平成の教育と教育費 (ライフプランの第1章が終わった)
人生想定外のことが起こる
2021年7月23日、東京オリンピック開会式の日だった。
私は朝からマウンテンバイクの練習をしていた。暢気に動画まで撮っていた。その帰宅途中だった。
私は道路の真ん中で、虚血性心疾患(急性心筋梗塞)となり倒れていた。
全く想定していなかった。ライフプランのラストに地雷を踏んだ。そんな出来事だった。
その時、私は64才、誕生日まであと2週間、危うく年金を貰う事なく人生が終わるところだった。
**
その地雷を踏んだ場所は、自宅まで2キロくらいの場所だった。自動車のエンジンも唸るような急坂だ。私はマウンテンバイクでその坂を登っていた。何時ものようにゆっくりとペダルを踏み込んでいた。調子が悪いのかバイクが進まない。顔を上げると、坂の上にベビーカーを押している女性がいた。そのとたん周りの景色が回り出した。
ふらつきながら坂はなんとか登り切った。私は坂に続く道を10m程進んで動けなくなった。視界がどんどん狭まっていく。意識はあったので、なんとか家に帰ろうと動いた。少しさきの辻までなんとか動いたが、そこまでだった。私はマウンテンバイクを抱えるように倒れこんだ。
辻(クロスロード)まで行ったのが正解だった。辻は人の出会う場所だ。人の気配がした。
「大丈夫ですか」という女性の声。
「私、看護師です。救急車を呼んでください。脱水症状みたいです」
「今連絡します」若い男性の声。
抱きかかえられた感覚がした。
しばらくすると救急車のサイレンが聞こえてきた。
救急車に運び込まれる。さらに人の気配が増えていた。
「これは心臓だ」救急隊員の声。
救急車で移動する振動を感じた。
病院到着後、ストレッチャーで移動され、自転車のウエアを脱がされた。
「これ取れません」胸に付けている心拍計の発信機が取れないようだ。私は自分で外した。この心拍モニターはスポーツトレーニング用のものだ。
注射を何本か打たれて、体のあちこちをいじられるが、痛いみは感じない。そして意識は消えかかっていた。
「重症だなぁ」医者の声。
走り回る人の気配、なにかの警報音が幾つも鳴り響いている。
体は拘束されて、喉に人工呼吸器を突っ込まれている。
朦朧とした意識の中で不確かな情報を断片的に感じているだけだった。
その後、ICU(集中治療室)にて、私は生死の境を彷徨った。
状態はかなり厳しかった。家族にもそのような説明があったようだ。
それでも、私はここで一生が終わるとは思ってなかった。
おそらくこんな人間が後に幽霊となるのだろう。
そして私は幽霊になることもなく、生き残った。
3日後、回復室に移された。その時、回診にきた医師に言われた。
「助かったのは奇蹟だよ」
会社の解散
倒れる2ヶ月前、2021年5月末に、21年間勤めた会社を辞めた。
大手電気メーカーを早期退職後、1年間近く無報酬で起業した会社だ。
起業後はリスクだらけだった。リーマンショック、ITバブルの崩壊、3.11の震災と、それでも21年間耐え抜いた。
そしてGAFA時代が来た。オンプロミスのシステム構築・運用保守の仕事が激減する。今更時代の流れに抗ってもしょうがない。
会社はその役割を終えて、2021年8月末に解散した。
パンデミック
私が倒れた2021年7月23日、世界中が予測不能なパンデミックに突入していた。病院も厳戒態勢だった。
入院、手術には最悪のタイミングだった。医師、看護師、病院に感謝しかない。それと倒れた私を救助してくれた名も知らない人達。
「ありがとうございます」
2021年12月末、ライフプラン(第1章)が終了
私は無事に生き返って、リハビリに励んだ。昔から私は怪我が多いので、リハビリには慣れていた。2021年12月25日時点、心臓も心肺機能も想像以上に回復していた。奇蹟的な回復だった。
既に倒れる前の練習量の80%が出来るようになっていた。
理学療法士さんもこれには驚いていた。
そして2021年12月末、この時点で子育てをメインとしたライフプランは終了していた。ついでに私の人生も終了するところでもあった。
3人の子供達は既に大学を卒業し社会人となっている。誰も奨学金という学費ローンは抱えてない。学費は全て私が払った。3000万円あった家のローンも完済していた。
娘2(次女)が小6の時からかかえる不治の病(1型糖尿病)、その治療は継続している。それでも無事成人して社会人となった。
