した内容で、参加不参を確認する回覧板を回してもらう。これはSさんへ頼む。
この回覧で、先輩達が、あそこの店へ行きたいなど勝ってなことを言ってくるが、これも情報収集に役立つ。私もプライベートの飲み会で、そこがいい店だったら、店のマッチや名刺をもらって帰る。
店が決まると、料理など予算をも店に交渉して決める。上からの寄付も考慮して宴会費を決めて、再度回覧版を回す。
ここまで読んで、今時の出来る社員は言う。
「時間の無駄だ」しかしネットも無い時代だ。また仲間内の忘年会ではない、社内イベントの位置づけだ。それを食べ物サイトで、知らない店を口コミを信じて決めて、LINEで回覧する。それは今でもリスクが高すぎる。
その後、人数の変更、ドタキャン、オッサンらの要望、女子の要望もあり少し料理も変える。当日、座る位置もその場で処理する。女子の位置は難しい問題なのでNさんに頼む。後輩達に役目を指示する。この時、同期には頼まないほうがいい、仲よくないと、なんで俺に指図すると嫌な顔をする野郎がいる。
窓際族
「窓際で新聞読んでいるオッサン達は、仕事しているの?」「俺は仕事が山積みだぞ」「あのオッサンらは高い給料もらっているくせに働かない」
そんなこと言う若手もいる。しかしS君とNさんはそんなことは思っていても言わず、雑務をテキパキとこなしてくれた。
この手のステレオタイプの事を言う若手は仕事を上面の情報でしか知らない。それだけで分かった気になっている。
実際の所、あのオッサン達は居ることが仕事だ。彼らは色々な伝手で仕事を持ってくる。今までの経験から各方面に信頼を得ているオッサンの場合が多い。上の繋がりは大事だ。
「***さんなら今回のプロジェクトを頼める」ってな事がある。
忘年会幹事の仕事は無駄では無い
実はこの経験は無駄ではないのだ。実際にやってみれば分かるが、根回しと工程調整能力、予算管理などの練習になる。また自分という人間を売り込める。認知してもらえる。これは大きいことだ。
お偉いさんが「彼奴、使えそうだ」となる。
「彼奴は上手く立ち回って、上にご機嫌取っている」
これまたステレオタイプの嫌みを言う人間がいるが、大体においてそいつが仕事が出来ることはない。常にだれかの文句を言う文句垂れの場合が多い。
この時、私が雑務を頼んだS君、その後、面倒ごとを何でも引き受けてくれた。この出来る男Sとは、オフでスキーやカヤック、キャンプなどで一緒に遊んだ。私は起業のため早期退社したが、S君は会社に残り、かなり早くに部長になっていた。ちなみに、この出来る庶務のNさんと私は後に結婚した。
医者の未婚率
12月に入ってすぐにクリスマスライブがあった。このバンドメンバー、私以外はお医者さんと大学教授だ。ライブは銀座のおねぇさん達も来ており、盛況の末終わった。
師走なので忘年会代わりの打ち上げがあった。バンドメンバーとインターや看護師さんも出席してくれた。全員女性で皆さん既婚者だ。
その日、たまたま娘2が結婚して、「今日から新婚旅行へ行っています」と話をすると、こんな話題が出た。
「知ってます?」
「男性医師の未婚率って3%なんだって」
「そうだよね、医者は結婚相手として人気あるものね」
「子供も多いよね」
「そうそう」
「性欲が強いとか」皆で大笑い・・・。
実際、結婚していない男性医師は少ない。また子供も多い。やはり少子化対策は給料のいい安定した仕事を持つことなのだろうかと思ってしまう。
2020年、生涯未婚率は男性が約28%、女性が約18%と過去最高だ。
しかしだ。女性医師、女医さんの生涯未婚率は36%。これは一般女性の未婚率と比較すると異常に高い値だ。しかも離婚率も高い。医者の世界では女性が大変苦労しているのが分かるデーターだ。
ちなみに男の医者の結婚相手は看護師が多い、次に女医さんだ。なんだか忙しそうな夫婦だと想像する。
結婚35周年
12月2日で結婚35周年となる。長い歴史だ。特にお祝いをすることもないけど、鳥肉料理を食べワインを飲む。
世の中、また言うけど煩わし事で時間を潰されていく。
50歳くらいからは、親の介護と子供達の大学進学など、お金の問題も含めて時間が全く足りない。満足に眠れない日々も続いた。
そして、ようやく子供達も家を出て自立し、コロナ禍から続く私の病気も落ち着き、妻と2人きりでの静かな生活となった・・ことは無く、頻繁に遊んでいる。私は立ち止まったら人生終わりだと思っている。行き倒れでいい。そんな人生を歩んでいる。
平成の教育費、これだけかかりました|(花鳥風月)ikesan
しかし、今思えば、あの煩わしさと苦労は一体なんのためだったのか、今の自分を手に入れるために努力したとも言える。
「若い頃の苦労は買ってでもしろ」
先人の言葉は、若い頃は苦労して、その経験から学べ、それが生きる力となると言っている。楽して逃げる若造を叱咤している。
子供達は大学受験においては、塾などほとんど行ってない。先人の教えに従って苦労させている。でも彼らは苦労とは思ってはなかった。それが普通だと思っていたようだ。
お金を払って、他力本願で勉強をして多少いい大学へ行く。その代わりに自分が頑張って勉強をやれば、そんなことに無駄金を使う必要はない、これが子供達の自立を促したと思う。
子供達の自立への道 終わらない子育て|(花鳥風月)ikesan
自転車整備
娘2、沖縄へ新婚旅行中だ。その間に彼女の通勤自転車を整備する。
この手のスポーツ自転車は整備しないと直ぐに不調となる。そして不具合のあるまま乗り続け自転車を壊す。それくらいならいいが事故になる危険もある。
ついでに話すが、人間は文句を言う割には、意外と状況に慣れる。これが人間の凄いところで、また欠点でもある。つまり良い状態も悪い状態にも慣れる。これが、社会の劣化、会社では組織の劣化となる。学校では馬鹿が数人いて暴れれば、それに引きずられて生徒が劣化する。だから、そこにくさびを打つ管理者がいるのだが、その管理者も何故か劣化している。
そんな話を書いた。
個人的な教育の話12「シフティング ベースライン・シンドローム」|(花鳥風月)ikesan
今までは自宅で子供達の自転車のチェックと整備をしていたが、皆独立して、自宅にいないと子供達自身でやることになる。
息子は会社の費用で自転車安全整備士の免許を取って、少しは整備可能な状態になった。
しかし、BBやクランクの交換やフリー交換、ディレイラー交換などロードバイクの特殊な整備は私がまだやっている。
隣の家の旦那さんが、「自転車の整備ですか、凄いですね、自転車屋さん以上ですね」と営業畑の旦那さんに褒められる。この旦那さんの趣味は釣りから今は登山になっている。
一方、娘2は相変わらず、チューブの仏バルブ、英バルブの区別もつかないで、タイヤに空気も入れられない。流石に、「お前なぁ、空気くらい自分で入れろよ」と言い空気入れを買い与えて、仏バルブの空気の入れかたを教えたが、どうだか・・。
今回の整備は軽さより頑丈さを意識してセットした。普段使いはそれがベストだ。それに合わせてタイヤとチューブ、ハンドルエンド、ペダル、ワイヤー、サドルなどを交換した。ストック品もつかったが、1万円くらい部品代にかかった。ここでも全てが値上がっている。
マディフォックス 1993年のバイクの再生|(花鳥風月)ikesan
シメは達郎さん。昨今の世界では、一体になにが起こっているのだろう。そんな歌だ。