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俺の中学生日記4 No Matter What

 家族には、このシリーズはつまらないと言われている。やはり当時オンタイムで楽曲を聴いていない世代にまで理解出来るような文章力が俺にはない。でも最後まで続けよう。
 
嵐の恋(No Matter What)Badfinger
 1964年に開通した新幹線のおかげで、東京の中学校の修学旅行の行き先の定番は京都、奈良となっていた。新幹線で京都まで行って、後は観光バスに乗るというスケジュールだった。
 
 当然、私服は禁止。学ラン学帽着用。坊主でないだけましである。頭髪に関して長髪は命がけだ。違反者は即刻坊主頭にされた。アメリカのヒッピー、ロックアーチスト風の長髪なんか実現不可能。そんな中学校時代だった。

 それでも俺はピーターフォンダ、イージーライダーになりたくて。床屋に2ヶ月いかず、ぼさぼさに伸ばした髪で、大原のスーパーカブをピーターフォンダを気取って、原っぱで乗り回していた。
「ワイルドに行くぜ!」

 生活指導の体育教師の脅しにも屈せず、ロン毛で修学旅行の日を向かえた。
修学旅行の初日。新幹線を降りた後、延々とバスに乗り、着いたところは比叡山の中腹に建つ凄い威圧感のある寺だった。寺の中かがり火が揺らめく。数人の坊主が一心にお経を唱えている。

 そこで俺達はいきなり座禅を組まされた。煩悩と劣等感の塊のような中学生には、かなりの苦痛だ。ちょっとでも動くと、へんな棒で叩かれる。足は痺れて感覚がなくなった。
 
 横の野田も1度棒で叩かれ、涙がほほを伝っている。
それは体験修行だったらしく、1時間程度で俺たちは解放された。旅行中に羽目を外さないようにいきなり釘を刺す。素晴らしい先制攻撃だった。

 隣で足が痺れて倒れかかった野田が斉藤を掴んだ。捕まれた斉藤は「なにすんだ。この野郎」と言い。野田に蹴りをいれようとしたが、自分も足が痺れていて、野田を掴んで一緒に倒れ込んだ。ムカついた斉藤は倒れたまま、野田にヘッドロックをカマした。
「いてぇー」 野田が叫ぶ。それに気づいた担任が、2人に走りより拳骨を食らわしている。
「お前ら、何遊んでいる!!」
 ほとんど釘がささってない。先がおもいやられる。
 
 清水寺で滴る水を飲んだ後に、自由時間が与えられた。お土産タイムだ。先生達は悪戯の摘発のため要注意箇所へ散っていた。俺は野田と斉藤と一緒の班だ。大原も同じ班だったが、修学旅行の三日前にカブで電柱にぶつかり、足を骨折して入院。欠席している。カブもおシャカになった。

 小学校6年の高尾山の遠足と同じように、ペナントを買う。後、親へのお土産として、八つ橋を買う。こんな程度で当時の中学生のお土産は終わる。
  
 旅館に着くと、取りあえず風呂に10分くらいで入ると、夕食になる。夕食後はジャージ姿でうろうろする。他校の男子と廊下やロビーで遭遇すると、眼のつけ合いとなり、手の早い奴らがいざこざを起こす。
その都度、他校のガラの悪い先生とうちの学校のガラの悪い先生との戦いとなる。
「お宅の生徒がさきに手を出したのでしょう」
「いや、あなたの所の生徒が絡んできたのでしょう」
何時も俺達をしめている体育教師が存在感を示す。

 そうやって夜は更けていくが、午後10時を過ぎた頃大部屋で、枕投げが始まった。嬌声があちらこちらで飛び交う。しかし、それも午後0時を回る頃には、猿みたいな中学生も眠くなり静かになる。教員はこれからが宴会だ。
 
 そんな中、俺は持ち込んだラジオをイヤホンで聴いていた。関西でも深夜放送はあり、東京都は趣味の違う音楽とおしゃべりが聴けた。
 DJがリスナーからのはがきを読んでいた。
 
・・今晩は、私は今日、京都に修学旅行に来ているはずです。もし、この葉書が読まれても、私の学校は女子校で校則が厳しいので、旅行にラジオ持ち込むことは出来ません。つまり聴けないのです。それでも、この日に京都に修学旅行に来て、ラジオ聴いている中学3年生がいたら、その人に聴いてもらいたいです。リクエストは「嵐の恋」バッドフィンガーをお願いします。・・ 
 
 俺の事を言っている。何かすげー、何処の女子校だろうか?近所かな、きっと可愛い子だろうなぁ。妄想が膨らむ俺。ラジオのイヤホンから心地いいギターサウンドと歌が聞こえてきた。
 翌日、俺は京都駅の近くのレコード店で、自分のお土産に「嵐の恋」を買った。


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