自分の親の介護も終わていた。
2011年夏、近所の実家で、一人暮らしをしていた母親が多発性骨髄炎になった。その時、既にステージ4だった。その母親を7年間介護した。そして2018年春に亡くなる。葬式、遺産処理、墓への埋葬も2018年内に終わった。
2021年12月年末、想定外の事件、災害など多々多々あったが、何とかライフプラン第1章は終わった。私は心穏やかな気持ちで大晦日を迎えていた。
おそらく、このライフプランを作ってなければ、ここまで辿りつかなかったと思う。それほど重要なプランだった。私の意志決定のベースとなっていた。その凄いプラン(笑)は、こんなふうに出来上がった。
**
子持ちのサラリーマンであった私がライフプランを真剣に考えたのは2004年だった。
お金の恐怖が襲ってくる
2002年に大手企業を早期退職して、ベンチャー企業を立ち上げた。
また、ローン審査を考慮して、大手企業を辞める直前に一戸建てを購入した。その借金は3000万円、35年ローン。
私は背水の陣で起業し、仕事をした。
引っ越した当初は、新築で生活も変わり浮かれていたが、2年経ち落ち着くと、息子(長男)の周りの家庭が「中学受験するの?」と騒ぎ出す。
昨今、東京都下の牧歌的な小学校でもクラスの5割程度は中学受験をしていた。これから教育費が莫大にかかる。このことを私は忘れていた。
私には子供が3人いる。それも3年サイクルだ。
息子=小学校6年生、娘1=小学校3年生、娘2=幼稚園年小(2004年当時)
家のローンと今後の教育費を考えると、無計画ではかなりやばいことになる。そのリスクは漠然と感じていた。
ネットなどの情報によると、子供1人当たり。大学までの教育費(大学が私学の場合)は1本=1千万円はいる。しかしネットや雑誌は保険屋の御用記事のように感じる。全て鵜呑みにする訳にはいかない。
メディアの情報には「お金の嘘」が多々ある。
沢山あるリスクパラメータをこれでもかと全部入れ込んでいる。
よく言われる教育費クライシスで家庭が崩壊する。そんな話は1/Nの話だった。つまり確立は低い。
実際、日本はそんなに劣化していなかった。
参考として、日本の学費は世界的に見て公立はアメリカについで高いが、アメリカの半分だ。一方、私学はそれほど高くない。
進学率は、大学=50% 専門学校=30%となっている。猫も杓子も大学進学ではなく、将来を見据えて選択をしているようだ。
各国、国の衰勢を左右すえるのが教育なので色々な形を取っている。
教育は「百年の計」という。日本の今の教育が良いのか悪いのか、結果はまだ遠い先だ。とにかく今を生きるしかない。
我が家の教育費
問題点として、3才違いの兄妹なので、受験がダブる。そして続く。
さらに娘2は小6の時、1型糖尿病を発病し入院・治療費用など、予想外の外乱もあった。ちなみに娘2の治療費(薬代)は年間15万かかる。これは生涯かかり、トータル1000万円を超える。これも想定外だ。
簡単な教育費の計算値(実際値)
教育費、実際に4000万円近くかかっている。
ライフプランを作る
私は若い頃、モトクロスやトライアスロンなどに夢中だった。
よって、バイク、機材、消耗品、試合の遠征費、練習費用など、お金が必要だった。つまりマメにお金の算段をしていた。
また大学卒業直後も金利のない奨学金を10年間返済もしていた。
だからマネープランは常に作っていた。
一方、仕事ではシステムインテグレーターとして、何度も長期工程を作り、それを遂行していた。計画から設計、施工まで5年以上はざらにかかった。それが仕事だった。相手はゼネコンや直接施主なので、時に理不尽な変更もあり、多くの不安要素を組み合わせていた。
そこでだ、このノウハウを活かしてみた。
人生の工程表、つまりライフプランを作ることにした。
まず概要を決める、自分の給与などから全体予算を決める、実際の教育費をを算出する。公立、私立とまだ明確に決まってない要素もある。それを踏まえて実施予算を決める。
途中工程のポイント(要所)を決める。この時点での進捗状況と予算の状況を特定する。ここを派手に逸脱すると全体工程が総崩れする。
実施状態にはいると、タスク(やるべき項目)を工程表に次々入れ込んでいく。さらに色々と考えつく限りのリスクパラメーターも入れ込む。
こんな感じで人生の工程表(ライフプラン)を作成した。
期間は取りあえず16年間、娘2が大学を卒業するまでとした。
