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マウンテンバイク黎明期 ゲイリー・フィッシャー ビッグサー 

マウンテンバイクの黎明期
 バイクの紹介前にマウンテンバイクの黎明期のことも少し話したい。
その前に私がマウンテンバイクを購入した経緯から話そう。

結婚と引っ越し
 私は1989年12月に結婚した。すでに昭和は終わり平成元年となっていた。まだ世間ではバブルと言って不動産屋と株屋とサービス業が大騒ぎしていた。しかし普通の電機メーカのサラリーマンの私にとって、家賃、マンションが高値になっただけで大変迷惑な時代だった。世の中には価値相応という言葉があるが、それから大きくかけ離れていた。

 結婚後、住む場所を探すが、東京の近郊でも家賃が高すぎる。結局交通の便の悪い古い公団団地に申し込みをした。それでも抽選ってなんだろうね。住めることになったが、ど田舎だった。それでも気に入った。そこは自然が豊かな場所で、団地の窓からは見る限り里山が広がっていた。夏は蝉の鳴き声で目が覚めるほどだった。
そこは当時、横浜のチベットと言われるような場所だった。ただ、この時点では大規模な宅地開発と動物園建設の計画があった。地下鉄が通るという噂まであった。

 しかしラッキーなのか、1991年、バブルは崩壊し、日本経済は長期の経済停滞に陥いった。そして、宅地開発は延期、動物園建設も無期延期となった。これで、当分自然豊な里山が残ることになった。これから14年間程、私達家族は楽しい里山生活を送ることになった。

ジー・ティー カラコラム(GT  Karakoram) 
 私は当時、これも黎明期だったトライアスロンの選手だった。その里山の中には山道が沢山あった。そこをランニングしていると、「ここはマウンテンバイクコースになる」と気づいた。私のプライベートコースが出来る。急にワクワクし、早速マウンテンバイクを手に入れた。

1990モデル ジー・ティー カラコラム(GT  Karakoram) GTはアメリカのバイシクルモトクロスの自転車メーカだった。

ノーマル
ペダルはSPDにしている

カラコラムはパキスタン、インド、中国の3カ国の国境に位置するのがカラコルム山脈のことだ。 カラコルム山脈には、世界第ニ峰のK2を初め標高7,000m以上の山々が60座以上も存在している。

 このカラコラムで遊んでいると今度は当時盛んになってきたマウンテンバイクレースに出たくなり、日本のマウンテンバイク、アラヤのマディ・フォックス ロックショックスRSのフロントサス付きの国産マウンテンバイクを手に入れる。この時1993年だ。

ゲイリー・フィッシャー ビッグサー(Gary Fisher BigSur)
 1993年、マウンテンバイクはディスクブレーキどころか、まだカンチブレーキだった。その後、もの凄い勢いでマウンテンバイクの機材が進歩し、なんとか改造してついていったが、マディフォックスではレースを走れないと感じてバイクを探す。そしてゲイリー・フィッシャー ビッグサー(Gary Fisher BigSur)2005年モデルを購入した。しかし、この頃日本ではマウンテンバイク人気に陰りがあり、ロードバイクがブームとなっていた。

ゲイリー・フィッシャー ビッグサー ホイールはフルクラムに交換している
ゲイリー・フィッシャー ビッグサー

ゲイリー・フィッシャー
 ゲイリー・フィッシャーは人の名前だ。カリフォルニアで誕生したマウンテンバイク その産みの親がゲイリー・クリストファー・フィッシャー(Gary Christopher Fisher, 1950年産まれ )だ。
彼が1970年中頃から同郷のジョー・ブリーズ、トム・リッチーなどとともにマウンテンバイクを創り出した。名前がブランド名となったマウンテンバイクだ。

 1993年にこの会社はトレック・バイシクルの傘下に入り、自転車ブランドとしてのゲイリー・フィッシャーは2010年モデルをもって消滅した。
2011年モデルからはトレックブランド内のゲイリー・フィッシャーコレクションとなっているが、フィッシャー自身は以降もマウンテンバイクに関わり、第一人者として認められている。2005年頃から、29erホイールを装着したモデルを販売している。今主流のマウンテンバイクのジオメトリーだ。

アメリカのアウトドアスポーツの勢い 
 1970年代から1980年まで、スケートボード、フリスビー、マウンテンバイク、シーカヤック、オフロードバイク、クライミング、色々なアウトドアスポーツがアメリカのカリフォルニアから誕生していた。その当時の勢いは日本の若者文化に大きく影響を与えていた。その中の一つとしてマウンテンバイクがあった。私も多大なる影響を受けていた。

ゲーリーフィッシャー ビッグサーの評価
 アルミフレームの欠点であった乗り味の硬さを解消するために、バック部分をカーボン化したモ デルで、AC/DC(アルミ・カーボン/ダンピング・コンポジット)という新機構が採用されている。特にシートステーに細いカーボンパイプを組み合わせる ことで、リアセクションが下からの突き上げを緩和してくれるのだ。ずばりセールストークは「ソフトなハードテール」。

 シングルトラックでのしなやかな身のこなしは、鉄フレームを愛する人たちも納得するに違いない。そのぐらい明確にマイルドなフィーリング。ソフトなハードテールという言葉もあながちウソではない。

 長めのフロント~センター、短めのリア~センターのジェネシスジオメトリーも、シングルトラックでの楽しさを強調してくれる。フロント2.25、リア 2.2インチ幅という、やや太めのタイヤが付いていたというのを差し引いても素晴らしい乗り味だった。残念なのはフレームの単品販売がないということ。 06シーズンに期待!

ビッグサー(英: Big Sur)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州のセントラルコーストにある人口の希薄な地域である。サンタルシア山脈が太平洋岸から急に立ち上がっている所にある。その地形は絶景の連続であり、人気のある観光地になっている。

ビッグサー

以下が仕様だ。

Gary Fisher BigSur

ライディング中 アメリカンなウエア。

スペシャライズド ハードロックA1(Specialized HardRock A1 
ついでにスペシャライズド 2005年モデルを紹介。

Specialized HardRock A1
スペシャライズド ハードロックA1とゲーリーフィッシャー ビッグサー

 日本ではスペシャライズドはロードバイクが有名だけど、1981年当時はパーツ屋さんで有名、ディスクホイールをトライアスリートは使っていた。その後、マウンテンバイク、Specialized Stumpjumperが有名になった。

 このバイクは2017年、オークションサイトで程度があまりにもいいのでつい手に入れた。ただローノーマルタイプの変速機が付いており、記載になかったので驚いた。

 ローノーマルと言うのはワイヤーを緩めるとロー側へ変速するタイプ。現行の変速機は全てトップノーマルと言う、ワイヤーを緩めるとトップ側へ変速するタイプだ。当初面白く使っていたが、体が対応しきれないので、シフト系は交換する。ついでにVブレーキを油圧ディスクブレーキに交換した。

 今は遊びでたまに乗っている。普段乗りにするには、少し目立つので悪戯されやすそうなので止めている。

遊ぶ
スペシャライズド ハードロックA1

マウンテンバイクの歴史記事としてこのサイトは素晴らしい。是非一読をお勧めしたい。

 私の生涯スポーツでもあるトライアスロン、これもある人達の遊び心から始まった。そしてオリンピック競技になった。スケートボードもマウンテンバイクレースも今やオリンピック競技だ。1970年から1980年中頃までが、今の人気スポーツの黎明期だった。いい時代だったと私は思う。
 


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