恋は雨上がりのように、そして、のぼる小寺さん
昨年5月に会社を退職した。
タイミングが悪かった。この流行病で殆ど動きが取れずにいた。
自宅でやれる事としてパソコンを使って企画書作りをしていたが、時間が空く。
空いた時間は、読書とNetflix鑑賞に費やしていた。
一方、長年続けている趣味のトライアスロン。
スイミングスクールは疫病のため色々制限があり、週一通う程度。
自転車練習は室内ローラー台を使っている。革新的なGTローラ台を買ってあって良かった。
ランニングについてはマスク着用のため、やる気が失せていた。
夏、前からの計画通り、シーカヤックのため天草へ行った。しかし天候不良で海にでられなかった。最近梅雨明けの天候が安定しない。異常気象だな。
「ついてない」
不完全燃焼のまま7月末となる。
「熱中症注意!」
そんな夏の陽射しの中、秘密の練習場所でマウンテンバイクに乗る。ちなみにマウンテンバイク、これも長年続けているスポーツの一つだ。
練習後、何となく体調が悪い。
暑いので、早めに切り上げて市街地を走っている時だ。自宅まであと少しの所の急坂を登ったとたん、なんと急性心筋梗塞を起こしてしまった。
この顛末は別途記載したが、とにかく、マジで死ぬとこだった。
なんとか運命に助けられた。
当然入院した。20日ほど東京オリンピックを観て過ごす。
退院後、引き籠もり生活となる。
普段やっていた練習は心臓リハビリに代わった。
以上が私の現状だ。リハビリは既に170日になり、季節は晩秋。
そんな閉塞感を感じまくっている中、気分転換が必要だ。
こんな時は「水曜どうでしょう」だ。新作をNetflixで観た。
ようさんの明るい顔を見ていたら、無性に大泉洋の出ている映画を観たくなった。Netflixを探すと結構あった。
「浅草キッド」を手始めに4本観る。そして最後に観た映画。
「恋は雨上がりのように」 ようやく辿り付きました。
さてこの映画、大泉洋さん、いい演技だった。彼は共演者に合わせて自分を作る。相手を引き立てる俳優だと思う。
ただ映画の枠(時間)の問題なのか、ラストのオチはあれでいいのかと思う。おそらく原作のマンガはもう少し文学的だと推測する。
気になる。
そこで、マンガをブックオフでまとめ買いした。
「ん?」
注文した翌朝、あることに気づく。
「思い出した」
今は社会人として家を出ている娘1、その部屋に入り確認する。
ありました。「恋は雨上がりのように」が全巻そろっていた。
娘1、そう言えば昔、面白いと騒いでいた。
試写会にも行き、大泉洋と一緒に写った写真もあった。
「まあいいや」
私は人の話をよく聞かない。
だからたまに情報が周回遅れとなる。とりあえず自分で買った漫画を読む。
さて主観で偏見かもしれないけど、日本の純文学は禁断の愛の話が多い。
しかしジェンダーが普通になってきた今、禁断の愛もよくある恋愛小説の一つになってしまった。
17才の女子高生が40歳過ぎのおっさに惚れる。ここに文学的な感情を盛り込むが、艶めかしいこともなく爽やかだ。
私にとっては、これは青春漫画だった。
おそらく、大多数の少年少女は読み違えているだろう。私はこの45歳の店長の上をいってる歳だ。45歳なんてまだまだ若い、だから青春漫画として読める。
・・ですが、それが良いことでもない。
「のぼる小寺さん」
ボルダリングをする女子高生の話。最近の高校にはボルダリング部もあるのか、まあ普通は無いだろう。
今時、部活は面倒くさいので止めたいと言うのが世論だ。
部活という損得無しで本気でやれる活動。そのベストな時期を逃している子供達。それでいいのかとも思う。
部活する子供達を描く漫画は、爺さんとしては懐かしい漫画だ。
読んでも、あの頃の情熱は蘇らないが、もし経験がなければ、なにも感じないと思う。それは寂しいだろう。
まずスポーツクライミングが好きなので、Netflixで映画を先に観た。
スポーツクライミングは、ボルダリングの他、スピード、リードとあるが、ボルダリングは外岩のぼりがあり、山梨の白州とかで大きな岩を登ている姿を見る。
自己の能力を越える。
単身で挑むスポーツ。そんな情熱に取り憑かれる女子は、岩のような心を持つ。全てが自分の責任、それを厭わない。また人に媚びない。そんな女子は人を魅了する。
先の娘1、国文学卒の文学女子だが、彼女は違う側面もあった。
彼女も実によく登るのだ。
留学中もお休みは、オシャレなカフェより壁を登る。
最後に双方の感想として、映画の方がコメディチックの青春映画となっており面白かった。漫画はボルダリングに関して専門的に描こうと努力しているが、やや底が浅い。
ボルダリングに夢中な女子は魅了的だ。努力する人はそれを苦しいとは思わない。それが青い春だと思う。