2020年末までのライフプランを立てみた。
画像画像において個人情報もあるので内容は簡略化している。
これは、2004年から2013年時点での工程である。
この工程表において、お金の計算は、エクセルで自動計算した各種数値をリンクさせている。
お金は毎年変化する。特に収入が変わると計画は大きく変化する。その変化を随時入力して再計算を繰り返した。
生涯年収について
マネープランの基準となるサリーマンの生涯年収を考えてみる。
これを越えたら、元々無理な計画となる。つまり予算オーバー、オーバースペック。
ここでは2021年度最新版で計算をしてみた。
日本人の平均年収 436万円
平均年収436万円以上を稼ぐ人の割合(400万円~2500万円超)は、労働人口の45.76%だ。日本人の半分近いことに驚く。メディアの言い方だと、日本のサラリーマンは貧乏人だらけに感じるが、実際はそうでもない。
取りあえず平均値で計算してみる。
大卒で仕事を始め、65才までの就労年数=42年間とする。
この平均年収を一人の一生の平均年収としてもいいだろう。
生涯年収=436万円×42年=18,312万円
1億8千万円くらいが生涯収入となる。
ここから税金、保険など年間86万円程度引かれる。
86万×42年=3,612万円
結局使えるお金は 18,312万円―3,612万円=14,700万円
色々な控除を考慮してみて
約1億5千万円が平均的な生涯手取り金額かなと推測する。
退職金は含んでいない。
自分の生涯年収も、年金額からこんなものだと思う。
ちなみに私は1981年から41年間働いている。
さて、ここから教育費4千万(3人分)を引くと1億1千万円。
ここからは、また簡単な計算をしてみる。
生活費/月=20万とすると年間 240万 41年間で、合計は1億円程度。
月に20万円、家のローンと学費以外を除いた「生活費」として使える。
実際、私は早期退職で退職金があったので、家のローンをそれでフォローした。また妻のアルバイトのお金もある。
工程表には赤字がある
工程表から、現在の収入のままでは、一時期家計は赤字になるとわかった。最低3年間は赤字だ。
それを考慮して貯蓄をした。また節約することが必携なのがわかった。
方法は色々あったが、ここでは余り気づかないと思う節約方法を紹介してみた。些細な違いで大きな差となる。
私が思うお金の無駄使い
子供が小学校、中学校、公立だと学校の費用がかからない。親は働き盛りでお金に余裕がある、元気で希望もある。
その時の勢いで、子供に贅沢をさせる。いい車を買う。ゴルフセットを買う、ブランドモノを買いまくる。家族で海外旅行、外食を多くする。子供に不要なお稽古ごとをさせる。
これはトータルでかなりの浪費となる。
ある意味ここで詰んだ(処置無し)ことになる。
もし、この時点でライフプランがあれば、今後の教育費を考えると、自分の収入ではそんなことは出来ないと思いとどまる。
また、逆にこの期間こそ貯蓄が出来る。
住む所を選び方(首都圏の話)
条件として、地域に学校が多い(文教圏)こと。学校の選択肢があることは子供の進学に大変有利となる。
地方だと、あの公立を落ちたら、後は酷い私立しかない。そんなことが多い。
工程表を作る前だが、私は子育てを第一に考えて引っ越し先を決めた。
引っ越し先は、私の地元の郊外の文教圏とした。
高校時代、足を踏み外していた私が、まともな人生を歩めたのは、この地域で育ったおかげだ。
受験時期の選び方
お金に大きな差がでる進学計画。
親が勉強を教える事が可能な時期に受験をさせる。
具体的には中学受験がベストだ。
高校受験は勉強以外の要素が多すぎる。また大学受験はそれまでの結果だから高校で頑張っても無理がある。また浪人も出来る。
受検勉強で、親が勉学の協力が可能なのは、中学受験までだ。
頑張るなら中学受験がベストな時期だと思う。
我が家では、子供達全員が中学受験した。
ちなみに国立の附属中学校など、東大へまっしぐらの塾はレベルが高くって、自分の子供達はついていけない。
取りあえず自宅の勉強で基礎学力を固めようと計画した。
■自勉の癖をつけて、塾を使わない
基礎固め
妻が漢字の書き取り、私が算数の基礎テキストを毎晩やらして採点した。
「日本語の読み書きと計算力」=全ての学業の基礎だ。
スイムのバタ足と同じで、基礎固めが重要だ。他に百マス計算も家族で競争した。子供も当然だが、私もかなり計算力が向上した。大人も頭がなまっているので、いい刺激となっていた。
塾不要論
塾にはおかしな思想がある。早慶以外は人間じゃないとか、おかしな考え方をする。いい塾もあるけど、やはりお金がかかる。
塾に丸投げして勉強をさす。変な思想も植え付けられる。
これは一番無駄な投資で、子供をおかしくする。(主観)
それより自分で勉強をする癖を付けた方が将来役立つ。それには小学校時代が一番だ。
この時期に自分で勉強が出来るようにしておく。ノートの取り方など基本を身につける。そうすると中学、高校で勉強が楽になる。
その後の大学受検でも塾など行かず、それなりに勉強をしてくれる。そして、身の丈に合った大学へ行ってくれる。
塾はもの凄い費用なので、出来るだけ止めたほうがいい、教育費が大幅に減る。塾は月に何十万もかかることもある。
近場の学校がいい
まず交通費がいらない。
時間に余裕ができ、部活も勉強も出来る。
都下の文教圏に住んでいたので、子供達、高校までは交通費はかからなかった。
息子、娘達は高校まで徒歩と自転車で通学。これはお財布には楽だった。偏差値が少し高いから程度の理由で、遠方地の学校へ通わせることは、私は馬鹿らしいと思っていた。
大震災の時、安全確認が楽だったこともある。
東日本大震災時、息子は卒業式だった。学校は徒歩10分、娘達も市内だったので、徒歩で帰宅した。最後まで安否確認されなかったのは、千代田区の事務所にいる私だけだった。
ここからは教育面での話を少したい。
中高一貫校
中学受験としての進学先は中高一貫校がいい。
その後に高校受験もなく、早めに大学進学の勉強が出来る。高校受験のための塾が不要となる。さらに先生も友達も不変なので、仲良くなれるし、部活も楽しめる。
ただ人間関係につまずくと高校でのリセットが効かない。
それでも、中学時代、お互い死ねばいいのにと憎み合ってた子が、高校卒業時に一番の友となってたりすることもある。
特に女子校ではその傾向が強い。通っていた中高一貫の女子校の先生も
「中2病だったら、高校生になったら自然に治ります」と言っていた。
息子は公立の中学と高校だったが、この場合、地区の中学校のレベルに左右されるし、頭の良い子でも、クラスが悪い雰囲気だと受験に失敗する危険がある。
高校受験は大学受験より落ちこぼれるリスクが高い。女子は特に悪い友達に引きずられやすいと思っている。この場合リカバリーが難しい。
大学選びは自由に
親の意見もあるけど、無理強いしない。
息子は農学部、娘1は文学部、娘2は体育学部と自由に進学した。
ちなみに子供達は、一番優秀な娘1が一時期、難関校を目指し塾に行ったが、東大、早稲田、慶應以外は大学ではない、人間ではないと言い切る塾長に洗脳されていたようで、
「それはないだろう、じゃあ俺は人間以下なのか」
怒った元暴走族の私が辞めさせた。
娘は優秀だったので学校推薦でGMACHへの進学が可能だった。
「推薦を受けろ、受験勉強なんか無駄、俺にはそれしか方法がなかったから受験した」と私が説得し、早々と大学が決まった。
そして、「お前、少し遊べ」と言って旅行をさせた。それでも、大学で負けたくないと勉強をする娘1だった。
他の2人は勉強がそれほど好きではなかったので、赤本(大学別の過去問集)だけの勉強で受検したが、それでも合格していた。
アルバイト
高校時代は部活に専念させた。
大学時代、アルバイトは好きなものを近場でしていたようだ。どちらかと言えば好きなサークル活動と友達作りを優先させた。
何度も言うけど、くれぐれも偏差値で大学を選ぶような事しないほうがいい。アンマッチングの進学をして、そのまま就職、そして早々に会社を辞めるなんてことになる。
私の個人的な意見だが、「俺はこんなレベルの人間ではない」
そんなことを本気で言う大人になる。
最後は子育て論になったけど、子供達の受験勉強、部活動を支援したことはいい刺激になった。2度目の青春を経験したようなものだ。
親も苦労すると子供との共有体験となる。
この共有体験は将来、自分を助けてくれる。なんでもコスパで子育てしていると、自分達の老後はコスパで何処かへアウトソーシングされる。
子供の教育に、親はお金を使うより頭や身体を使う方がいい。
それと最後は愛情だ。
私達夫婦は、子供たちのファンになっていた。
親馬鹿だと馬鹿だから子供を甘やかす。応援だけするファンがいい。
それでも人それぞれだから、あくまでも何かのヒントになればと思う。